「素直」の呪縛からの解放
『素直に話を聴きましょう。』
新しい知識を自分に取り入れようとするとき、あるいは新しい環境に自分を適応させようとするとき、これはとても重要なポイントです。
しかしながら、この「素直」が実はとても難しい。
特に、新しく入ってくる情報に自分のこれまでの経験を当てはめて思考を巡らせたがる傾向がある人や、未知なものに身を任せることに恐怖を覚える人にとっては、一層ハードルが高く感じられることでしょう。
逆に、あまりあれこれ複雑にモノを考えない人や、面白がって新しい世界をどっぷり堪能しようとする人、あるいは「もうどうにでもなれ!」とある意味諦めてしまっている人は、この「素直」に徹することが案外容易に出来てしまったりするものです。
そして皮肉にも、新しい知識や環境を必要とする人々は、自分が巡らせた思考によってそれらを欲していることも多く、本質的に「素直」になり切るのが難しかったりもします。
自分自身は充分に「素直」なつもりでも、目に入る一片一片、耳に入る一言一言に、自分の経験からくる何らかの解釈を紐づけて取り込んでしまう。
場合によっては、その解釈に好き嫌いの感情まで紐づけて、取り込んでしまう。
取り込む際に作用するその“フィルター”の存在に、気付くだけでも大変なものだと思います。
まずは、第一歩。
でも、その“フィルター”がなかなか外せない、そして自分はいつまで経っても「素直」に近づけないという実感が続けば、それはまた新たな悩みを生み出してしまいそうです。
そんな自分を封印するために、強引に「素直」なフリをする。
自分自身を縄で縛り付けて、荒波に飛び込むような気持ちで、身を任せようと頑張る。
…それが結果的に、功を奏することもありそうです。
荒療治的に、ですね。
でも、自分を抑え付けるような状態を長く続ければ、やっぱり無理が出てくる。
むしろ別のアプローチで自分自身を見つめてみてはどうだろう、と思います。
なぜ、どうしても思考が先に立ってしまうのか。
なぜ、身を任せることがこんなにも怖いのか。
なぜ、ほかの人のようになれないのか。
なぜ、それでもこの知識が、この環境が必要だと感じるのか。
自分の中に作り上げられてしまっている独特なストーリーが、そこで見つかるかもしれません。
そのストーリーを見つけてあげることによって、強引に「素直」な自分を演出しなくても良くなれば、それに越したことはない。
あるいは、「素直」になれない自分を受け入れながらも鬱々としている状態より、よっぽどスッキリする。
そう思います。
もちろん、本当に解放されれば、「素直」になることに何の苦労も感じなくなるでしょう。
そのストーリーを探すお手伝い、しています。
その際は、もちろん「素直」になっていただけると話が早いですが、最初からそうでなくても大丈夫。
私も大概なもんでしたから!