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名古屋&daft STREETDANCE HISTORY8 〜2010年:そして次の世代へ〜
どうもです。UCです。
(これは名古屋&daft STREETDANCE HISTORY企画の目次8です。その他の目次はこちらからご確認ください。→名古屋&daft STREETDANCE HISTORY
また、名古屋STREETDANCE HISTORYの続編で.もあります。1990年〜2002年のヒストリー記事はこちらからご確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )
さて、
今回は2010年です。
90年から記し始めた名古屋ストリートダンスヒストリー、
2003年からは自分自身がダンスを始めたという理由で、
自身のチームであるdaftを中心とした名古屋ダンスヒストリーを記してきましたが、
それも今回で区切りにしたいと思っています。
この先は、ストリートダンスを取り巻く環境もさらに変化・拡大していくからです。
シーンの細分化(価値観の多様化)、距離感の縮小化、年齢層の拡がり、SNSの発達、
本当に様々な要因が重なり合って
いつ、どこにいても、1人でも、ダンスが出来るようになるわけで、
良くも悪くも”地域性“が少しずつ薄まっていく時代に突入していったように思います。
自分たち自身も名古屋よりも他地域からオファーをたくさんいただく時期があったり
ダンス留学でなく、イベントの為だけに海外へ行くことも以前より普遍となっていったりします。
もちろん、地元のシーンというものも大切にしてきましたが、
そのシーンと呼ぶべき場所も細かく分けられるようにもなっていきます。
そうなると取り上げる範囲が広くなり過ぎるので。
自分でもまとめ方が分からなくなってきたので、
今回で一旦収束させていただきます。
それではラストまとめとなる2010年、
楽しんでいってください。
(※文中はすべて敬称略です。ご了承ください。)
INDIAN NIGHT vol.2
09年編で記しましたが、
『INDIAN CREW』(“SUGI-J”, “ARROW”, “0014”, “masahiro”, “DEJI”, “UC”)が、
仕掛けた『INDIAN NIGHT vol.1』は、
通常のダンスイベントと、CREWのワンマンイベントの間くらいのイベントで、
珍しいカタチのダンスイベントだということで話題を集めました。
▲INDIAN CREW メンバー
vol.1の成功を自信とした僕らは、
この年も『INDIAN NIGHT vol.2』を仕掛けました。
▲INDIAN NIGHT vol.2 フライヤー表紙
このイベントの主旨は『INDIAN CREW』主役のイベントで、
愛知シーンに刺激を与えるというものでした。
それを踏まえて、“vol.2“のテーマは「人との繋がり」であり、具体的には”GUESTとの共演”でした。
『INDIAN CREW』だから呼ぶことのできる全国トップクラスのGUESTダンサーを観てもらって観客に喜んでもらう。
だけではなく、
『INDIAN CREW』がそのGUESTダンサーと一緒に踊ることで、
『INDIAN CREW』、ひいては東海ダンサーの可能性を拡げたいという気持ちがありました。
今思えば何様でしょうか?
という感じも否めないですが、
当時は必死でしたし、
シーンの盛り上げとともに、自分たち自身のキャリアアップももちろん狙っていましたね。
ということで、
『INDIAN NIGHT vol.2』のGUEST陣は、
東京、大阪、名古屋から計7名お招きしました!
▲INDIAN NIGHT vol.2 GUEST DANCER
『DANCE@LIVE』などでバトルし、コテンパンにされ、その圧倒的なダンスにくらっていた、
“oSaam”(『sucreamgoodman』), “CanDoo“、
07年編で紹介したように神戸のコンテストで繋がりを持ち、
その後交流し続けていた ”TAICHI“(元『CHRONIC EGO』、元『sucreamgoodman』, 元『下町ホルモンボーイズ』)、
『INDIAN CREW』と同い年であり、イベントで仲良くなった“SHIGERU”(『7DOWN 8UPPER』, 『REAL PROMOTION』)、
“ARROW”がレペゼンしていた“KRUMP”の東西のレジェンドである、
“2B@D”(現、“Twiggz”/『RAG POUND』, 『Twiggz fam』),
“SHIGE aka Bucc Child”(『Bucc Child fam』, 『Round Shaker』)
そして、
名古屋で当時最も勢いもあり、このゲスト陣と比べても遜色ないくらいリスペクトしていた“ヒロト”(『Skullz』/現、“Hilototti”)
の7人でした!
この7人と『INDIAN CREW』6人の総勢13人で、
ユニットパート、ソロパート、全員でのルーティーン、
合わせて約30分のSHOWをしました!
そして、
『INDIAN NIGHT vol.1』と同様に、
ダンス、人間、スタンスともにリスペクトできる ”SELECT DANCER”を5チーム、
『INDIAN CREW』がフックアップしたい後輩たちを“PICK UP DANCER“として3チーム、
それぞれ踊っていただきました。
▲INDIAN NIGHT vol.2 SELECT&PICK UP DANCER
※余談ですが、
09年編で紹介した“BaGu“は、愛知に転勤となるなり、すぐに我々の仲間となり、
”MOTOTAKA“, ”baanintatsuya”, “YELLOW MONKEY“と共に、
『Throw BOMB Project』を立ち上げ、『INDIAN NIGHT vol.2』の出演が決まりますが、
直後に青森転勤が決まり、
結局、イベント自体には出演できませんでした。
わずか1年強の愛知在住期間でしたが、残したインパクトは非常に強く、
のちに “TATSUYA”(現、“baanintatsuya”)との『ドメスティックバイオレンス』では、『JAPAN DANCE DELIGHT vol.20』で“FINALIST”にも輝きます!
また、
“PICK UP DANCER”の『GOD H@NESS』には、当時bboyからKRUMPに転身していた09年編で紹介した“EIGHTE”(現、“Wild Twiggz aka Loopz“/『DANCE&RENTAL STUDIO ONEWAY』代表)もいました。
vol.1ではメインスタッフの1人として裏で頑張ってくれていましたが、
vol.2では出演者となり、
その後は、全国、世界に誇るレペゼン名古屋筆頭ダンサーへと登り詰めていく様は刺激的でしたね。
というわけで、
DJには、
07年編より紹介している“DJ TA2YA”(現、“DJ T2”/『10GAME』)が『INDIAN NIGHT vol.1』に続き登場しました。
我々のイベントには欠かせないタメ年DJですね!
そして、
プロローグ編より紹介している “KATSU“(『MASH BRUSH 』)のチカラを貸していただき、”DJ KRAZY KUTS“として登場していただきます!
