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名古屋&daft STREETDANCE HISTORY3 〜2005年:第四世代の息吹〜

どうもです。UCです。

(これは名古屋&daft STREETDANCE HISTORY企画の目次3です。その他の目次はこちらからご確認ください。→名古屋&daft STREETDANCE HISTORY

また、名古屋STREETDANCE HISTORYの続編で.もあります。1990年〜2002年のヒストリー記事はこちらからご確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )
(2020.08.11 追記あり)


さぁいよいよ2005年です。

この年はダンスシーン全体としても、現代に繋がる変化が始まった年とも言えますし、
自分自身としても色んなことが巻き起こった1年だったなと思います。

かなりボリューミーになりましたが、
振り返ってみたいと思います。
(※文中はすべて継承略です。ご了承ください。)


揺れ動くdaft


この年、
僕ら『daft』(”UC“, “masahiro“, “TAKUYA“)は全員大学四年生になっていました。
卒業後の進路について悩む時期ですね。


私”UC“は、”理学療法士“になる為の学部・専攻に通っていた為、
この年は就職活動以上に、臨床実習・卒業研究・国家試験に追われる毎日でした。

masahiro“は、
進学時から”建築業“に進むことが目標であり、
大学生活を通してもそれは変わらず、建築工事の ”現場監督“になるべく就職活動をしていました。
地元の和歌山に帰ることはあまり頭になかったみたいで、愛知での就職を希望していました。

そして、
TAKUYA“は高校時代から非常に好奇心旺盛で、自由人な人間だったので、
この頃には色々な出逢いや経験の中で、”起業“を志向するようになりました。
当時、
TAKUYA“が家庭教師の営業のバイトにハマり、
そこの給料が歩合制だったこともあり、
その敏腕ぶりを発揮しだしました。
最大で月に3ケタとか稼いでいた時もありましたからね!

そして、
その中で自らの”起業“を目指すようになり、
それに伴い、ダンス練習に割ける時間が少なくなってきました。

それでも、
3人で踊っていきたいと言う想いで、
練習不足でも3人の『daft』で臨んだ『DANCE DYNAMITE 2005』は予選落ちしました。
しかし、
この年より”敗者復活戦“制度が出来たことを知らされました。

UC” &”masahiro”は”敗者復活戦“で一矢報いたいと思いつつも、
TAKUYA“は、
「ダンスは好きだけど、あくまで楽しいからやっているだけ。やりたいことが見つかった今、キツい思いして練習してコンテストに出る意義が見出せないし、2人に悪いから休むわ。」
と言いだし、
daft』を休止してしまいました。

残った“UC“と”masahiro“は、
「俺らは3人で踊っていきたいし、 “TAKUYA”の負担にならない程度で楽しく踊り続けていこう。」
「だけど、『DANCE DYNMAMITE』だけは2人で思い切り詰め込んで、爆発させて最後のコンテストにしよう。」
という結論に達しました。


こうして2人『daft』が始動しました。
最初は、“T”の“TAKUYA”が抜けるなら、
daf』にして出るか〜みたいな案も言ってましたが、
今回の“TAKUYA”は脱退ではなく、休止ということで、
変わらずチーム名は『daft』でいくことにしました笑
(屁理屈ですね笑。
ちなみに現在も、“TAKUYA”は休止中です笑)

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▲2005年のdaft(左から、UC, masahiro)


元々、世界観の濃い踊りが好きで、
「HIPHOP=自己表現」の精神性にハマっており、
「自分たちにしか出来ない踊りをしたい!」という想いが強い僕らでしたが、
その表現性の中に、“TAKUYA”が1番“ミーハー”で“軟派“であり(良い意味で)、
そこである意味バランスも取れてはいたのですが、
UC”と“masahiro”の2人になったことで、
さらに好みは偏り、ドロドロとした哀愁や、一瞬の煌めきを求める踊りへとより濃く傾いていきました笑

そして、
DANCE DYNAMITE 2005』への2人チャレンジをキッカケに、
もう一回だけ頑張ろう。
あと一回だけチャレンジしよう。
ってやっているうちに、
気がつけば、今現在に至ります笑

そんな大学四年生の思い出でした。

それではこの年の名古屋シーンや、ダンスシーンの出来事も振り返っていきたいと思います。

DANCE DYNAMITE 2005


まずは、
前述の、91年編から紹介し続けている東海の風物詩イベント
DANCE DYNAMITE』ですが、
この年は節目の第15回大会でした!

