名古屋&daft STREETDANCE HISTORY5 〜2007年:始動、焦燥、幸福〜
どうもです。UCです。
(これは名古屋&daft STREETDANCE HISTORY企画の目次5です。その他の目次はこちらからご確認ください。→名古屋&daft STREETDANCE HISTORY
また、名古屋STREETDANCE HISTORYの続編で.もあります。1990年〜2002年のヒストリー記事はこちらからご確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )
(2020.08.02 修正・追記アリ)
さて、今回は2007年です。
登場人物も増え、現役の年代も拡がり、また地域の壁もどんどん無くなっていき、
ボーダーレスなシーンとなり始めていく時代なのかなと思います。
色んなことが同時多発的に起きていきますが、
また自分の手の届く範囲で記していきたいと思います。
(※文中はすべて敬称略です。ご了承ください。)
INDIAN CREW 結成!
この年の春、
僕が仕事を終えてひと息ついていると“SUGI-J”(現、“MC ROKUDENASHI“/“Toofiyman”)から急に連絡がありました。
「今、みんなで飲んでいるから合流しないか?」
と。
聞けば、”DEJI“, ”YU-TA“(現、”0014“)(ともに『Bo’z』, 『Skullz』), ”TATSUYA“(『ILL BUCCNESS』/現、”ARROW“, 『DROP GIFT』代表)と飲みに来ていて、
盛り上がったので”UC”(『daft』)も呼ぼうということになったとのことでした。
04年編で記したように、同い年でありつつも距離感のあった我々は、
2005年もライバル意識剥き出しでロクに挨拶もしませんでしたが、
2006年になり、全員学生時代が終わると、みんな大人になったのか、ライバルと言うよりも、それぞれ愛知で頑張っている「仲間意識」というものが少しだけ芽生えていました。
とはいえ、
飲みに行くような仲では無かったので、
その誘いには驚きつつも、すぐに合流しました。
そして、
一緒に呑んで、投げて、歌って、熱く語り合って、、、
一気に意気投合しました笑
24歳となったこの2007年は、
学生を終えた同世代ダンサーが少しずつ減ってきていた時でした。
それなのに、シーンの中ではまだまだ若手で先輩たちの壁を崩せずにいました。
それでも、今でも踏ん張って頑張ってる、
”タメ“で、”男“で、”HIPHOP“なのは自分たちぐらいなんだから、
同世代どうし、敵対するんじゃなく、励まし合って高め合っていこうとなり、
一気に一緒に何かやろう!暴れよう!
と盛り上がりました。
ちなみに、
その時の朝方にカラオケ店を出たところ、 ”TATSUYA”(現、“ARROW”)が駐車場で、
突然、「俺たちインディアン〜」と叫びながら飛び跳ね出し、
それに合わせてみんなで飛び跳ねているうちに、
クルー名は『INDIAN CREW』となりました笑
そして今日は来れなかったけど、
相方 “masahiro”も同い年だから一緒に入れてくれとお願いし、
6人での『INDIAN CREW』が発足しました。
“SUGI-J”(『BEVIZ』)、
“TATSUYA”(『ILL BUCCNESS』, 『BEVIZ』)、
“DEJI”(『Bo’z』, 『Skullz』)、
“masahiro“(『daft』)、
”YU-TA“(『Bo’z』, 『Skullz』)
”UC“(『daft』)
の6人です。
▲INDIAN CREW(2010年頃)
(上:左から、YU-TA, SUGI-J, masahiro, DEJI, 下:左から、UC, ARROW)
1983式HIPHOPとして、活動していくこととなりました。
そんな『INDIAN CREW』のデビューは、
06年編で記したように、当時『HOME MADE 家族』のマネージャーをしていた”RYUTA aka JACKY“が仕掛けていた『TIME CAPSULE』というイベントでした。
▲TIME CAPSULE vol.6 フライヤー表紙
東京の超人気ダンサー『BASE HEADS』が名古屋に登場していました!
そして、
00年編から登場している”ヒロト“(『ICE BERG』, 『Skullz』)と、
05年編から紹介している ”MITSUO“(『CHOOSE ONE』, 『DOOZY』/現、『DANCE STUDIO Cypher』代表)の、
当時の愛知と静岡のトップランカーが手を組んだ、
『BROTHER HOOD』も、
このイベントが初めてのSHOWでした。
(この『BROTHER HOOD』の2人と ”AYA“(『HONEY WAXX』)の3人でテレビ東京『BLOOM』内のバトル”D-FIGHT“で優勝するなどバトルの活躍からのチーム活動でした。)
そして、
04年編より紹介している『HONEY WAXX』も登場しました。
▲TIME CAPSULE フライヤー中面
そんな先輩GUESTチームに紛れての『INDIAN CREW』の初舞台でしたが、
このSHOWが、めっちゃくちゃ盛り上がりました!(手前味噌ですが)
本当に『CLUB OZON』が少し揺れました笑
ファッション性の高さとルックスの良さで女性人気の高かった『BEVIZ』、
大型コンテストで軒並み優勝し、男臭い踊りで男性人気の高かった『Bo’z』、
一匹狼的な存在で、さらに変態と称される踊りで、一部の人だけにマニアックな人気のあった『daft』、
イケメン4人+変態2人のそれぞれの個性が融合し合いながら、
「追うものは終われるものにまさる」
のTBHR精神を胸に刻みつつ、突き進んでいきました。
daftとしての活動
さて、
『INDIAN CREW』を結成した年ではありますが、
あくまで活動の中心は『daft』でした。
この年は、
06年編で記した神戸での『DANCE DRIVE』のvol.2にまた参戦しにいきました!