MCには、
vol.1でMCをしていただいた”INO“(”MC LONG-T“/現、『EXPG NAGOYA』校長)と同じ『NIGHT RYDERS』(02年編参照)であった97年編から紹介している“LUPIN”が登場しました!
▲INDIAN NIGHT DJ&MC
全員本当に恩人ですね。
そして、
前回SECRET DANCE BATTLEで盛り上がったバトル企画は、
『INDIAN CREW』を2つに分けて、3×3で行いました!
これも盛り上がりましたね。
というわけで、
大袈裟でもなんでもなく、めちゃくちゃ盛り上がった1日でした!
▲ INDIAN NIGHT vol.2 告知動画
そして、
実は前日の前夜祭も相当盛り上がりまして笑、
“TAICHI”の“ビキニビンタ事件”, ”クラブ店長からチョップ事件“などなどわずか数時間で立て続けにハプニングを起こした伝説もあります(笑)
ちなみに、
『INDIAN NIGHT』は、2012年3月に“vol.3”を開催したきり、
それ以降は、開催されておりません。
メンバーが30代に差し掛かり、それぞれの人生のフェーズが変わっていったのが一因ですかね。
またいつか、『INDIAN NIGHT vol.4』が開催できたら嬉しいですね。
▲INDIAN NIGHT vol.2 audience
徐々に定着していくN.S.Y
さて、
僕自身は『INDIAN NIGHT』を主催する傍らで、
09年編で紹介した『N.S.Y』も半年に一回のペースで主催していきました。
vol.1は皆さんの優しさもあり、
大盛り上がりで終えることが出来ましたが、
vol.2もみんなでワイワイと盛り上がることができました!
▲N.S.Y vol.2フライヤー
JUDGEは、
97年編から紹介している三重の ”TAKAOMI“(『entrance』)、
97年編から紹介している岐阜の ”TOMO”(『PUMPKIN HEADS』, 『激辛リベンジ』)、
『HIPHOP EMBLEM vol.3』優勝者である “0014”(『Bo’z』, 『Skullz』, 『INDIAN CREW』)
の3人でした。
もちろん、
・全バトル対面バトル
・敗者復活バトルあり(この頃は敗者復活もフルトーナメント!)
・JUDGE&DJのセレクト音源バトル
・HIPHOP JUDGE設置!
という特徴は変わらずでした。
結果は、
優勝:『比良荘』(“ANI“, “MATSURATTY aka TOMOKAZU“)
準優勝:『バズバード』(”masahiro”, ”SUGI-J”)
ベスト4:
『ゴッドイーター』(“MOTOTAKA”, ”ゆーせい”(のちに“YELLOW MONKEY”))
『BT EXPRESS』(“BUNPEI“, “TANOKEN“)
TAKAOMI賞:“さおちん”(『90STEPPERS』)
TOMO賞:“SHOW“(現、“O-NO“/『mncr-m』, 『A.R.E.S.』)
0014賞:『P・ボンバー』(“うた“, “ももか“)
<HIPHOP賞>
◎ファッション賞:“EIGHTE“(現、“Wild Twiggz”)
※vol.1に続き連続受賞!
◎パッション賞:『オードメーン』(“RENA“, “Ahyumi“)
※他ジャンルダンサーも荒らしまくってくれてました。
◎音大事にしてるで賞:“G-TA“(『H-town Crew』)
※このHIPHOP賞は嬉しいですよね!
◎ファンキー賞:
“リューイチ“(『Mad Skill Stylers』/現、『OOPARTZ』)
“BaGu”(『ドメスティックバイオレンス』)
“SANTA“(現、 『PINOCCHIO』, 『WARPs』)
※今やアーティスト活動もしているタレントたちが、まだ金の卵だった時代に『N.S.Y』で遊んでくれていました。
◎気合い賞:
“masahiro”(『daft』/『INDIAN CREW』)
“BUNPEI”(『ROOT’S ON』, 『名古屋城前ポッパーズ』)
◎すごいで賞:
“MATSURATTY aka TOMOKAZU”(『C-HAIS』, 『THE OLDYZ SHOP』, 『ILL BUCCNESS』)
※もうこの賞しか表現しようのない最高にHIPHOPなアニキがエントリーしてくれていました。
ということで、
この時は準決勝、決勝がめちゃくちゃ盛り上がって、
決勝では”ANI“(『ROOT’S ON』), ”TOMOKAZU“(『C-HAIS』)の『THE OLDYZ SHOP』コンビがミラクルをかまして優勝しました!
若手登竜門バトルを謳っておきながら、この2人のエントリーを認めるか迷いましたが、
「俺らが倒す」ていう若手が多かったので、
ヒール役になっていただき、逆に盛り上げていただきました。
▲比良荘(上から、ANI, TOMOKAZU)
若手登竜門HIPHOPバトルイベントと言いながら、
未来、才能ある10代ダンサーのみならず、
他ジャンルのダンサー、県外のダンサーもエントリーしてくれて、
かなり幅広いエントリー者で盛り上がりました。
▲N.S.Y vol.2 レポート
そこで、
続く『N.S.Y vol.3』は一気に規模を拡大して、
”CLUB開催”としました!
名古屋HIPHOPシーンの成長『丸美観光ビル』の『CIPHER the underground』で開催し、
なんと98年編より紹介している『WILD WILD SMILE』ともコラボしての開催となりました。
そして、
初めて県外JUDGEを呼んだのもこの回でした。
東京で何度もバトルをして、その熱さや深い愛情に感銘を受けていた ”MIHO“(『Marjoram』, 『L.O.F.D』)に来ていただきました。
▲N.S.Y vol.3 フライヤー
結果は、
優勝:『ボスハル』(”HARUKI”(『BALBOA』), ”BOSS”)
準優勝:『HUMAN NATURE KEEP QUESTIONS』(”たつや”(現、”baanintatsuya”), ”岡崎のヒロシ”)
ベスト4:
『CODE1991』(”ススム”(現、”Susumu Spaniel”/『A.R.E.S』), ”ナホ”(現、『BARBER IKEDA』代表)
『ねんど』(”MOTOTAKA”, ”KEN”)
<HIPHOP賞>
ベストドレッサー賞:
”YUuTA”(『BALBOA』),
『3-PEACE』(”MONA”, ”SHOTA”)
パッション賞:
”0014”(『Skullz』, 『INDIAN CREW』)
”なべ”(『DENGAROUS』)
ファンキー賞:
”キャラメル“(『SOUL FIRE』)
”たつや”(現、”baanintatsuya”/『ドメスティックバイオレンス』)
特別賞:
”ナホ“(現、『BARBER IKEDA』代表)
”まさ“(『BALBOA』, 『Chicken Hearts』)
でした!