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▲DANCE DYNAMITE 2005 フライヤー


04年編で記したように、昨年から予選会場が『OASIS21』の”銀河の広場“になっていました。
そして、
この年から、本選も『OASIS21』に移ったのでした!
オープンエリアということもあり、
延べで1万人近い人たちが観戦することとなりました。
以来、
2017年まで本選会場も『OASIS21』が続きます。


もうひとつ、
この年は変革がありました。
それが、
小学生以下の”KIDS class”の創設でした!
実は、2004年に試験的に”KIDS class“を行いましたが、
これは予選の時にのみ開催し、すぐに優勝を決めたのですが、
2005年からは”KIDS class“も予選を経ての本選を行うこととなりました。


KIDSダンサー“が増えてきた時代だったんですね。
現在、国内最大級とされるKIDSダンスコンテストである『ALL JAPAN SUPERKIDS』が開始されたのも2006年ですから。
この頃に”KIDSダンサー“として衝撃的にカマしていた人たちが2020年現在の最前線世代になりますね。

こうして振り返ると、
この時期が時代とレベル、もしかしたら価値観すら変わったターニングポイントだったかもしれませんね。


というわけで、
KIDS CLASS”で予選を通過したのは、

・『RUSH BALL
※レペゼン大阪のHIPHOPチーム!メンバーは”KYOKA“と”MAiKA“、当時小3と小1の2人組です。
当時から、ずば抜けていましたが、のちに『JUSTE DEBOUT 2016』,『WDC2019』優勝をはじめとした、世界一の称号を獲得しまくる世界的なHIPHOPチームです。

・『Barn Beat
※”yukishibuya“, “haruki“(現、『Artinformel』), “CHINATSU“(のちに『MAX DIVA』), “ヒトミ“の4人組!
その後は、この直後に加入する “AMI“と“yukishibuya“の2人組となり、
復活した『高校生ダンス甲子園』や『スタードラフト会議』などのダンスTV番組で優勝しまくったスターダンサーです。
まさに名古屋の“赤い彗星“ですね!

・『FAB☆GEAR
※この頃の名古屋KIDSシーンを代表するLOCKを基調としたチーム!
メンバーは、“北斗”, ”RYO”, ”Ryusey”, ”YU-KI“の4人。今もメンバーの何人かは踊っているのを見かけますが、勝手に嬉しく思っています◎

・『BLACK BEENZ
※勘の良い人なら分かると思いますが、
93年編から紹介している『BLACK BEANZ』の “IKUMI”が夫婦で手掛けるスタジオ『FORCE DANCE STUDIO』のチームですね!
レイナ”(のちに『BULL BABE』), ”YUMI“, ”TOMOKO“などがいました。

・『Hyper☆7
※情報募集中。

の5チームでした。(順不同)

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▲DANCE DYNAMITE 2005 KIDS 本選進出チーム


優勝は、
RUSH BALL』でした。
この頃から大人クラスのダンサーより上手でした笑
完全に天才でした笑


そして、
OPEN CLASS“で予選を通過したのが、

・『B.D.BUG
※関西のベテランロッカー”HOSE“(『SOOS』, 『J-SOOS』)率いる4人組チーム。関西から参戦していました!

・『ANSWER
99年編より紹介している”SHOJIN“が、
オリジナルチーム『密林』の”AGURI”, ”TAKUMI“(現、『enjoynt dance school』代表)と、
昨年優勝チームである『MATSURI』メンバーの ”B-YASU”(『NEXT SCHOOL』/のちに『CONCRETE SOUL ROCKERS』),
そして、”JUNYA”(現、“クマPOO”)
の5人で構成したユニットチーム!
JUNYA”はこの時期から“CLOWN”を踊っていました。

・『G.T.SEAK
99年編で紹介して『HU-GE』の”YU-KI“の生徒で構成されたフィメイルチーム!
メンバーは、”NATSUMI“, ”CHINAMI“, ”KEIKO“, ”KAORI“の4人。
本来は師匠の“YU-KI”も含めた5人組だが、この時は4人で予選突破!
4人は僕ら『daft』とタメであり、三河拠点の『Bo'z』の兄弟分チームでした。