今回もJUDGEが、
”HORIE HARUKI“(『Sound Cream Steppers』),
”KATO“(『D’OAM』),
”NAOMI“(『VENOM』),
”CEBO“(『NEXT GENERATION』),
そして、
GUEST SHOWは、
2006年の『OSAKA DANCE DELIGHT(ODD)』優勝チームである、
『sucreamgoodman』(”oSaam“, ”DY“, ”Taichi“)
と前回に続き、豪華でした!
そんなコンテストで、
『daft』は、”準優勝“でした。
また後一歩及ばなかったのは残念でしたが、
前回より前進したこと、
そして、何よりこの時の会場に確実に伝わったナニカがあったことが嬉しかった記憶があります。
(あのレジェンドダンサー”HORIE HARUKI“からも「転びっぷりがいいね」いただきました!笑)
▲DANCE DRIVE vol.2 レポート
この時に知り合い、すごく惹かれたのが『LALE』(”YO-HEI“(現、”BUUBEE“/『sucreamgoodman』), ”スヌーピー“)でした。
さらに、
この時は『ONE HOPE/ROOTS MANUVA』を使用した作品だったのですが、
その選曲なども含めて、『sucreamgoodman』の皆さんにも褒められ、仲良くなることができ、
前回に続き繋がりが拡がっていくことがとても嬉しかったです◎
その後も、
県内のみならず、県外のダンスコンテストなどにも参戦しにいきました。
この年は初めて『ODD』にもチャレンジしましたし、
滋賀のダンスコンテスト『BEAT STREET』などにもチャレンジしました。
『JDD』予選は、”名古屋予選“に仕事で出られなかったので、”九州予選“まで出に行ったりもしました。
結果は、どれもこれもまったく振るいませんでした。
大体は、「個性的で変わってる。」みたいな感想はもらうものの、
レベルが高くなるとそんなコメントすらもらえなくなりました。
それはテクニックが伴っていなかったり、センスがズレていたり、
全然突き抜けられていなかったんだなぁと思うばかりです。
ROCK IT 2007
そんな『daft』ですが、
この年1番チカラを入れていたのが03年編より紹介している『ROCK IT』での活動でした。
06年編でも、あのHIPHOP創始者である“AFRICA BAMBAATAA“登場の衝撃を記したリアルHIPHOPイベントで行われていた“生音バトル”は、
『daft』も、とても成長させていただきました。
おさらいしますと、
昨年より『ROAD TO L.A』という企画がスタートしていました。
これは毎月バトルトーナメントを行い、“マンスリーチャンピオン”を決定した後、
“王者チーム”との“防衛バトル”を行い、
勝った方が“王者”。
“王者”を5回防衛するとL.Aへの航空チケットプレゼントという企画でした。
そして、
2016年12月までは『DDT』(“B-BOY YASU”, “BUDO BOY”)が王者として“V3”達成中でした。
そして、迎えた2007年1月。
『daft』(“UC“, “masahiro“)が優勝し、“マンスリーチャンピオン”になります!
しかし、
“防衛バトル”では、『DDT』(“B-BOY YASU”, “BUDO BOY”)に負けてしまい、
『DDT』の“V4“達成を許してしまいます。
ちなみに、
翌月も『DDT』は防衛バトルを制し、
“V5”達成でL.Aチケットをゲットしたのでした!