08年編で紹介した僕の練習会『遊UC白書』に来てくれている若手2人の優勝にすごくテンションが上がった回でしたね!
▲ボスハル(左から、BOSS, HARUKI)
色々やってきて良かったなぁなんて思いましたね。
▲N.S.Y vol.3 レポート
というわけで、
2年目も定期開催できて、
”MC ROKUDENASHI”も定着しはじめ、
(実はまだこの頃は「トゥーフィー」という合言葉は生まれていません。)
名古屋シーンの中にあるバトルイベントとして認識していただけたように思っています。
この『N.S.Y』は、
2011年以降、年2回のペースで開催し、
2019年4月の『N.S.Y vol.20』を最後に現在休憩中です。
みんなが望んでくれるのであれば、
いつか”vol.21”を再開したいと思いますし、
その時を待ちつつ、準備していきたいと思います。
SUPERBADの終焉
さて、
01年編から紹介している名古屋が全国に誇っていた”HIPHOP PARTY“が『SUPERBAD』でした。
数々の伝説を残したこのイベントですが、
10回目となるこの年が最後の開催でした。
▲SUPERBAD 2010 フライヤー
名古屋の女子大小路エリア一帯が会場となる全18会場を巡り巡る”CLUBサーキット“。
不可能を可能にした10年、
仕掛け人である、93年編から紹介している ”JUNJUN“(『(有)トップアッププロダクション』代表)の熱量と行動力には頭が下がりますね。
(初代プロデューサーは、プロローグ編より紹介している”TAKE“(『P.D.UNITS』)であるが、”JUNJUN”もvol.1から制作には携わっている。)
▲JUNJUNインタビュー
DJが48名、
ダンサーが45組、
MC、SINGER、BANDが54組、
その全てがハイレベルな選ばれたアーティストばかりなわけで、
もうとんでもない一夜ですよね!
▲SUPERBAD 10 出演者
恒例の『CASH THE BATTLE』最後のチャンピオンには、
“YU-YA”(『MASH BRUSH』/『WEST-O』)が輝きました!!
昨年の『ROCK IT』グラチャンに続いての快挙でした!
そんなこんなで、
”CAZUL“, ”JUNJUN“, ”TAKE“
この人たちが名古屋シーンを押し上げたのは間違いないことですね。
この『SUPER BAD』は本当に全国的に濃厚なHIPHOP partyだと注目されていました。
我々『daft』も後半5年間は毎年出演させていただきました。
偉大なイベントに関われて幸せでした。
10年間、お疲れ様でした。
▲SUPERBADヒストリー
当時、
主催者の”JUNJUN“が言ってくれた言葉を今でも覚えています。
「今までは、自分たちが誰よりも現場に足を運んでいて、繋がりがあり、シーンの中心にいる自負があった。
しかし、10年経って年齢も重ねて徐々に現場に足を運べる機会が少なくなってしまった。
これ以上は”今のリアル“を描き出すことは厳しいし、今後さらにそうなっていく。
『SUPERBAD』は終わるけど、”今“ど真ん中世代である次の年代に同じような規模のイベントをやってくれるヤツが出てくることを望んでいる。」
▲SUPER BAD final 特集
※インタビュー記事に上記のセリフも載っています。
新陳代謝のことまで考える、シーン優先の思考に愛情を感じました。
もちろん、収支、地位、権力、承認欲求、色んな面が誰にでもあると思いますが、
「HIPHOP」にこだわり貫いていた姿勢だなと感じていました。
そして、
その後は08年編より紹介している『トウカイズム』が、ダンスイベントとして継続されていきます。
▲トウカイズム vol.3 フライヤー
これは今でも続いていますね。
ROCK ITの終焉
さて、
03年編なら紹介している『ROCK IT』も、
この2010年でFINALを迎えました。
生音でのダンスバトルという画期的な手法に、
DOPEなDJ TIMEやDANCE SHOW、
世界的graffitiライター“CAZUL”のライブペイントなど、
アングラシーンで革命を起こしてきたイベントでした。
06年編で紹介したようにHIPHOPの始祖“AFRICA BAMBAATAA”の初来名した際には、
「ここにはHIPHOPの必要要素が詰まっている。
俺たちが作ったHIPHOPをちゃんと継承している。」
というお墨付きまでもらったという逸話もあります。
そんな数々の伝説を残してきたイベント『ROCK IT』が、
奇しくも『SUPERBAD』と同じ年にFINALを迎えました。
▲ROCK IT FINAL フライヤー
ラストのグラチャンに進出したのが、
・『ドメスティックバイオレンス』(“TATSUYA”(現、“baanintatsuya”), “BaGu”)
・『MASSACRE』(“YABETTY”(現、『DANCE STUDIO STARGATE』代表, “B-BOY TETSU”(『CONCRETE SOUL ROCKERS』))
・『A.R.E.S』(“SUSUMU”(現、“Susumu Spaniel”), “SHOW”(現、“O-NO”/『mncr-m』)
・『KEEP IT REAL』(どの2人だったか記憶整理中)
・『ジュビロ宮地』(“Bomber”, “さおちん”(ともに『90STEPPERS』))
・『ナチュラリスト』(“山犬”, “MAXなおき”)
・『BALBOA』(おそらく”HARUKI“ともう1人)
・『daft』(”UC“, ”masahiro“)
の8チームでした。
そして、
最後のグラチャン優勝者に輝いたのは、
『MASSACRE』(“YABETTY”(現、『DANCE STUDIO STARGATE』代表, “B-BOY TETSU”(『CONCRETE SOUL ROCKERS』))
でした!
生音にバッチリハマるbboyはカッコ良かったですね!
我々『daft』は準決勝で優勝チーム『MASSACRE』に敗れ、
最後の最後まで『ROCK IT』のグラチャンで優勝することはできませんでした。
誰よりも挑戦していただけに残念でしたが、
”KASHI”のドラムで踊る環境は、びっくりするくらい感性が磨かれましたし、ガチンコバトルを繰り返すことで、本当にたくさん成長させていただきました!