・『KoRock
02年編より紹介している小学生から頭角を現していたスターチーム。”泰智“, “J“, “いっとん“, “あっつー“, “KAZUTO“に加え、この頃には “Susumu”(現、“Susumu Spaniel”/『A.R.E.S』)も加入しパワーアップしています。
ちなみに、
前述の『Barn Beat』の “yukishibuya”は、“泰智”の妹です。

・『Bo'z
04年編で紹介した豊田のHIPHOPチーム!
この時から、“DEJI”, “YUTA”(現、“0014”), “YAMA-chan”, “YU-JI”の4人に加え、師匠である“ヒロト”(現、“Hilototti”/『Hilotes』代表)と、その当時のチームメイト “HIROAKI”(現、“WOWZ”)も加入し、6人組となった重量級HIPHOPチーム!

・『MITSURIN
04年編で紹介した『DANCE DYNAMITE 2004』で優勝した『MATSURI』の“HIROKI“, ”FUMIYA”(現、”Hal”/『Aerstix side』)に加え、
たっちん”(のちに『BODY CORNIVAL』/現、『一撃』)、
TETSU“(のちに『TAKE IT OCTOPAS』, 『CONCRETE SOUL ROCKERS』)、
YUSUKE“(現、”YUSUKE333”/のちに『MINITZ MADE』, 『TAKE IT OCTOPAS』)
の5人からなる新生『MITSURIN』でした!
のちに世界レベルになるbboyばかりですね!

・『W.a funky Star
00年編より紹介している『enokeen』の “AKO”, “YAMA”と、
SOULを愛する“YAE”(のちに『Ah!!!』),
LOCKを愛する “MAKI”(『L.LSTYLE』/のちに『味噌煮込み宝刀』)の4人組!
名古屋OLDシーンを牽引し、支えてくれたメンバーばかりです。

・『G.T.TRIBE
01年編で紹介した『TEAM』の“TOSHI”とその生徒からなるチーム!

・『U go girl!
04年編でその活躍ぶりを紹介したフィメイルチーム!
01年編から紹介している『遊闇』の“RENKA “(現、『Rei NAGOYA』ディレクター), “LISA“, 95年編で紹介した『SLAM KIDS JAM』の “ASAKO“(のちに”Ne-Yo”, ”Snoop Dogg”ツアーダンサー)の3人組。この年の優勝候補筆頭チームでした。

・『K-flavor≪ZERO≫
02年編で紹介した『K-flavor』の先生である “KATSUO”も参加したユニットチーム!
メンバーは、”KATSUO“, ”GOTCH“(『GATE』オーガナイザー), ”SOUGI“(現、”MC Sougi“), ”ユーキ“, ”シュウ“, ”まさし“, ”キノッチ“)
の7人でした!


以上の10チームに、
敗者復活を勝ち上がったのが、
・『daft』(”UC“, ”masahiro“)
※2人daft初の舞台でなんとか残りました。

・『N.O
00年編から紹介している“KENTA”(現、『PINOCCHIO』), “KEI”のHOUSEチーム!2004年は“TOWER RECORD”賞受賞チーム。

の2チームであり、
計12チームでの決勝でした。

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▲DANCE DYNAMITE OPENクラス決勝進出チーム


結果は、
Spy Master賞:『U go girl!
準優勝:『daft
優勝:『K-flavor≪ZERO≫
でした!

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▲DANCE DYNAMITE 2005 レポート


テンションの高さとハッピーなグルーヴで、
なみいる強豪抑えての優勝でしたね。

▲K-flavor≪ZERO≫


DANCE DYNAMITE』は、
このWINNING DANCEがあるのが魅力のひとつでしたね。
当時は、いつか踊ってみたいと思ったものです。


少年チャンプルと名古屋、万博と愛知


さて、
この時期にテレビ放送されていたダンス番組が『少年チャンプル』でした。
2004年に『DA PUMP』が出演するバラエティ番組として放送開始されましたが、
徐々にストリートダンスの比率が増え、
2004年10月には完全にストリートダンス番組となっていました。


90年編91年編で紹介した『CLUB DADA』, 『ダンスダンスダンス』, 『ダンス甲子園』、
98年編で紹介した『RAVE2001』、
に続く全国放送でのテレビ番組であり、
当時、全国の若者にかなり大きな影響を与えました。