▲DDT(左から、B-BOY YASU, BUDO BOY)
そして、
その後『ROAD TO L.A』第二シーズンが始まりました。
変更点は、それまで”マンスリーチャンピオン“決定後、
すぐに”防衛バトル“をしていましたが、
体力的に”挑戦者“(=”マンスリーチャンピオン“)が不利ということで、
”防衛バトル“は翌月に行うとしたことでした。
そして、
新シーズンで新王者の座に座ったのが、
『Ah!!!』(”YAE“, Ahyumi”)
でした。
そこに、
僕ら『daft』は6月で再度“マンスリーチャンピオン”になり、王者への挑戦権を得ます。
この頃、『ROCK IT』でよくバトルしていたのが、
04年編から紹介している“MAKI”と、
06年編から紹介している“ERi FeNeSiS”からなる『ロック一途』や、
99年編より紹介している“MOTOTAKA”(現、『FROG DANCE STUDIO』代表)と、
06年編から紹介している“U-key”(のちに”BIG WEST“/『LOKI』)からなる『KEEP IT FUNK』
などでした。
負けたり、勝ったりで、マンスリーバトルでこの人たちと向かい合って踊れたことは本当に大きかったですね。
当時は、自分たちめちゃくちゃイキってましたけど。笑
そして、
7月の“防衛バトル”で『Ah!!!』を倒し、『daft』が初めての“王者”となりました。
そこから、
8月は挑戦者『JUICE』(“MASA”(『AVARANCHE』)らのbboyチーム)、
9月は挑戦者 『ILL BUCCNESS』(”INO“, ”WOWZ“)、
でしたが、
どちらも『daft』が勝利し、”V3”まで積み上げました。
▲ROCK IT フライヤー(2007.09)
※県外からレジェンドクラスのGUESTもよく来ていました!
そして、GUESTも“防衛バトル”のJUDGEに参加する場面もありましたね。
この時も、憧れの『BUTTER』(“O-SHIMA“, “SHINICHI”)の2人のJUDGEに相当テンション上がったのを覚えています!
しかし、
10月の挑戦者 『7ZEAL BOOGALOOS』(”ANI“, ”キャラメル“)
との”防衛バトル”で、延長にまでもつれ込んだ末に『daft』は負けてしまい、王者を陥落してしまいました。
大先輩相手とは言えど、ぶちかます気満々だったので、悔しかったですね。
延長で踏ん張れる勝負強さが無かったことが残念でした。
そして、
新王者『7ZEAL BOOGALOOS』(”ANI“, ”キャラメル“)が順調に防衛を進め、
“V3”となったところで、
2007年が終わりました。
L.Aチケットをゲットする2チーム目が現れるのか?!
次編に記します。
JDD vol.14 中部予選
さて、
次は春先の話です。
この年も、05年編で復活を記した『JAPAN DANCE DELIGHT(JDD) vol.14』名古屋大会が開催されました。
この回より予選通過枠が2チーム→3チームとひとつ増え、
”FINALIST“になれるチャンスは拡がっていました。
我々『daft』は、“masahiro“の仕事の都合で参戦できませんでした。
この頃は、”masahiro“の仕事が忙しく、出たいイベントにも参加できないという悔しい思いを何度もしました。
仕方ないことなんですが。
そして、
2年連続FINALISTだった『Bo’z』, 『Skullz』のメンバーも、
”ヒロト“(現、”Hilototti“/『Hilotes』代表)は前述の『BROTHER HOOD』(”ヒロト“, ”MITSUO“(『CHOOSE ONE』))の活動を中心にしており、
”HIROAKI“(現、”WOWZ“)も、この頃にはKRUMPにハマっており、
この年は参加を見送っていました。
そんな中、
『JDD vol.14』FINALISTとなったのが、
・『頂志』
※05年編から紹介しているBBOYチーム。エンターテイメント溢れる展開アリ、破壊力ハンパない飛び道具アリで、この年大暴れしました。
メンバーは、“SASA”(現、『DANCE STUDIO33』代表), “YABETTY”(現、『STARGATE DANCE STUDIO』代表), “Ko-ketsu”, “Iguchin”, “ISOWA”, “YASUTO”(元『MITSURIN』)の6人。
・『Inspirado』
※この年結成されたHOUSEチーム。98年編から登場している”Bambi“(元”Mariっpe“/『YO!YO!』), 99年編から紹介している “SHIGEKI”(『FUTURE TRIPS』), 05年編から紹介している “Ricardo”(『ESSENCE OF LiFE』)の3人チーム。
土着系で世界観溢れるSHOWで、他のチームと一線を画しました。
・『CLASSIC GROOVER』
※京都の『立命館大学』ダンスサークル出身のLOCKチーム。大学生限定コンテスト『BIG BANG』でも優勝するなど学生時代から注目を集めており、卒業直後のこの年に『JDD』も予選通過!
メンバーは、“BOT”(現、『HOT SHOT』主催), “YABU”, “ETE”, ”ザブ“, “エリ”の5人でした!
