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クソゲーと高難度ゲーの違い
クソゲーとは
きちんとした定義はないが、Wikipediaに立項されるほどメジャーな言葉ではある。その中に、分かりやすい指標があった。
ゲーム作品がクソゲーと呼ばれる理由はプレイヤーの事情や感性によって異なるため一概に断定することはできないが、基本的には「プレイヤーが投じた金銭や時間に、面白さがまったく見合わないビデオゲーム」がクソゲーであるとされる[7]。
この引用[7]とは下記の記事。読み応えがあって面白い。
要するにコスパが悪いということだ。
コストが高すぎる
パフォーマンス (リターン) が低すぎる
クソゲー要因① - コストが高すぎる
値段
準備
ゲーム機/PCの設定
一緒に遊ぶ人の予定調整 (必須人数の多さ)
どんなに面白いゲームでも、1プレイ20万円だったらクソだし、100人の予定を合わせないと遊べないならクソである。もはや大会運営だ。
一方で、上で指摘されている時間がかかることは、コストではないかもしれない。ゲームの本質が暇つぶしにあるとするなら、ゆっくり時間がかけられることは良いことだろう。
クソゲー要因② - リターンが低すぎる
ゲーム内
ストーリー
キャラクターの成長
ゲーム外
プレイヤーの成長・学び・感情の動き
他プレイヤーとのコミュニケーションツール
ゲーム内のリターンがないのは味気ない。
ストーリーがないと、何のためにゲームを進めているのか分からなくなる。クリアしても何も残らないのなら、モチベーションも削がれるというものだ。
しかし、ゲーム内のリターンがなくても成立するゲームはいくらでもある。たとえば、ボードゲーム・パーティーゲームなど、1セッションでリセットされるゲームがそうだ。ゲーム内に残るリターンが無いのに楽しい。
楽しい理由は、ゲーム外にもリターンがあるからだろう。
自分が学習・成長している感覚、爽快感やスリルといった感情の動きが感じられるなら、ぜひ遊びたい。
他のプレイヤーと遊ぶタイプのゲームなら、他人とコミュニケーションする口実にさえなれば良いかもしれない。
つまり、非日常体験ができれば嬉しい。
高難度そのものはクソゲー要因ではない
難易度については、Wikipediaの説明でも、ここまでの考察でも触れていない。難易度の高さはクソゲー要因にならないのだと思う。
難易度の高さがクソゲーに関連するとしたら、難しすぎてクリアできず、かつクリアしない限り面白くないパターンだろう。
爽快感や試行錯誤などのプレイ体験そのものの面白さがなく、一緒に遊んでいるプレイヤーとの会話のネタにもならないゲームは、高難度になるとクソゲーと化す。
クリアできなくても、プレイ自体が面白かったり、一緒に遊んでるプレイヤーと面白がれたりするなら、クソゲーではないだろう。
まとめ : クソゲーと高難度ゲーの違い
高難度ゲーはクリアできなくても面白い。
苦戦するプロセスが面白かったり、それで他のプレイヤーと騒ぐのが面白かったりする。ゲームの外に面白さのツボがあることも多い。
クソゲーはクリアできないと面白くない。
最悪の場合はクリアできても面白くない。
おまけ : くだんのゲーム
この記事を書くきっかけは、ギリギリ面白いと思っていた地球防衛軍6のDLC2に、ちょっとクソゲー感をおぼえたからだ。
マルチプレイで文句を言いながらDLC1までなんとかクリアしてきた。しかし、DLC2に入ってから興が削がれた感じがあった。
当初は難易度が高すぎるせいかと思ったが (HARDESTで遊んでいた)。しかし冷静になると、フレーバーテキスト程度のストーリーすら感じ取れなくなったので、クリア時のゲーム内リターンが感じにくくなってきたからだと気づいた。(他のプレイヤーも同じようなことを思ったようだ)
結局、難易度を最低まで落として完走した。結果的には面白い部分があった。しかし、そう思えるまでのハードルが随分と高い感じがした。
心が折れた状態でも遊ぼうと思ったモチベーションは、ゲーム外の部分にあったのだと思う。気の合うメンバーで同じ目標にむかって手を動かす時間、という一点で支えられていたように思う。(それなら別のゲームで良いわけではあるが)
つまり、ゲームを嗜むために、誰と遊ぶか・何を面白がる心持ちでやるか、というゲーム以外の部分が結構大事なのだな、という気づきがあった。