その後、
2014年には野外で『ROCK IT』が4年ぶりに特別開催されましたね。
▲ROCK IT 2014 フライヤー
その時の『WARRIOURS』は、
91年編より紹介している ”KENJI“(『PINOCCHIO』/現、『CLOVER ダンス塾&STUDIO』代表)、
00年編から紹介している”Hilototti“(現、『Hilotes』代表)
に加え、
99年編より紹介している ”MORIARCH“(『BIOBLOOD』),
08年編より紹介している ”HIDEYOSHI“(『LOKI』, 『DIZZLEZ』),
06年編より紹介している ”WUTA“(『YELLOW SUNS』)
の5人でした。
各ジャンルで世代交代があるって良いことですね。
結果は、
=2on2=
優勝:”WOWZ“&”Wild Twiggz“
準優勝:”YU-YA“(『MASH BRUSH 』, 『WEST-O』)&”KAZUfreak”(『freak』, 現、『A.R.E.S』)
=ソロ=
優勝:“SANTA”(現、『PINOCCHIO』, 『WARPs』)
準優勝:“UC”(『daft』, 『INDIAN CREW』)
でした!
2016年にも特別開催されましたが、
また、いつか開催されてほしいイベントですね。
『ROCK IT』世代として、語り継いでいきたいです。
エンブレム 2010とその後
さて、
07年編より紹介している東海最大級バトルイベントといえば、
『THE CENTRAL EMBLEM(以下、エンブレム)』
でした。
こちらは、2010年を超えてもまだまだシーンの中心で、バトルシーンを盛り上げ続けていきました。
まず、
1月は『エンブレムQUEEN』でした。
▲エンブレムQUEEN 2010 フライヤー
4代目となるQUEENには、
なんと初代QUEENである“NANA”(『GESSO』)が2度目の栄冠に輝きました!
▲エンブレムQUEEN 2010 トーナメント表
決勝は地元岡崎対決ですね!
そして、
”MAKI“×”YAE“の『W.a funky star』(05年編参照)対決、
”YAE”דAhyumi”の『Ah!』対決など、
身内対決も多くて面白いですね。
▲THE CENTRAL EMBLEM 2010 QUEEN レポート
そして、
5月は『エンブレムKING』でした!
▲エンブレムKING 2010 フライヤー
この年にKINGの栄冠に輝いたのは、
名古屋シーンでの活躍に飽き足らず、上京後も全国的に活躍していた、
99年編より紹介していた“ATSUSHI”(『ALL GOOD FUNK』, 『3KICK SPILIT』)でした!
まさに凱旋チャンピオンですね!
▲THE CENTRAL EMBLEM 2010 KING トーナメント
決勝の“DALMA”は、08年編より紹介している “HIDEYOSHI”(『B-BLAND』, 『Boxxtop』/のちに『LOKI』)です。
今なお現役のダンサーがトーナメント表にはひしめき合っていますね。
▲THE CENTRAL EMBLEM 2010 KING レポート
そして、
9月には男女混合の『エンブレム SPECIAL』が開催されました。
この年の東海地区バトラーno.1を決めるイベントです。
▲THE CENTRAL EMBLEM 2010 SPECIAL フライヤー
JUDGEも、各ジャンルの全国トップクラスのダンサーが集結するお祭りイベントでした。
そして、
4代目となる“GRAND MASTER“に輝いたのは、
なんと2008 GRAND MASTERの“ヒロト”(現、“Hilototti”/『Hilotes』代表)でした!
▲THE CENTRAL EMBLEM 2010 SPECIAL トーナメント表
強いですね!
まだこの頃もボウズにニューエラでした。
今ですら自然と一体化するナチュラルなダンスを掲げていますが、
当時は首が取れそうなターンという、身体に無理をさせる踊りが必殺技でした。
そして、
『エンブレム』の基本シリーズは続きますが、
この年で開催されなくなったのが、
09年編で紹介した『HIPHOP EMBLEM』でした。
この年は“vol.4”と“vol.5”が開催されました。
▲HIPHOP EMBLEM vol.4フライヤー
09年編で記したように、
vol.1〜vol.3の3回はすべて、
『INDIAN CREW』メンバーが優勝しましたが、
それにストップをかけ、vol.4で優勝したのが、
08年編から紹介している“YELLOW MONKEY”でした。
▲HIPHOP EMBLEM vol.4 トーナメント表
彼はこの年に初めてフランスへ行き、そこで大きな衝撃を受け、
さらに努力を重ね出した時期でしたね。
その後、
2012〜13年あたりには長期のフランス留学へと行き、
さらにその才能を開花させました。
▲HIPHOP EMBLEM vol.4 レポート
というわけで、
秋には『HIPHOP EMBLEM vol.5』が開催されました。
▲HIPHOP EMBLEM vol.5フライヤー
このvol.5でも“YELLOW MONKEY”が優勝しました!
『HIPHOP EMBLEM』を連覇しました!
▲HIPHOP EMBLEM vol.5トーナメント表
素晴らしいですね。
一気に東海のトップバトラーとして名を挙げた年となりました。
2011年以降のエンブレム
というわけで、
冒頭に記した通り、今回で振り返りを終了とする為、
今回は特別に2011年以降の『エンブレム』記録をここに纏めておきます。
まずは、2011年。
▲エンブレム2011 フライヤー
結果は、
QUEEN:“AIKO aka Queen WOWZ“(現、『ViiLoved』)
KING:”山犬“(『LOKI』)
SPECIAL:”UC“(『daft』, 『INDIAN CREW』)
でした!
▲エンブレム 2011 トーナメント表
『エンブレムSPECIAL』での優勝はやっぱり嬉しかったですねー!!
続いて2012年。
▲エンブレム 2012 フライヤー
結果は、
QUEEN:”マイオ“(from OSAKA)
KING:”山犬“(『LOKI』)
SPECIAL:”かんすけ“(『3generation』)
”山犬“はKING連覇ですね!
そして、
06年編でその活躍ぶりを記した浜松の“かんすけ”が名古屋で爆発しました!
▲エンブレム 2012 トーナメント表
続いて、2013年です。
▲エンブレム 2013年 フライヤー
結果は、
QUEEN:“なお”(『JG』)
KING:“BIG WEST”(『Boxxtop』, 『LOKI』)
SPECIAL:“山犬”(『LOKI』)
この年もまたPOP祭りでしたね!
全チャンピオンがPOPerでした。
そして、KINGを連覇していた“山犬”が遂にSPECIALでチャンピオンを獲りました!
▲エンブレム 2013 トーナメント表
続いて、2014年。
▲エンブレム 2014年 フライヤー
結果は、
QUEEN:“RINKA”(『FAME』)
KING:“キャラメル”(『DG JAPAN』)
SPECIAL:“UC”(『daft』, 『INDIAN CREW』)
▲エンブレム 2014 トーナメント表
QUEENでは遂に10代のチャンピオン誕生でした!
