ちっぽけな大人に過ぎない自分が、どんな世界の一部でいたいか
昨今のワクチン接種に関連して、様々な情報に晒されている私たち。
結果、個人の選択についても様々な考え方が溢れていますね。
いわゆるスピリチュアルな世界と関わっている人たちの中にも、当然いろいろな考えをもって自分の身の振り方を発信されている方もいらっしゃることでしょう。
私自身も、これまでいろいろなことを考えてきたけれど、結果的に2回のワクチン接種を受けることに決めました。
初めはそんなことイチイチ発信するものでもないと思っていたのですが、段々と、これはとても大切なことのような気がしてきて…。
まだ少し迷っていますが、これまでの気持ちの変化と決断の理由を書いてみたいと思います。
前のブログでも書きましたが、当初私は絶対に受けたくない派でした。
実は、私はこれまで都合10年ほど製薬会社で働いてきた経験があって、内部でどのように物事が動いているのか、薬とかワクチンがどういうものなのか、少し知識があります。
だから、今回の治験のレベルとか、懸念材料が残り過ぎていることとかを勘案し、普通に考えてアウトでしょう!と感じていました。
しかも、私はアレルギーも持っているし、きっと無事じゃ済まないよな…という怖さもありました。
それ以前に、そもそもワクチンの量が足りず、予約を取ることも困難という現実もありましたね。
私は現在、セッションも完全リモートですし、急いでどうにかしなければという状況でもありません。
まずは本当に必要としている人たちが優先してもらえれば…という言い訳も成り立ちました。
でもその一方で、ずっと心に引っかかっていたのは、今の社会が子供たちからどう見えているんだろう…ということでした。
あらゆる行事が無くなり、夏休みを思いっきり楽しむこともできず。
分散登校やらリモート授業やらに対応しなければならなくなり、給食は黙って前を向いて食べないと怒られてしまう。
遅れがちな勉強が将来どのように影響してくるか、誰にもわからない。
そして何もかも、子供自身が判断したり選んだりすることができず、全部大人が決めて押し付けてくる。
一方そんな大人たちはどうかと言えば、ストレス解消がどうのとかお金がどうのとか言い訳して、「やってはダメ」と言われていることもやってしまい、状況は悪化の一途。
その結果、当然のように子供の世界への締め付けは続いていく。。。
とても悲しいことに、子供の自殺もこの期間、顕著に増えてしまっています。
子供の世界、子供の心がとても危うい状況になっているのは、火を見るより明らか。。
こういうことをじっと考えていく中で、イイ大人が、痛いの怖いのと言って接種を回避していることに、言いようのない違和感を覚えるようになりました。
この世界の中で、たいしたことなどできない私。
大人として、せめて出来ることは何なのか。
ほんのちょっとでも、自分がウィルスの運び屋になるリスクを低減させること。
ほんのちょっとでも、自分が感染して医療機関に負担をかける可能性を低減させること。
…そのくらいしか、出来ることは無いなぁ。
そんな考えが自分の中で落とし込めたとき、なんだか急に「あ、もう大丈夫になった」という感覚が訪れたんです。
たぶん副反応は最小限で済むぞ、という、確信のような感覚。
準備が整ったのでしょうね。
そして、あれだけ取れない取れないと騒がれていた接種予約も、全く問題なくスルッと取れてしまいました。
先日1回目の接種を終えましたが、本当に影響は最小限で済んだ感じです。
接種当日に微熱が出たと言っても、マックスで37.1度。
翌日には平熱に戻っていました。
あとは、腕が1日程度、ちょっとした筋肉痛みたいになっていたくらいですね。
これから2回目が控えていますが、油断し過ぎず恐れ過ぎず、準備しておきたいなと思っています。
…こんな顛末です。
いろいろな情報が錯綜する中、自分もその一部になることにやっぱり躊躇はありますが、どうしたらよいか分からなくて悩んでいる方に少しでもご参考になれば幸いです。
≪巻頭写真:Photo by Aleksandr Eremin on Unsplash≫
長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。