そんな
少年チャンプル』の放送局は、名古屋の『中京テレビ』であり、
少年チャンプル』は2005年7月に終了してしまいますが、
終了後も『少年チャンプル』の人気は続き、
中京テレビ主催の『少年チャンプル』の名を冠したストリートダンスライブが行われていました。

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▲少年チャンプル in EXPO(参照:少年チャンプルダンス祭り in EXPO)


この年は、
愛知万博こと『愛・地球博(日本国際博覧会)』が開催された年なので、
万博関連のイベントでも、色んなダンサーが関わって活躍していましたね。
やはり、万博(『登録博』)が愛知であったってすごいことですよねぇ。
(※なんか解釈が割れるらしいですが、まぁ私としてはどちらでもいいです。)

あの大阪万博ほどのインパクトはないですし、
実際色々観た記憶も薄れてますが笑、
それでも、貴重な時代、瞬間に立ち会えたことはありがたかったですね。


ということで、
僕ら『daft』も、『DANCE DYNAMITE 2005』”準優勝“が実績となったのか、
この『少年チャンプルin EXPO』や、
少年チャンプル×24時間テレビ』のイベントなどにもお声掛けいただき、
何度か出演することとなりました。

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▲少年チャンプルin EXPO 出演者(参照:少年チャンプルダンス祭り in EXPO)


そこで、
テレビに映る(超短時間)となった途端、
休止宣言していた”TAKUYA“が「なら、俺も出ようかなー。」て言って、
その時は3人で踊ったっていう記憶もありますね笑


そんな感じで、
人気を博していた『少年チャンプル』は、
テレビ放送の復活を望む声が多く、
翌年には『スーパーチャンプル』として復活しました!

この時には、
00年編から紹介している”DJ MATSU“(『NEXT SCHOOL』)がDJとして音楽監修に入ったり、
さらに02年編から紹介している『KoRock』が番組出演をキッカケに人気が全国的に爆発するなどし、
全国クラスのダンサーたちのみならず、
名古屋のダンスチームもたくさん出演するようになりました。

また、追って記します。


久々の中部からのJDD finalist


そして、
この年は5年ぶりに『JAPAN DANCE DELIGHT(JDD)』の“中部予選”が開催された年でした。

会場は、
この年にオープンした『Zepp NAGOYA』でした!

僕ら『daft』はちょうど前述の”TAKUYA“脱退事件の真っ最中だった為に、
参戦を見送っていました。

エントリーチームは40チームから当日キャンセルが相次ぎで結果26チームということで、
確かに当日キャンセルが多い時代があったなぁなんて思い出しました。
(今後はこんなことあっては絶対にダメですよ!)

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▲JDD vol.12 中部予選 エントリーチーム

エントリーチームの中には、歴史を感じるチームもいますね。

・『DOOZY
97年編より紹介している静岡のドン ”GAN”(『ALL DEGREE』/現、『HOOD STUDIO』代表)と、
CHOOSE ONE』の”MITSUO“(現、『Studio Cypher』代表), ”MATO“(現、『DANCE STUDIO genie』代表)からなるチームであり、
MASUO“(『ALL DEGREE』), 01年編で紹介した”YOSHIYUKI“(『スカイラブハリケーン』)も所属していたチームですが、この時は3人で参戦でした。

・『Boogie Bandit
99年編より紹介している ”MORIATSU“(現、“MORIARCH“/『BIO BLOOD』), ”KATOKEN“, ”RYO“の『レオン』と、
98年編01年編で紹介した『The Message』メンバーである “IKU”と”NATSUKI”の『Mind of Soul
からなるユニットチーム。
今もメンバー編成が行われ、“MORIATSU”のチームとして残っているチーム名ですね。

・『クリティカルヒット
98年編から紹介している『名古屋城前ポッパーズ』の後期メンバーである “TSUKA”と“キャラメル”のユニットチーム!