そして、KINGの“キャラメル”は交通事故復帰後の劇的な復活チャンピオンでしたね。
“UC”は、“ヒロト”に続き2度目の“SPECIAL”チャンピオンに輝きました!
続いて、2015年。
▲エンブレム 2015年 フライヤー
結果は、
QUEEN:“MIYU“(『myumyusanta』)
KING:“山犬“(『LOKI』)
SPECIAL:“ERi FeNeSiS“(『KEEP IT REAL』, 『DOWNZ』)
QUEENは昨年に続き10代のチャンピオンが誕生しました!
KINGは”山犬“3度目のチャンピオンでした!強い!
SPECIALは『エンブレムSPECIAL 2009』でJUDGEを務めていた”ERi FeNeSiS“が今度はチャレンジャーとして優勝しました!
決勝の”SANTA“(『WARPs』)とのバトルは好バトルでしたね!!
そして、
ラストイヤーとなる2016年。
▲エンブレム2016年フライヤー
結果は、
QUEEN:“MIYU”(『myumyusanta』)
KING:”CGEO“(『temporaly』)
SPECIAL:”kt“(『KICKS SENSE』, 『DOWNZ』)
QUEENは、”MIYU“が連覇しました!
KINGはもはや世界レベルの ”CGEO“が格の違いを見せて優勝しました。
SPECIALでは”kt“がスタイリッシュなbboyingを見せつけて優勝しました!
見事、最後のチャンピオンとなりましたね!
僕自身としては、
区切りとなる10周年のスペシャルで全国クラスの方々とともに、
JUDGEをさせていただいたことも思い出深い出来事であります。
当日は、お祭り感覚で、
『daft』の顔抜きパネルまで作っていただき、
沢山の方に遊んでいただきました笑。
ありがとうございました。
DANCE DYNAMITE 2010
さて、
名古屋の風物詩イベントが移りゆく中で、
最古である『DANCE DYNAMITE』は、
ずっと続いていきます。
本当にすごいことですね。
2010年のこの年は、20年目の節目回となりました!
この年は、
”予選“と”本選“を同じ日にやるという特殊な年でした。
クラス分けは2006年から続く、”KID’S CLASS“と”OPEN CLASS“でした。
▲DANCE DYNAMITE 2010 フライヤー
結果は、
[KID’S CLASS]
優勝:『シャムロック』
※関西のKIDSチーム。
準優勝:『New York City Poison』
※08年編から紹介している関西のHIPHOPチーム。
3位:『☆ROY☆』
※08年編から紹介している名古屋のHIPHOPチームであり、2009年の『DANCE DYNAMITE』優勝チーム。メンバーは、”HANA“(現、『ケロケロステッパーズ』), “シュリ”, “ミズキ”, “ヒナ”
でした!
KID’Sは県外勢の勢いが強かったですね。
▲DANCE DYNAMITE 2010 KIDS class 入賞チーム
そして、
[OPEN CLASS]
優勝:『デロイト』(“ヒロト”(現、“Hilototti”), “SUSUMU”(現、“Susumu Spaniel”/『A.R.E.S』), “MONA”(現、『1994』))
※『DANCE DYNAMITE 2006』の優勝者である “ヒロト”が当時、生徒だった “SUSUMU”と“MONA”を率いて見事優勝しました!
準優勝:『Romp』(“KANAMI”, “IDUMI”(現、『Artinformel』), “MAIKO”)
※06年編より紹介しているフィメイルJAZZチーム!毎回コンセプトある踊りで観客を魅了していました。
3位:『S.p.G』(“スーパーYUKA”(現、『off wite 』), “chibiyuka”, “NAMI”, “KANAKO”)
※フィメイルHIPHOP4人組!当時、音ハメ系の名残もありつつ、コンテストに強い作品のHIPHOPを展開していました。
という結果でした!
この年は“個人MVP”というのもありまして、
これは“ヒロト”(『デロイト』)が受賞していました。
この頃より、ダブやエレクトロ寄りのヨーロッパによく見られたインストビートなどをHIPHOPチームがよく用いるようになってきましたね。
▲DANCE DYNAMITE 2010 OPEN class 入賞チーム
ちなみに、
我々『daft』(“UC”, “masahiro”)は、
前年度チャンピオンということで、
この年に“GUEST SHOW”をやらせていただきました。
伝統ある『DANCE DYNAMITE』で、
遂に自分たちがGUEST SHOWする日が来るとは。
と、非常に責任感を感じたSHOWだったことを覚えています。
『DANCE DYNAMITE』は、
翌年より、小学生までの“KIDS CLASS”に加えて、
中学生までの“中学生ジュニアクラス”を新設し、
その後、2015年には“高校生シニアクラス“も新設され、
現在では、”小学生キッズ“, ”中学生ジュニア”, “高校生シニア”, “OPEN”と4部門に分かれて開催されております。
こちらも、OPEN CLASSのみ、
2011年以降の優勝チームを記しておきます。
[DANCE DYNAMITE チャンピオン]
2011年:『ルーツクルー』(from OSAKA)
2012年:『TAKE IT OCTOPAS』
2013年:『BREEZIN』
2014年:『BREEZIN』
2015年:『HYBREED CONNECTION』
2016年:『Soul of the spirit』
2017年:『DIZZLEZ』
2018年:『KENTA+HANA』
2019年:『FAVO+LAS』
JDD vol.17とその後
さて、
『DANCE DYNAMITE』と同じように、
毎年記してきたイベントのひとつに、
94年編から紹介している『JAPAN DANCE DELIGHT(以下、JDD)』があります。
僕ら『daft』はこの『JDD』の“FINALIST”になることが悲願となっていました。
そして2010年も、
『JDD vol.17』名古屋予選がありました。
予選通過チームは、
・『FULL AHEAD』(“NOBBY”, “YU-MAH”, “MIHO”)
※仙台、和歌山、長崎のカリスマLOCKerが手を組んだスーパーチームです。
・『DEEP』(“エリツィン”, “WREIKO”)
※関西のfreestyleチーム。メロウな曲からハイパッションな曲まで、独自の世界観で踊りこなせる目にも耳にも心地良いフィメイルチーム。
・『BUSTA JAKK BOOGIE』
※のちに『JDD vol.21 final』で優勝することとなる関西のLOCKチーム!メンバーは、“TAKE-C”, “BEZI”, “TSUCCHI-”, “TATSUYA”, “YO!SUKE”の5人組。
の3チームでした。
▲JDD vol.17 名古屋予選通過チーム
まさかの地元チーム全滅でした。
『daft』もまたもや通過ならずでした。
この頃は、名古屋のチームは全国的にレベルが低いみたいな言われ方をしだした数年間でして、
その辺りも本当にショックでしたね。
しかし、
00年編より紹介している”KENTA“(現、『PINOCCHIO』)が、大阪の”TOM“(『1981』)と結成した『TRUST』で、
見事大阪予選を突破し、
『JDD vol.17』の”FINALIST“となりました!
