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なんで文章を書いてるんだろう
考えや思いを文章にしたい、と思うことがある。
誰かのためではない。そんなに多くの人に読まれないし。
お金の足しにもならない。お金は仕事で稼げばいい。
動機は自己満足を得るためなのだろう。
それならば、何を求めて何に満足しているのだろう?
筋の通った人間だと自認したい
普段から色んなことを考えたり感じたりする。書き留めないと忘れてしまうような些末なことばかりだが。
バラバラに生まれてくる考えや思いをまとめたとき、筋は通ったものになるだろうか。大きな方向性やシンプルな理屈で説明できる一貫性があるだろうか。
そうだったら嬉しい。自分が合理的・論理的な人間だと錯覚できる。
実際のところ、時と場合によって、違うことを考えたり思ったりするのが人というものだろう。だからこそ自分自身への不安があり、他者とのコミュニケーションの難しさも生まれる。
そのような人間の気まぐれに対する不安・難しさを少しでも払拭したいのかもしれない。一貫性を自分の中に見つけて安心したいのかもしれない。
新しいことを発見したい
自分の考えや思いの一貫性を確かめることは、すでに頭に浮かんだものをつなぎ合わせる、答え合わせのような作業だ。安心や納得は得られても、新しい発見はない。
しかし時には、新しいこと発見したいために文章を書くこともある。新しいことを言うための論理の構築に文章が必要だ。
そういった時、思考のスタートからゴールまでの距離は長い。長距離走なら手荷物は減らしたい。結論までに扱う情報が多いので、文章として情報を記録しながら検討していくのが現実的だ。
こうして新しい発見を求める行動は、新しい自分を見つけようとしていることなのかもしれない。今までの自分を肯定するだけでなく、新しい発見をしたいという。
読んでもらいたい
自己満足のためと言いつつ、人に読んでもらいたい気持ちもある。欲だと思う。
そもそも、自分との対話のために文章を書くだけならば、日記にでも書いておけば良いのだ。
承認欲求や援助欲求なのだろう。せっかく紡いだ文章なので、人から認められたいし、人の助けになっていたら良いなと思う。
自分の思考力や文章を書くスキルで文章を形にしたいという、達成欲求もあるかもしれない。
実際には、人から評価されたり感謝されたりすることはない。それも書きながら分かっていることだ。それでも書く行動が、まさに自己満足らしい。
結論・自己満足
結論的には自己満足なのだが、
自分の一貫性を保つ儀式的な意味だったり、
思考整理のための実用的な意味だったり、
結局は承認欲求だったり、
と色んな意味づけができそうだ。
やっぱり、この文章を書くことで得られた新しい発見はなかった。
モヤモヤと感じていたことを文章化したので、今後も同じモヤモヤを感じた時に、モヤモヤ時間を短くする助けぐらいにはなるかもな、と思った。