それ以外にも、
01年編から紹介している
TEAM』(この時は、“NOBUTO”, “AGATCHI”の2人)
04年編から紹介している
GESSO』(“NANA”, “YURI”)、
前述の『DANCE DYNAMITE 2005』本選進出チームの、
G.T.SEAK』(“YU-KI”(現、『三河クルー』), “NATSUMI”, “KEIKO”, “CHINAMI”, “KAORI”)、
W.a fuky star☆』(“AKO“, ”YAMA“, ”YAE“, ”MAKI“)、
N.O』(“KENTA“, “KEI“)、
などもいますね。

この時はユニットですが、
Lil BIG』(“MIHO“, ”MAYUKO“)
とかも懐かしいですね〜
良いバイブスしていました◎


そんな中、
JDD vol.12』への本選出場を決めたチームが、
・『ARRIVA
98年編から紹介している”TOMO“(『激辛リベンジ』, 『PUNPKIN HEADS』)、01年編から紹介している”KAPPA“(『TEAM』, 『Isaac』)、99年編から紹介している”ASKA“(『密林』)、04年編から紹介している”NAO”(『Heart Be Groovin’』)という有名チームのメンバーが合体したユニットチームでした!
当時、名古屋ではまだ少なかった“スタイル系HIPHOP”を取り入れたSHOWで見事FINALISTとなります。

そして、
・『Bo’z
※前述の『DANCE DYNAMITE 2005』で紹介したように、04年編で紹介した元祖『Bo'z』に、彼らの師匠のチーム『 ICE BERG』を吸収した大型HIPHOPチーム。
メンバーは、“ヒロト”(のちに『Skullz』, 『澄香樹』), “HIROAKI”(のちに『Skullz』/現、“WOWZ“), ”DEJI“(のちに『Skullz』, 『澄香樹』), ”YUTA“(のちに『Skullz』/現、”0014“), ”YAMA-chan“, ”YU-JI“の6人組。

この2チームでした。

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▲ARRIVAとBo'z


自分たちとしては同世代がいきなり『JDD』のFINALISTになっちゃったことに、
僕らは表面では「おめでとう〜」とか言いながら、一気に差をつけられた悔しい気持ちの方が正直大きかったですねー。
04年編で記したように、当時はそこまで仲良くもなかったから、
「先輩入れて勝っても面白くないでしょ。」
なんて負け惜しみ言ってました笑


そんなこんなで、
久しぶりに復活した『JDD』中部予選でしたが、
しっかりと中部・東海のチームがFINALISTの切符を掴んだことは今振り返ってみても、
2チームとも流石だなと思います。

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▲JDD vol.12 中部予選レポート

のちに、
中部予選でも、地元チームが全滅なんて回も何度かありましたので。

そして、
Bo'z』(『ICE BERG』含む)の快進撃はさらに続きました。


名古屋でのコンテストイベント3連発


この年は名古屋で“ダンスシーン“に即したダンスコンテストが色々と開催されていました。

1つ目は、
04年編で紹介した、
KATSU“(『Beeper』, 『DEGIL FIRE』, 『moNsta』)が仕掛けるコンテスト『HEAT STREET』です。
昨年に続き、この年も開催されました。

このコンテストには僕らも出場しました。
おそらく、『DANCE DYNAMITE』後に、
どうしても「もう一回だけ」と言って、2人で出たコンテストですね。
泥沼にハマり始めた瞬間です笑

しかし、
daft』はまったく結果を出せませんでした。

代わりに、ここでも先輩チーム/強豪チームを押さえて優勝したのは、
Bo’z』(”ヒロト“(現、”Hilototti“), ”HIROAKI“(現、”WOWZ“), ”DEJI“, ”YUTA“(現、”0014“), “YAMA-chan“, ”YU-JI“)
でした!
この時の、『Muthafucka / xzibit』使いのネタはマジで今でも印象に残っています◎


そして、
2つ目に紹介するのは、
91年編より紹介している”You-Gee”(『Beeper』/現、『Studio U』代表)が、
この年から仕掛けた新たなコンテスト、『DANCE TRIMUCH』です。

当時多かった、“日中“に、“ステージ“で争うダンスコンテストではなく、
"深夜のCLUB”で、“FLOOR”で繰り広げられる、
よりシーンの原点に近づいたダンスコンテストでした!
しかも、
名古屋HIPHOPの聖地“丸美観光ビル“の『CIPHER the underground』で開催されました。

そして、
4回の予選大会を通過したチーム(=”TRI-MASTER”)が、
GRAND MASTER』を目指して戦う決勝大会がありました。

TRI-MASTER“になったのが、
・『FREE SIZE
※思い出し中。

・『G.T.SEAK
※師匠”YU-KI”とその生徒”NATSUMI”, ”KEIKO”, ”CHINAMI”, ”KAORI”からなるフィメイルHIPHOPチーム。この年はかなり勢力的に活動していますね!