▲JDD vol.14 名古屋大会レポート
ちなみに、
この大会でJUDGEをした“KATSU”(『MASH BRUSH』), “KENJI”(『PINOCCHIO』)が、
当時の名古屋についてインタビューされている記事もありました。
▲KATSU&KENJI インタビュー(DANCE DELIGHT MAGAZINE(2007年6月号)より)
いつでも地元のことを想ってくれている大先輩たちでした。
DANCE DYNAMITE 2007
さて、
『JDD vol.14』名古屋予選を終えて、
次は、91年編より始まっている東海最大級のダンスコンテスト『DANCE DYNAMITE』でした。
2006年の1日で結果を出す方式から、
この年は従来の春予選→夏本選方式に戻りました。
会場はどちらも『OASIS21』でした。
この年、『daft』は”予選落ち“しました。
もうこれはショックでしたね。
放心状態でした。
仕事とダンスとどちらも頑張りたいと思い、
どちらにも全力投球する為に削った睡眠時間のせいで常に体調悪めでしたし、
”masahiro“は練習に寝坊ばかりするし笑、
一人暮らしの男2人、かなり不健康な社会人生活送っていた気がしますね。
その上、
出たいイベントに思うように出れず、
出たイベントでも結果を残せず、
遠征をすれば壁の厚さを感じさせられ、
今思えば仕事とダンスの両立について悩める時期でもありました。
というわけで、
この年の『DANCE DYNAMITE 2007』本選の結果がこちらです。
▲DANCE DYNAMITE 2007 open class 入賞者
※本選通過者の情報を掴み切れていません。知っている方は情報ください!
“優勝”は、
05年編から紹介しているbboyチーム、
『頂志』(“SASA”(現、『DANCE STUDIO33』代表), “YABETTY”(現、『STARGATE DANCE STUDIO』代表), “Ko-ketsu”, “Iguchin”, “ISOWA”, “YASUTO”(元『MITSURIN』))
でした!!
着実に経験を重ね、若さ溢れる勢いそのままに前述の『JDD vol.14』FINALISTに続き、
『DANCE DYNAMITE』でも優勝しました!
この時期は、まさにコンテストキラーでしたね。
“準優勝”は、
06年編で『DANCE TRIMUCH 2006』“GRAND MASTER”獲得を記した『SLUM BAD FUNK』(”MORIATSU“(現、”MORIARCH“/『BIO BLOOD』, “T-mo”)
でした。
『DANCE TRIMUCH 2006』の時は東京から参加していた“ATSUSHI”は不参加であり、この後は2人での活動が続きました。
そして、
“DANCE STYLE賞”は、
『Bo’z』(“DEJI”, “YU-TA”(現、“0014”))
でした。
昨年、『Skullz』(“ヒロト“, “WOWZ“, “DEJI“, “YU-TA“)でこの『DANCE DYNAMITE 2006』を優勝しましたが、
前述したように、それぞれが別の道に歩み始めていた為、
この年より「先輩(“ヒロト”)の力を借りず、自分たちで勝負していきたい。」と、
2人での『Bo’z』として再始動していました。
この活動は見直しましたね。笑
この頃には、『INDIAN CREW』メンバーでしたし、めっちゃ応援してました。
彼らも『TOKYO DANCE DELIGHT(TDD)』など、
県外にも積極的にチャレンジしていました。
そして、
昨年から始まったKIDSクラスはこの年も盛り上がりました。
▲DANCE DYNAMITE 2007 KIDS CLASS結果
”優勝“は、『FACE』でした!
『FORCE DANCE STUDIO』のKIDSチームであり、
メンバーには、“ハル”(愛称:チビハル), ”SHO-TA”(のちに”中尾翔太“/『FANTASTIC』)の華あるダンサー2人が在籍していた4人組でした。
”準優勝“は、
05年編から紹介している『FAB☆GEAR』(“HOKUTO”, “RYUSEI”, “RYO”)でした!
”3位“は、フィメイルダンサー7人組チーム
『WILD CREW』
でした。(詳細情報募集中)
KIDSクラスも定着し、
KIDSダンサーのエントリーも年々増えていきました。
SUPER BAD 7
そして、
春先はコンテストも多いですが、
やはり名古屋では01年編より紹介している『SUPER BAD』の季節ですね!
この年は、さらに新展開の年でした。
『女子大W.A.R.(Walk Around Revolution)』と銘打って、
従来の『丸美観光ビル』のみならず、“女子大エリア”のクラブ、飲食店を巻き込んだ16会場で行われました!
前代未聞ですね!
とにかく、好きにハシゴしてくれと、街丸ごとのイベントへと変貌しました。
▲SUPER BAD 7 フライヤー
DJ, DANCE, MC,
すべて東海を代表する豪華メンツが集結しました!!
DANCEは東京や大阪など県外からも国内トップクラスのダンサーが集結していました。
▲SUPER BAD 7 出演者一覧
我々『daft』も昨年に続き、出演しました!
ありがたいことですね!
そして、
『CASH THE BATTLE』はこの年も行われましたが、
通常のバトルイベントと同じように優勝者を決めるようになりました。
この年の『CASH THE BATTLE』優勝者は、
“RYO aka DJ226”(現、『WHITE BEACH』代表)でした!