▲TRUST
この年、唯一の東海ダンサーの“FINALIST”でした。
さて、
ここからは余談ですが、
『JDD vol.17 final』を観に行った会場で、
『JDD』名古屋予選でもJUDGEをしていた ”KATSU“(『MASH BRUSH』)からこう言ってもらいました。
「毎年、名古屋予選のJUDGEをしているけど地元チームが通過出来ないのは本当に残念。
『daft』は毎回とても惜しいけど、強いて言うなら音源の繋ぎ方がもったいない。
それだけで全然違うから、俺に音編集をやらせてくれないか?」
大先輩からのまさかの提言でした。
これまで何でもかんでも自分たちだけで作り上げたいという意識が強すぎた面がありましたが、
衣装も『.boil design』(現、『DANCE LABO』)にお願いしてから、自分たちのイメージを具現化してくれる協力者がいることの大切さを感じていましたし、
もう『JDD』の”FINALIST“になる為に協力していただけるなら是非お願いしたいと頭を下げ、
”KATSU”との音源編集ミーティングを重ねていきました。
僕らが選曲した曲をどう繋ぐと自然か?展開がつけられるのか?
何度もミーティングしながら、たくさんのことを学びました。
そして、
翌年の『JDD vol.18』で初めて『daft』は “FINALIST”になれました。
同世代の『Bo’z』, 『Skullz』と比べて遅咲きですが、
それでも嬉しかったですし、
大先輩“KATSU“の顔に泥を塗らずに済んだことも嬉しかったです。
その後、
『daft』は、『JDD』“vol.19,22,25,26”と“FINALIST”となっていますが、
finalで結果を出せたことはありません。
vol.1, vol.2, vol.4と名古屋チームが特別賞を受賞して以来遠ざかっている、
東海チームの入賞を次は誰が果たすのか?
楽しみですね。
DANCE@LIVEの2010年
さて、
日本最大級のバトルイベントといえば、
05年編より紹介している『DANCE@LIVE』でした。
私“UC”自身も、1番参戦しまくっていたイベントでした。
“5th season”となる2009ー2010年は、
09年編で記した通り、“ベスト4”, “ベスト8”が1回ずつで2009年を終えており、
2010年に残した予選大会では、
『DANCE@LIVE KANSAI charismax』で“ベスト8”となったのみで終わりました。
ちなみに、
この『DANCE@LIVE KANSAI charismax』の時は、
名古屋から15人くらいで押しかけ、
“BaGu”(『ドメスティックバイオレンス』)が“ベスト4”まで入る大暴れをかまします!
マジで優勝してもおかしくない勢いでしたね笑
▲DANCE@LIVE KANSAI HIPHOP レポート
そして、
結局“UC”は“5th season”をランキング第13位で終え、
“FINALIST”とはなれませんでした。
ということで、
『DANCE@LIVE 2010 final』に、
東海からFINALISTとして登場したのは、
“HOUSE”sideでの“KENTA”(『TRUST』, 『FREE ENERGY』/現、『PINOCCHIO』)でした!
▲DANCE@LIVE HOUSE レポート
▲DANCE@LIVE HOUSE レポート
関西予選での”優勝“をはじめ、
最終予選でも”準優勝“し、
見事に“FINALIST”となりました!
▲KENTA
※YouTuber『レペゼン地球』より先に、レペゼン地球を名乗っていました!笑
また、”KIDS“sideでも、
08年編で紹介した”かりん“が、そのセンスをまざまざと見せつけ小学生ながら見事FINALISTとなりました!
▲DANCE@LIVE KIDS レポート
▲DANCE@LIVE KIDS レポート
あまりに大人びたファンクネスな踊りに、
みんなが度肝を抜かれ、
ついたキャッチコピーが、「小さいおっさん」でした笑
▲かりん(当時小5)
また、
『DANCE@LIVE 2009 FINAL』では見事 ”FINALIST“となった”ダイゴ“(『Calpas』)も、
”5th season“で1度優勝を果たすものの、
ポイントが足りず、2年連続の“FINALIST”にはなれませんでした。
▲DANCE@LIVE HOUSE レポート
ということで、
2010年後半には、『DANCE@LIVE 6th season』が始まります。
予選も全国で行われるようになったり、
”RIZE“sideも中部大会が開催されるようになったりとさらに拡がりを見せて行くのでした。
▲DANCE@LIVE RIZE中部大会 vol.1 レポート
ちなみに、
今更ですが、『DANCE@LIVE final』で”メインMC“を初回からずっと務めているのが、
92年編から紹介している”You-Gee“(現、『Studio U』代表)でした。
世界最大級のダンスバトルイベントに、地元名古屋のダンサーを超えたマルチタレントが毎年仕切っているのは本当に誇らしいですね!
▲You-Geeインタビュー記事
これだけマルチだと、それは話題になりますよね◎
ダンス、HIPHOPへの深い愛情を感じられますね。
その他東海勢の活躍
さて、
それ以外に目立った東海勢の活躍を記していきます。
まず、
バトルでは、
大阪の『HOOK UP』では、
”UC“が2回連続で”ベスト8“でした。
『DANCE@LIVE』も含めてミスターベスト8ですね。
▲HOOK UP! HIPHOP レポート
そして、
”KENTA“(現、『PINOCCHIO』)は”準優勝“に輝きました。
▲HOOK UP! HOUSE レポート
彼はこの年はまさに全国に飛躍した年でしたね!
HIPHOP CREWバトル『THE PARTY』では、
07年編で紹介した『BROTHER HOOD』(”MITSUO“(現、『DANCE STUDIO Cypher』代表), ”ヒロト“(現、”Hilototti“))が最小人数の2人ながら”ベスト4“に入りました。
▲THE PARTY レポート
そして、
『OLD SCHOOL NIGHT』では、
06年編で紹介した岐阜の”HAYATO“と、08年編で紹介した静岡の”KUBOTA“からなる『Funk Theory』が”ベスト4“に輝きました!