・『HOT CHIX
※『Studio ZOO』より、彗星のごとく現れた若手チーム!
このチームの登場はかなり衝撃的であり、一気に名古屋を掻き回したJAZZチームであり、今ではメンバーの8割が海外在住のワールドワイドな新世代チームでした。
メンバーは、”あすぴ“, ”AMI“(のちに『A’s』), ”レーカ”, “ニコラ”, “セーラ”の5人でした。

・『GESSO
04年編から紹介しているHOUSEチーム。岡崎市出身の“NANA”と半田市出身“YURI”の83世代チーム。

・『頂志
※“SASA”が練習場所で「ウィンドミルやってみてよ」と同じ高校生(“Iguchin“, ”ISOWA“)に絡まれたことをキッカケに、その知り合いを紹介しあいながら集まったという新世代bboy集団!
メンバーは、“SASA”(現、『DANCE STUDIO33』代表), “YABETTY”(現、『STARGATE DANCE STUDIO』代表), “Ko-ketsu”, “Iguchin”, “ISOWA”の5人。
のちに“YASUTO”(元『MITSURIN』)も加入します。
ここものちにコンテストキラーとして活躍するチームです。

・『Jemi◆Little
※“YUKARI”率いる2人組フィメイルチーム。

・『RUMOR
※思い出し中。

・『舞子ロッククルー
※『DANCE DYNAMITE 2005』優勝メンバーの”キノッチ“含むクルー。

・『名古屋城前ポッパーズ
※名古屋を代表するPOPクルーから、98年編より紹介している “BUNPEI”(『ROOT’S ON』)と、99年編より紹介している“キャラメル”の2人で参戦!

・『ICE BERG
※前述の『Bo’z』メンバーであり、
04年編から紹介している
ヒロト”(現、“Hilototti”)と “HIROAKI”(現、“WOWZ”)のチーム!

・『daft
※“UC”, “masahiro”。この時は『GOHST CAULDRON』というマニアックなアーティストの曲で勝負していました!

の11チームでした。

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▲DANCE TRIMUCH 2005 FINALIST & JUDGE


新世代チームや、勢いある若手チームに対して、
ベテランチーム『名古屋城前ポッパーズ
がどう迎え撃つか?という構図でしたが、
ここで優勝して“GRAND MASTER“の称号を獲得したのが、
GESSO』(“NANA”, “YURI”)
でした!

賞金以外に、チームのPVも撮ってもらえるっていう賞品もあって、
それも熱かったですね〜◎

HEAT STREET』に続き、
自分たちと同世代ダンサーたちの優勝でした。

しかも、
今回は完全にタメのチームだし、その時の自分たちと同じ2人組だし、
もうすごいんだけど、やっぱり悔しい〜
という感じでしたね。


この時の、
GESSO』の白スーツにハットで、
最初にタバコに火をつけて、ふかしたあとで、タバコを足で踏み消すというマイム(音付き)から始まるネタも鮮烈に覚えてますね!
ヤンキー通り越して“マフィア”でした。

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▲GESSO(左から、NANA, YURI)


そして、
3つ目は、02年編で紹介した若手向けコンテスト『GATE』です。
2003年以降、開催頻度は月一回からは減りましたが、
不定期開催で続いていました。

そして、
2005年年末にも毎回の優勝チームを集めての、
GRAND CHAMPION SHIP』が開催されます!


この年のグラチャン大会に進出したのが、
・『AZ’s
※”AZU“(91年編で紹介した”TAJI“(『MAKE UP TRIPS』)の妹!), ”MARI“, ”erigon“(のちに『90STEPPERS』)などが所属するチーム!

・『GOOFY’S
※”MORIATSU“(現、“MORIARCH“)の生徒である岐阜大学のLOCKダンサー。
メンバーは、”カズマサ“, “ヒロキ“の2人組。のちに“つつみ”も加入します。

・『GESSO
※前述の『DANCE TRIMUCH 2005』“GRAND MASTER”を獲得したHOUSEチーム!
NANA”, “YURI”の2人組。

・『きゃんでぃ
01年編で紹介した『TEAM』メンバーである“AGATCHI”と、その生徒の“チビYUKA”(のちに『S.p.G』,『AGATCHILD』)との師弟チームです!