大分のダンサーですが、
この年は、前述の“Ricardo“(『Inspirado』)と、大阪の“KNIT“(『New Black-izm』)とともに3人でSHOW出演してくれており、
そのままバトル参戦しての優勝でした。
▲CASH the BATTLE(左から、RYO, KNIT, Ricardo)
『GROOVE BROTHERS』(”KASHI“, SHINKICHI“, “KAMEHEAD“)の演奏による“生音”に合わせてミラクルムーブ連発していました。
また、
MIC BATTLE『WHO’s ONE』も行われており、
06年優勝:“BRAVOO”(『BB9』)
07年優勝:“FRANZ”(『BB9』)
と、レペゼン名港の『BB9』が存在感を示していました。
とにもかくにも、
一夜限りの超Party!
ダンサーもラッパーもDJもライターもクラバーも、
音楽とカルチャーを愛する人たちが街の一帯に集結する様子は本当に凄かったですね。
DANCE TRIMUCH ’07
そして、
冬にグラチャンがあると言えば、
“You-Gee“(現、『Studio U』代表)が仕掛ける『DANCE TRIMUCH』でした。
“You-Gee“曰く、
「本気のダンスを“クラブ“で見たくてはじめたのが『DANCE TRIMUCH』」
であり、
「テクニック・パフォーマンス・バイヴスを審査する唯一のコンテストとして試行錯誤しながら続けてきた」
との自負あるイベントでした。
この年で3年目を迎え、シーンに定着してきていました。
この年は、
年3回の予選大会で“TRI-MASTER”となった10チームと、
2005年、2006年の『GRAND MASTER』チームの2チームが、
グラチャン大会で“GRAND MASTER”を目指しました。
この年は、
“You-Gee“が司会を務めていたテレビ番組『JUICE TV+』とタイアップしたりと、メディア進出も果たしていました。
▲DANCE TRIMUCH 2007 フライヤー
そんな中、グラチャン大会に駒を進めたチームが、
1.『SLUM BAD FUNK』(”MORIATSU”(現、”MORIARCH”/『BIO BLOOD』), ”T-mo”, ”ATSUSHI“(現、『ALL GOOD FUNK』))
※『DANCE TRIMUCH 2006』GRAND MASTERチーム。この時は、”ATSUSHI“も東京からわざわざ参戦しました!
2.『ARROGANT』(”AYUMI JAPAN”, “タエコバドゥ”, “MAKOO”)
※98年編より紹介している”AYUMI JAPAN”をリーダーとする、00年編より紹介しているHIPHOPチーム。この時から、 ”MAKOO“(『ASTONISH』, 『龍五娘』)も正式加入していました。既に大御所だったチームの参戦に周囲は驚きました。
3.『BLAID』(”MY“(のちに『SAM×2』), ”TAMAMI“(のちに『TIGRESS』), ”MARIKO“(現、『ARROGANT』))
※当時大学生のフィメイルHIPHOPチーム!
歳月を重ね、”MY“はSOULベース、 ”TAMAMI“はスタイル系HIPHOP、”MARIKO“はHOUSE寄りのナチュラルHIPHOPとそれぞれスタイルが変わって行きますが、当時は”ゴリゴリ系“のHIPHOPでした。
4.『Junmbee's』(”ユージ“, ”キイチ“, ”ヒロシ“, “AKIMITSU”, “WADA”)
※92年編より紹介している ”TATSUYA“(『現、『Black is Black DANCE SCHOOL』代表)の愛弟子チーム。00年編から紹介している ”AKIMITSU”(『エキセントニック』/『moNsta』)も擁する男5人のステップチームでした!