▲OLD SCHOOL NIGHT 2010 レポート
※LOCKの”ベスト16“には、 ”MAKI“&”YAZAKI“の『味噌煮込み宝刀』もいますね!
そして、
ダンスコンテストでは、
06年編より紹介した『ALL JAPAN SUPERKIDS DANCE CONTEST』において、
09年編で紹介した『CENTRAL STRIKERS』(”KEITA“、”KOHEI“、”KYOTA“、”RYUICHI”(現、“RYU ONE”(『Love Traffic Accident』)、“SHIRYU”(現、“子龍”/『ケロケロステッパーズ』)、“KAZUKI“、“SHIORI”)が“優勝”し、
見事、小学生日本一の座に輝きました!!
▲ALL JAPAN SUPERKIDS DANCE CONTEST 2010 結果レポート
▲CENTRAL STRIKERS
そして、
“ダンス界の甲子園”と称される『DANCE ATTACK』では、
中学生部門において、小牧市の『Sunswish』が“特別賞“を受賞しました!
▲Suswish
”TOMOYA“(現、『FAVO+LAS』/『MAD HOPE DANCE STUDIO』代表)率いるチームであり、
『DANCE STUDIO VOYAGE』出身のチームでした。
ちなみに、
『DANCE STUDIO VOYAGE』がプロデュースしていたチーム『ZERO』(”TOMOYA“も所属)は、
この年、アメリカで行われた『HIPHOP INTERNATIONAL』(通称:HHI)へ日本代表として出場し、
見事世界一を勝ち取っています!
▲ZERO 動画
そして、
『DANCE ATTACK』高校生部門では、
06年編から紹介している ”MONA”(『3PEACE』, 『V.I.P』, 『BULL BABE』, 『デロイト』)と、
05年編より紹介している”TAEKO”(『まいけるじゃく3』/現、『BO:CE』)の、
『1994』コンビからなる『SKUNK』が”優勝“し、日本一となりました!
▲DANCE ATTACK final レポート
一曲目の『No Diggity / Blackstrebt』での踊りはとてもかっこよかったですし、
何踊らせても踊れるんだなぁという幅の広さに感嘆しましたね!
各世代でそれぞれの華が咲き乱れていますね。
さらに大学生でも、
大学生限定コンテスト『BIG BANG!』で、
『Nagoyalization』(”Ahyumi“, “CHIKA“, “YUI“, “AYAKA“, “MIZUHO“)が”特別賞“を受賞しました!
▲Nagoyalization
08年編で紹介した”WAACK“を追求したチームであり、
名古屋でも”WAACK“ダンサーが増えてきていた時期でした。
ちなみに、
この年に結成されたWAACKチームが、
『GLITTER』(”Ahyumi“, ”RENA“, ”佳代子“, ”KAORI“(現、『Artinformel』))であり、
結成のきっかけは、07年編で紹介した『CALPAS』の“OGA”の結婚式二次会での余興showだったそうです!笑
結成後わずか1〜2年で、『DANCE DYNAMITE 2011』”準優勝“, 『NAGOYA DANCE DELIGHT vol.1』”特別賞“など、
名古屋WAACKシーンのアイコン的存在として活躍しました。
また、
この年にアメリカで行われた『I.A.S.F. Worlds 2010』において、
『DSF Brilliants』(”Chika“, ”Koz“, ”Saki“, ”Mayumi“, ”Yuki“, ”Rina“, ”Ma-mi“, ”Azusa“, ”Shino“)が”優勝“しました!
▲DSF Brilliants
そして、
そのチームの振り付けをしていたのが、
01年編より紹介している ”AGATCHI“(『TEAM』, 『YAMAKAJI』, 『GPRA』)であり、
振付師との能力を高く評価されていた彼は、
翌年始まる『Legend Tokyo』の出展振付師として、
名古屋から唯一選ばれました。
▲Legend Tokyo chapter.1 フライヤー
その後も、世界一のチームを何度も輩出し、
今なお幅広く活躍しています。
▲AGATCHI
名古屋の様々なクラブイベント2010
さて、
様々なダンサーが様々な地域で活躍しますが、
やはりそれもこれも地元が盛り上がってこそですね。
地元名古屋のダンスイベントといえば、
この年も、
01年編から紹介している『TOSS IT UP』、
98年編から紹介しており、07年編でその変遷を記した『WILD WILD SMILE』
であったことは、
何度でも記させてください。
そして、
HOUSEシーンでは、
07年編で紹介した『NAGOYA HOUSE NIGHT』がこの年、”9周年“を迎えるなど長寿イベントとなっていました。
▲NAGOYA HOUSE NIGHT 9th anniversary フライヤー
そして、
07年編で紹介した『JOYOUS』(”YASU“(『FOOT ILLUSION』)オーガナイズ)が、この年に復活しました!
▲JOYOUS フライヤー
名古屋topのDANCE SHOW、
極上のHOUSE music、
美味しいOriginal Food&お酒、
ジャンル関わらず楽しめるパーティーでした!
全国、海外からのGUESTが来ることもあれば、
ハロウィンイベントなど企画ものも多く、
その都度みんなで盛り上がっていました。
そして、
07年編で紹介した”HOUSE MUSIC“でのフリースタイルバトルとして盛り上がった『BRUSH UP』は、
2009年よりオーガナイザーを ”Ahyumi“(『GLITTER』, 『Nagoyalization』)が引き継ぎ、
この年に賞金10万円のグラチャン大会をひらきました!
▲BRUSH UP グラチャンフライヤー
当時、名古屋のバトルイベントで賞金10万円のものは皆無に等しかったので、
みんな色めきたちましたね。笑
そして、
初代グラチャンに輝いたのは、
”UC“(『daft』/『INDIAN CREW 』)
でした!
当日予選から勝ち抜いて、そのまま一気に優勝までいきました!