・『ICE BERG
04年編から紹介している”ヒロト“(現、”Hilototti”/『Hilotes』代表), “HIROAKI“(現、“WOWZ”)のHIPHOPチームです。ここにも出てきます。かなり勢力的ですね!

・『SNOB
※三重県津市で集まったチーム。“しょーごっち”(『masterpiece』/現、”showgotch”/『Dews』ライター)、"HAMO"、"kenG"の音ハメHIPHOPチームでした。

・『daft
※“UC”, “masahiro“の2人です。
グラチャン前の『GATE vol.24』で優勝して、
そのままグラチャン大会にも出場しました。

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▲GATE 2005 グラチャン大会フライヤー


ということで、
GATE 2005』の年間チャンピオンは、
ICE BERG
が輝きました!

HIROAKI”(現、“WOWZ“)は、2002年の『Ugly』以来、
2度目の『GATE』グラチャン優勝でしたね。
さすがでした。

ヒロト“(現、”Hilototti“)は、
当時、愛知で最も勢いのある若手HIPHOPダンサーとして、
完全に先輩方からも注目の的でした。

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▲豊田のイベントでは表紙になるほどのヒロト


その一方で、
僕ら『daft』はどのコンテストにおいても、
決勝大会には残るけど、”優勝“はできないということで、
課題を突きつけられた感じでしたね。


SUPERBAD & ROCK IT

さて、
01年編から紹介している『SUPERBAD 』は、
この年、またひとつ新しい展開を迎えました。

2001〜2003年は、『CLUB OZON』の ”STAGE”で、
2004年は、”丸美観光ビル“の”FLOOR”で、
それぞれ開催したイベントですが、
この年は、さらに規模を拡大して
女子大ROCK”として行われました!

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▲SUPERBAD 2005 フライヤー


昨年以上のCASTを揃え、
完全に名古屋のお祭りイベントとして定着しました!!

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▲SUPERBAD 2005 CAST一覧

本当にすごいメンツです。

ダンサーだけ写真で一気に紹介します!

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▲SUPERBAD 2005 DANCER


いやぁ、すごいメンツですね!

個人的に紹介したいのは、(今までに登場していない方を中心に。)
中部に拠点を移すなり、その濃いキャラと踊りで一気にシーンに溶け込んだ、
Ricardo“(現、『Inspirado』)ですね!

ブラジル→九州と渡り歩き、三河で”TONE“と意気投合し、
三河代表のHOUSEチーム『ESSENCE OF LiFE』に加入しました!

そして、
チョコランタン』(”NATSUKO“, ”とばっち”, ”みきぞー”)も岐阜を代表するフィメイルHIPHOPチームです。
Yan“に師事し、「R&Bで戦えるチーム」を目指し2002年に結成されたこのチームは、
結成後より精力的に活動しており、県外でも高評価を得ており年々存在感を増していました。

ちなみに、
NATSUKO“(『チョコランタン』)の生徒として2004年に結成されたKIDSチームが、
当時小学校低学年〜高学年の『まいけるじゃく3』(”ゆか“(のちの”スーパーYUKA“/『Man&Woman』, 『off wite』), ”TAEKO“(のちに『BO:CE』, 『1994』), ”NORIKO“(のちに『BO:CE』)でした!

岐阜から全国へと飛び出すスーパーダンサーの第一歩が踏み出されていたのでした。


そして、
03年編より紹介している『ROCK IT』も、
04年編で紹介したように徐々に毎月トーナメントバトルを開催するようになり、
また初代MC“番長 aka WIREMAN”(『TOTALIZE』)Aラジオ番組起用により卒業することになったので、
後釜のMCとして“CAZUL“より抜擢されたのが、
90年編より紹介している“YASU”(『MIAMI FACE』, 『MOVE UP』, 『UNIVERSE』)であり、
この時に“DELAYAS“というネームも誕生しました!

そして、
この頃よりバトル方式も“2on2”と変わっていきました。
この『ROCK IT』でも、
毎回の優勝チームを集めたグラチャン大会が行われました。
(2005年or2006年)

そして、
初代グラチャンに輝いたのが、
KENTA&AKO』でした!