5.『Bo'z』(”DEJI“, ”YU-TA“(現、”0014“))
※04年編から紹介しているHIPHOPチーム。紆余曲折経て、この頃は2人で活動していました。破壊力満点のバイブスHIPHOPかましてました。
6.『Romp』(”KANAMI“, ”IDUMI“(現、『Artinformel』), ”MAIKO“, ”MAKO“)
※06年編より紹介しているJAZZチーム。この年からは4人で活動しており、『DANCE DYNAMITE』でも予選通過するなど、一気に注目チームでした。毎回凝った演出の作品で観るものをワクワクさせていました。
7.『daft』(”UC“, ”masahiro“)
※この頃は「変態」スタイルとして認知されていたHIPHOPチーム。
この時から、同い年である”DJ SHU”の手掛ける『.boil desigh』(現、『DESIGN PARSON』にオーダーメイドの衣装製作をお願いするようになります。
初めて作った衣装は深緑のセットアップに、『BATTLE AXE RECORD』の斧マークをモチーフとしたdaft特製ロゴを全身に総柄で入れるというトチ狂ったもので、
1着5万くらいかかりました笑
8.『GESSO』(”NANA“, “YURI“)
※04年編から紹介しているHOUSEチーム。『DANCE TRIMUCH 2005』GRAND MASTERチーム。『daft』, 『Bo’z』と同級生チームということで、本当に切磋琢磨してきたチーム。元ヤンフレイバー溢れるHOUSEは、お洒落さとパワフルさと両方あって味がありました。
9.『90STEPPERS』(“ERIGON“, ”RIYO“, ”BOMBER“, ”SAORI“, ”YU-NA“)
※06年編より紹介しているフィメイルHIPHOPチーム。こちらも”TATSUYA“(『C-HAIS』, 『FIVESTAR』, 『TOP SCRUM』)の愛弟子チーム。観ている者が笑顔になる純粋でハッピーなダンスで先輩後輩関わらずかわいがられていた人気チームでした。
10.『L.L STYLE』(”MAKI“, ”MEGGY“)
※94年編から登場している”MEGGY“と、04年編から紹介している”MAKI“のLOCKチーム。小柄ながらパワフルで、ダンスへの愛情が溢れ出た踊りの”MAKI“と、幼少期から積み上げた質の高いダンスと天性のコミカルさを併せ持つ”MEGGY“の2人のダンスはナイスコンビでした。
11.『YUNYUN=K.T.9』(”YUNYUN“, ”???“)
※豊橋の2人組。真っ黒なノリでセクシーに踊るHIPHOPチーム。コンテストチームの中では異彩を放っていましたが、HIPHOPへの深い愛が感じられるバイブスでした。
12.『YORK』(”Tar-Q”, “PRANSOU”)
※97年編より紹介している”Tar-Q“(現、『C.R.E.A.M』代表)率いるHIPHOPチームであり、豊橋のシーンを牽引していた2人組。
”Tar-Q“は豊橋でのイベントプロデュース以外にも、『FM豊橋』でのラジオDJ、豊橋の公立中学でのダンス講師など街に根付いた活動を精力的に行っていました。
以上の12チームでした!(出演順)
その中で“GRAND MASTER”に輝いたのが、
『90STEPPERS』でした!
▲90STEPPERS(上:左から、RIYO, YU-NA, ERIGON/下:左から、Bomber, SAORI)
出場チームの中で最年少チームであり、
ベテランダンサーや、コンテスト常連チームもいた中での下克上でした!
本人たちもビックリしていたのが印象的でした。
この時は、審査員7人全員がバラバラのチームを1位に挙げるほどの混戦を極めたコンテストだったらしく、
その混戦をチーム力で制した『90STEPPERS』は、その後も名古屋を代表する人気チームとして活躍していきます。
KATSUの衰えぬ精力的な活動
さて、
さらに名古屋シーンを振り返っていきたいと思いますが、
その上で外せない人物を改めて注目してみます。
それが、プロローグ編より紹介している “KATSU”(『Beeper』, 『DEGIL FIRE』, 『moNsta』)です。
何度も記しているようにこの頃は“名古屋ダンスシーンの父”として、
イベントオーガナイズ、コンテストJUDGE、インストラクターなど、
幅広く活動していました。
そして、
この年はさらに『GOLD $KOOL』というアパレルshopをプロデュースします。
▲GOLD $KOOL フライヤー
このshopは、『(株)LDH』が立ち上げた『24karats』や、 “MATSU”(『EXILE』)プロデュースのブランド『BOIS BOIS』, 『LMD』などを取り扱う東海唯一のshopということで、話題を集めました。
(“KATSU”は相当大変そうでしたが…。)
そして、
『GOLD $KOOL』presentsで新イベントも仕掛けました!
それが、『COOL $KOOL』でした。
▲COOL $KOOLフライヤー
ここで、見逃せないチーム名が2つありますね。
ひとつは、
『THE OLDYS SHOP』
このチームは、名古屋のダンスシーンを築き上げてきたベテランダンサーたちが現場主義のダンサーたちと手を組んだオールスターCREWチームです!
また詳しく記します。
そして、
もうひとつが、
“KATSU”自身の新チーム『MASH BRUSH』です。
前述の『ROCK IT』で『Sathaly』として優勝するなど注目を集めていた“YU-YA”(『WEST-O』)と、06年編で紹介した ”KOME“aka”RYOHEI“(現、『nexx design』代表)のbboy2人と、
”NAOKI“(現、『ビジュアルアーツ名古屋』担任講師)との4人で結成されたチームでした!