翌年以降も、
ポイント制で上位のダンサーがグラチャン大会に進めるイベントとして、
人気を博しました。
また、
2007年より始まっていたパーティー『EMOTIONAL SOUNDS』(”DJ SHIN”&”DJ KANE”主催)も、
ダンサーが多く出演するイベントとして人気を博していました。
2007年から2010年夏までは『club WALL』で開催していました。
▲EMOTIONAL SOUNDS 3rd anniversary フライヤー
そして、
この年の10月に、
『club Lover:Z』がリニューアルオープンしました。
前身の『J-CONNECTION』から、一時はフィリピンパブなどにもなりつつも、
またクラブとしてリニューアルされました。
▲club Lover:Zリニューアルパーティー
そして、
『EMOTIONAL SOUNDS』も、
『club Lover:Z』へと開催地が変わっていきました。
▲EMOTIONAL SOUNDS renewal フライヤー
その後、
02年編で紹介した『NIGHT CRUISING』も、
“DJ MATSU”が新たに”MORIARCH”と復活させ、
開催場所とコンセプトも改め、
今や『club Lover:Z』の代表イベントとして、
若手ダンサーの憩いの場として人気を博しています。
ちなみに、
09年編で紹介した『BOOGIE TRAIN』(通称:ブギトレ)は、
この年もすさまじいGUEST, 東海最高峰のOLD SCHOOL DANCE SHOW、
そして、極上のDJ Timeでチケットsold outのモンスターパーティーとして盛り上がりました。
▲ブギトレ 2010 フライヤー
新たな出発、新たな経験
さて、
いつの時も新しい出発をする人がいるものだと思いますが、
この年に身近で新たな出発をした方々を紹介します。
まず、
僕ら界隈で新たな言葉が流行し始めました。
それが、
「ばーにん」
でした。
発案者については諸説ありますが、
1番最初は”DEJI“(『Bo’z』, 『Skullz』, 『INDIAN CREW』)という説が濃厚です。
”DEJI“の放った言葉を後輩”たつや“が拾い上げ、
使うようになりました。
当初、彼はこのように解説していました。
“バーニンとは、非常に深い意味を持ち二十代前半では、到底理解出来ないと思うであろう言葉、もしくは感覚。
その感覚を求め、日々を生きてる。”
(当時のたつやのブログより)
当時、24歳の彼がこう言っていました笑
何のことかわかりません。笑
具体例を出すと、
”いい音は良い。
頭の裏側まで染み込んできて、自然と体が反応する。 ”
これが、ばーにんだそうです。
要するに、先入観や知識に惑わされず、心の琴線に触れるかどうかの感覚を大切にしたいということでしょうか?
そんな“ばーにん!?”を追い求めて、
始まったイベントが、
08年編で紹介した『Skullz LINE』(“ヒロト”, “DEJI”, “0014”, “HAL”, “U-SUKE”, “たつや”)が仕掛ける、
『ばーにん⁉︎』でした。
▲ばーにん⁉︎ フライヤー
その後も、『ばーにん⁉︎』は、
京都のイベントとコラボ開催したり、
スノボのイベントとコラボ開催したり、
未知なる“ばーにん⁉︎”を求めて、精力的に活動していきました。
そして、
いつしか“たつや”は“baanintatsuya”となり、
“BaGu”との『ドメスティックバイオレンス』で衝撃的なSHOWを展開していくこととなります。
※ちなみに、もうひとつの流行語?、”MC ROKUDENASHI“の「トゥーフィー」は翌年(フランスで)生まれることとなります。
そして、
二つ目は03年編で紹介した”SUGI“(『PUNCH』, 『NIGHT RYDERS』)が、
「TVチャンピオンお好み焼き選手権」優勝者の看板を引っ提げて、
地元愛知に鉄板料理屋『らくだ』をオープンさせたのもこの年でした。
そして、
97年編より紹介している ”TAKAOMI“(『entrance』, 『THE OLDYZ SHOP』)がこの年に地元の三重県鈴鹿市にオープンさせたのが、
『DANCE STUDIO entrance』
でした!
三重でダンスだけでなく、カルチャーとしてのHIPHOPを学べる希少な場所として、
その後、多くのダンサーを輩出しております。
やはり、
最後は地元に還元していくというのもヒップホップですね!
あとは、
個人的にはこの年に初めて生で拝めたのが、
僕の嫁である”タエコバドゥ“(『ARROGANT』)がダンサーネームにも入れているほどファンである、
”Erykah Badu“でした!
▲Erykah Badu
※夫婦でドキドキ・ワクワクしながら、横浜まで行った甲斐がありましたね!
最高でした!
そんなに広くない会場だったので間近で聴けましたし、
途中、”Erykah Badu“に絵を描いてもらっているファンがいて、
羨ましいなーて見ていたら、後から実はそのファンがそれが ”MIHO“(『Marjoram』)だったというミラクルもあったりしましたね。
▲Erykah Baduの絵
※”MIHO“が相方”TOMOKO“への誕生日プレゼントとして送ったそうです!
さらには、ライブ後には、
横浜のバトルイベントに無理やり出て”準優勝“したりと、
この頃も、とにかく時間を惜しんででも、好きなものは直接経験したいと飛び回っていましたね。
▲横浜での決勝バトル。(KENTO×UC)
秋には2度目のNY旅行へ行き、
現地で色んなライブ観たり、クラブ行ったり、
その後は、上海の万博へ行ったりと、
とにかく刺激を求めていましたね。
最後に
もう記し出すとあれもこれも出てきてしまうのでこの辺でやめておきます。
この年も、年末は“BUNPEI”(『ROOT’S ON』)主催の『紅白ダンス合戦』がありました。
▲紅白ダンス合戦 フライヤー
この年には、夕方から開催し、
早い時間はKIDSのSHOWも入れて、
さらに幅広い年代で楽しんでいました。
▲紅白ダンス合戦 フライヤー裏面
企画物としては、
“段差”を使っていかに踊れるかと言う“段差(ダンサー)コンテスト”や、
各ジャンルのひとつの動きや技のみで戦う“カテゴリーコンテスト”など、
忘年会的なノリで楽しんでいましたね(^^)
ちなみに、
私“UC”は“段差”を使った“ダンサーコンテスト”で“優勝”しました笑
用意された1段の段差をどう使うのか?
発想、遊び心、アクシデント、ハプニングものならお任せくださいとばかりに、
楽しく踊れ?ました。
そんなこんなで、
共通点ある人たちと集まるのは楽しいものですが、
その共通点が、“音楽好き”, “ダンス好き”, “HIPHOP好き”だけでも十分なのに、
“レペゼン地域”まで一緒なら、
年代やらスタイルやらスタンスやら気にせずに、みんなで隔てなく遊べるシーンが1番理想ですね。
もちろん、うちうちで楽しくしているのが1番楽しかったりはするんですがね。
というわけで、
大先輩方が創り、繋いできた今の時代を、
どう踊りこなし、次に繋げていくのか、
日々を真剣に踊り、生きていき、
また次の10年、20年経った時に、たまに振り返ってみるのも面白いのかもしれませんね。
まとめ
HIPHOPも、ストリートダンスも、名古屋も、東海も、最高です。
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