KENTA”(のちに『PINOCCHIO』)と、
AKO”(『enokeen』, 『W.a. Funky Star☆』)
は、当時の若手筆頭格ダンサーコンビであり、
今では名古屋が誇る素敵なダンサー夫婦です◎

ちなみに、
ソロバトルの時のグラチャンも“KENTA”が獲得しており、
ROCK IT』で強さを発揮するとともに、
一気に名古屋のトップバトラーとしての地位を固めた時期でした。


その他のダンスイベント


そんな“KENTA”の師匠が、
01年編で紹介したように “KENJI”(『PINOCCHIO』)であり、
その”KENJI“はさらに大きな舞台で活躍を見せます。

この年の3月に始まったのが、
DANCE@LIVE』(現、『DANCE ALIVE HERO’S』)
でした。

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▲DANCE@LIVE vol.1 フライヤー


初めは”HIPHOP“と”HOUSE“のみで、単発イベントのつもりだったそうですが、
盛り上がった為、シーズン化し、
翌年、シーズンチャンピオンを決める『DANCE@LIVE final』が開催されることとなりました。

ここで”KENJI“は無双の活躍を見せますが、
それは次編以降詳しく記します。


そしてもうひとつ、
この年にあった名古屋シーンに残るイベントを紹介します。

それが、
2TIGHT 15th anniversary party
です。
the empolium』でのパーティーが行われ、
名古屋シーン黎明期を支えてきたダンサーが集結しました!

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▲2TIGHT 15th anniversary Party フライヤー

・『KING BOO&OZEHAN2005
プロローグ編から登場している大御所2人!

・『GATSBY IN THE JOCKY
91年編から紹介している『MIAMI FACE』の ”KOU“, ”DELAYAS“, 92年編から紹介している ”ANN“のチームに、この時は『PINOCCHIO』の”KENJI“も参加!

・『MOVE UP
90年編から紹介している”SENBA“, ”MICHI“の初代『MOVE UP』で登場!当時は2人とも東京にいました。

・『TEASE
91年編から登場している”維月見”, ”染香”が結成した98年編から紹介しているカリスマフィメイルチーム!この時は、”維月見“, ”染香“, ”AYA“, ”MAKI“の4人!

・『MESSAGE
プロローグ編より登場している”SHUNJI”が結成した、98年編から紹介しているLOCKチーム!この時は”SHUNJI“, ”IKU“, ”NATSUKI“の3人でした。
メンバーであった”KIN“(『名古屋城前ポッパーズ』, 『ROOT’S ON』, 『mo-Zone』)は当時上京していました。

・『ROOT’S ON
98年編で紹介した”ANI“, ”BUNPEI“の名古屋トップのブガルーチーム!

そして、
急遽出演をしたのが、91年編で紹介した
DIG』(”PINO“, ”RYO-Z“)
でした!
東京からわざわざ駆けつけてのSHOWだったそうです。

名古屋のトップのみを掬ったラインナップですね。

DJも、
・”KOOLY”(『SOUL VIBE COMPANY』)
・”KARNELL”(『Karnell'S Bar』オーナー)
・“BUTCHER”(『P.D.UNITS』)
・“KIYOMI
とこちらもレジェンドDJ勢揃いですね。

僕も若輩者ながらこのイベントに遊びに行った記憶があります。
トリで出てきた『2TIGHT』(“TOMOKO”, “KEIKO”)の踊りにグッと来たのも覚えています。
(mixi の日記にもそう書いてありました笑)


改めて、
この年も本当に色んなことがありました。


自分自身は、
仲間も増え、ライバルも増え、
“横の繋がり”はどんどん拡がりましたが、
シーンを牽引している先輩方との“縦の繋がり”はあまり拡がっていませんでした。

僕らが突っ張り、尖っていたことが1番の要因ではあるのですが、
その中で先輩にかけられた言葉から、
先輩方の器の大きさを感じさせられたり、
本質を突いた言葉をいただいたり、
刺激になることが増えていきます。

もちろん、
(あくまで自分たちの価値観での)是々非々を押し通していた自分たちは、
先輩や仲間から言われても納得できないことも多かったですが。

そんなこんなで、
社会に出る前の学生ダンサーが、
根拠のない自信や、シーンへの苛立ち、それをひっくり返す気概と、映像で観るたびに吐き気を催すほどの自分自身のダンスへのコンプレックスなど、
とにかく正にも負にも有り余っていたエナジー(負が多め)をぶつけ続けていた1年でした。


まとめ


名古屋シーン第四世代の台頭が現れ始めた1年であり、全国的にもバトルイベントやKIDS イベントが盛り上がり始めた1年だった。


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