”NEW SCHOOL“と”OLD SCHOOL“の融合であり、
懐かしさもありつつ、新しさも感じさせる稀有なチームとしてシーンで活躍しました。
※ちなみに、
新しもの好きの“KATSU”は、
06年編で紹介した『DRAGON CLOWNS』(“INO”(元『青空』, 『NIGHT RYDERS』/現、『EXPG NAGOYA』校長), “Nishi-P”(元『遊闇』), “MOTOTAKA”(元『FROG』,『KEEP IT FUNK』/現、『FROG DANCE STUDIO』代表), “JUNYA”(『Heart Be Groovin’』))
に加入し、
若手ダンサーと共に顔にメイクを施して、日本に持ち込まれたばかりの“CLOWN”(“KRUMP”の派生元)を踊っていたりもしました。
そういう好奇心の強さって素晴らしいですね。
さらに、
01年編から紹介し続けている『TOSS IT UP』もこの年も名古屋を代表するイベントとして、
『DANCE DELIGHT MAGAZINE』でも特集が組まれました。
▲TOSS IT UP レポート(DANCE DELIGHT MAGAZINE 2007年5月号)
さらに、
愛知と岐阜を繋ぐ、”岐阜版『TOSS IT UP』“である『BRING DA NOISE』を、
岐阜のダンサー”SUGA“(『SG STREET DANCE SCHOOL』代表)とともにオーガナイズしました!
▲BRING DA NOISE フライヤー
他にも、
“MAKI”(『L.L.STYLE』)と共に、
“NEW SCHOOL”と“OLD S CHOOL”を対比させた『On&oN』も仕掛けたりもしていました。
また、
”KRAZY KUTS“名義でDJ活動もしていました。
さらに、
名古屋初の“STREET PERFORMANCE MUSICAL“も仕掛けました!
▲00 THE SHOW DRIVE フライヤー
ダンス、DJ、ヒューマンビート、ファッション、VJの融合ということで、
ここでも新しもの好きがうかがえますね!
音楽、ファッション、踊り、カルチャー、
すべてに精通するゴッドファーザーでした。
ワイスマの変遷
さて、
この年は、98年編より紹介し続けていた『WILD WILD SMILE』(通称:ワイスマ)に大きな変化がありました。
前身の『Wednesday at LUSH』(オーガナイザー:”RYO-Z“(『Hi-Problem Child』, 『FIVESTAR』, 『Bush Babeez!!』))から、
『WILD WILD SMILE』となり、
オーガナイザーも、
”NAOKI”(現、“SEAMO”)&“KUMAZAKI”(『PLAYS』)
→“MICRO”(『HOME MADE 家族』)
→“TAKAOMI”(現、『(株)エントランス』代表取締役)&“Coko-1”(現、“CONiY”/『DANCE STUDIO HIGH STARS』代表)
と受け継がれ、
10年以上に渡り『LUSH the underground』のレギュラーを張ってきた”LUSH最長寿イベント”でしたが、
この年の2月、『LUSH the underground』がレギュラーイベントを一新させるということで、
長年の歴史に幕を閉じることとなりました。
▲WILD WILD SMILE ラストフライヤー
この頃には、
00年編より紹介している“DJ MATSU”(現、『SOUL CITY TOKAI』主宰)も、OLD SCHOOLからNEW SCHOOLまで幅広く対応出来るDJとして参加しています。
(以前も記したようにTV番組『スーパーチャンプル』でも音楽監修するなど大活躍していました。)
さらに、
06年編から紹介している“DJ TA2YA”(現、“DJ T2”/『10GAME』)も、若手代表DJとしてレギュラー入りしていました。
(当時は、西尾市での同級生“SUGI-J”(『INDIAN CREW』)と名古屋でルームシェアしていました。)
そんな新しいレギュラー陣も増えてきた中で幕を閉じてしまった『ワイスマ』。
しかし、
やはりダンサーシーンにとって『ワイスマ』はあって欲しい、無いと寂しい、と言うことで、
その後は会場を変えつつ、月1開催となり、
SHOWも沢山入り、GUESTなども呼ぶダンスイベントとなります。
▲WILD WILD SMILE(2007.06)
※東京から『XXX-LARGE』(“METH”, “TAKESABURO”, “TETSU”)登場!!
▲WILD WILD SMILE ソロSHOW sp(2007.08)
▲WILD WILD SMILE SPECIAL(2007.12)
※伝説の東・名・阪セッションが繰り広げられた日!
東から、『XXX-LARGE』(“METH”, “TAKESABURO”, “TETSU”)
西(阪)から、『HEX BEX』(“HONGOU”, “KUCHA”, “CHEKE”)
の漆黒の二大カリスマHIPHOPチームが登場しました!
迎え撃つ名古屋からは、
『THE OLDYS SHOP』が登場しました!
