要らないと思っているはずの"不安"さえ、実は抱え続けたがる心のカラクリ
自分に厄介事が起こり続けていたり、絶え間ない不安に苛まれている時、私たちは「あぁ早くここから脱したい!」と思うものじゃないですか。
それが、そう思っているのはたぶんあなたの表面だけだよ、などと言われたらどうでしょう?
あなたの潜在意識の中にいる何者かは、実は全然それを手放す気なんてない…などということが、本当にあるのでしょうか?
…いやはや、先日久しぶりにそれを体感して思い出しました。
先月、人生初めての外科手術を受けたという話は前にこちらにも書きましたが、どうやら手術を受けることになりそうだという話が始まったのは、実は去年の夏くらいからなんですよね。
あれれ?と思うことがあって病院に行ってみたら、先生が理路整然と説明してくださって、手術に向けてのいろいろな段取りが明らかになりまして。
その段取りのうちの一つが、手術まで毎日決まった時間に飲まなければならないお薬でした。
一日でもミスしてしまうとちょっと良くないということで、それを毎日確実に実行するのはちょっとしたチャレンジでしたね。
秋にインドに渡航した際には、もちろん時差も考慮しなきゃでしたし。
さらに、今年の3月頃からはお決まりの花粉症となり、仕方ないのでアレルギー科に罹ってお薬をフルセットで処方してもらいました。
しばらくはそのお薬の分も増え、服薬は朝晩の日課となりました。
結局、決まった時間に薬を飲まなければならないという状況が、8ヶ月くらい続いていたことになります。
そして、先月。
無事に手術も終わり、下旬には花粉のシーズンも終わり、すべての服薬生活から解放されたのですが…。
なんと…どことなく落ち着かない自分を発見!
驚きました!!
そして思い出しました!!!
どんなに手放したい、サヨナラしたいと思っている不安や不幸であっても、人は思いのほかその不安や不幸に慣れ親しんでしまい、手放したがらないってことを。
そんな馬鹿な、と思われる方もいらっしゃるでしょう?
でも事実なんですよ。
なぜかというと、そんな不安や不幸というものも、いつの間にか自分のアイデンティティの一部になってしまっているからです。
人は無意識に、それナシでは自分が成立しないかのような感覚になってしまうのです。
無意識の怖さよ、ですね。
もしあなたの中に、
…誰かに対する根深い怒り…
…社会に対する恨みつらみ…
…自分に対する深い悔恨…
などがくすぶっていて、それらの発する言葉が自分の頭の中を堂々巡りしているような場合。
自分の心の中を、真正直な気持ちで観察してみてください。
手放そうという想いよりも、ずっと握りしめていたい感覚の方が強かったりしませんか?
ずっと自分の中で、それらのことを話題にしていたいような気持ち。
さらに言うと、この話題が無くなってしまったら自分は何を思えばいいのだろう、という類の不安感さえ自覚できるかもしれません。
そう、無くなってしまっては困ると、心のどこかが思っているのです。
頭では要らないものと分かっているのに、無意識レベルで手放さないという、このカラクリ。
意識することで、気づけます。
気づくことが、要らないものと本当にサヨナラしていく第一歩です。