この『THE OLDYS SHOP』は、
現状打破をコンセプトに集まった当時、総勢19名のHIPHOP CREWでした。
メンバーは、
『C-HAIS』:“TOMOKAZU”, “TATSUYA”, “AKEEM”,
『entrance』:TAKAOMI”, “MO-TA”, “COZY”, 『DOW BOYZ』:“TANOKEN”, ”T28“, ”YO-SKE“,
『NIGHT RYDERS』:”INO“, ”MASAKI“,
『moNsta』:“TAKESHI”,
『ROOT’S ON』:“ANI”
『BEVIZ』:”Coko-1“
などが集まっており、
そのメンツで[G.I.U]=自由を謳うまさに最強軍団でしたね。
▲OLDYS SHOP
ちなみに、
メンバーの”COZY“(『entrance』/現、『DELI DELI』代表)は、
この年に、大須にアパレルショップ『BIG UP!』をオープンさせており、
お洒落でセンスの高いストリート色強いショップとして、
ストリートカルチャー愛好家たちの溜まり場として人気を誇っていました。
▲BIG UP! 広告
勝手な分類ですが、
この軍団に入れていない若僧たち=『Skullz』,『daft』, 『INDIAN CREW』世代以降が、名古屋NEW SCHOOLの第四世代と捉えられると思います。
世代というより、出自の違いが当時は大きかったと感じています。
そんな我々『INDIAN CREW』も、
夏以来のSHOWをこの『WILD WILD SMILE special』で踊らせていただきます。
初めて出演できる『ワイスマ』に気合い入っていましたね!
毎月開催、隔月開催となってからもダンスシーンにとってなくてはならないイベントとして盛り上げ続けました。
HOUSEシーンの変遷
ここで、
HOUSEシーンについても少し振り返ってみます。
92年編でも記したように、『P.D.UNITS』がいち早く持ち込んだ”HOUSE“から、
『MOVE UP』, 『PINOCCHIO』などのスターチームが誕生し、
90年代後半には”愛知=HOUSE王国“と呼ばれるほどでした。(96年編参照)
そこから、
『UNIVERSE』, 『FOOT ILLUSION』などがシーンを支え、
99年編、00年編で紹介した伝説のparty『[ha:n]party』も開催されました。
その後、
02年編で記したように、
長年名古屋HOUSEシーンを牽引してきた ”SENBA“(『MOVE UP』,『FOOT ILLUSION』, 『UNIVERSE』)が上京しました。
”SENBA“の居なくなった名古屋を支えるべく、
“MICHI“(『MOVE UP』, 『UNIVERSE』)主催の『A Treasury of Sound』, 『DanceTeria』などのgood music&partyが始まり、
また、
『FOOT ILLUSION』の後輩であり、99年編で紹介した『FUTURE TRIPS』(”SHIGEKI“(『Inspirado』), ”TAKESHI“, ”KO“, ”RYUJI“)などもイベントを主催するようになりました。
▲PARADISCOフライヤー(2005年)
※FUTURE TRIPS主催
▲SOUL FOUNDATION #7 フライヤー(2005年)
※“RYUJI”(『FUTURE TRIPS』)主催のDANCE&music partyであり、当時のHOUSEシーンの重要イベントでした。
また、
NY帰りの”DJ AKIRA“などもクラブシーンを牽引していました。
そして、
その他では、
”DAICHI“, ”ASAI”や”NORIMA。”(『N-STYLE Design』代表)の主催で2001年より開催されていた『NAGOYA HOUSE NIGHT』、
”NORIMA。“主催の『HOUSE WORKS』、
なども”HOUSE“をメインとしたDANCEイベントとして、長年人気を博していました。
▲NAGOYA HOUSE NIGHT 周年フライヤー(上:2006年、下:2008年)
▲HOUSE WORKS フライヤー
▲HOUSE WORKS SOLO BOX 3rd 出演者
※おなじみのメンツから懐かしいメンツまで揃っていますね!
私”UC“も出演させていただいております。
ちなみに、
『DOKINCHAN』の“DAIGO”, “OGA”,
01年編で紹介した“YOSHITAKA“(『STEP of ART』),
”DAIJI“の若手ハウサー4人で翌年に結成されるのが、
『CALPAS』です。
そんな中、
この年、新しく始まったのが、
”SENBA“の相方である“YASU“(『FOOT ILLUSION』, 『ECCENCE OF LiFE』)主催の『JOY OUS』でした。
▲JOY OUSフライヤー
GUEST DJは、
93年編より紹介している豊橋のドン “SHUICHI”(現、『grand space Quark』代表)ですね!
GUEST DANCEには東京から、
“RYOSUKE”&“O-SHIMA”のダンスマスター2人が登場します!
このイベントも遊びに行ってましたが、刺激的で印象に残っています!
その後も、HOUSEを基調としつつ、HIPHOPも織り交ぜたBIG partyとして、
様々な企画も行いつつ人気イベントとなりました。
THE CENTRAL EMBLEM 始動!&名古屋のバトルイベント
前述の『ROCK IT』が名古屋のバトルイベントとして定着しており、
2004年頃よりは全国的にも“NEW SCHOOL“や“FREESTYLE“のバトルイベントが増えてきたと記し続けてきました。
(全国のバトルイベントでの東海勢の活躍はのちに記します。)
そして、
この年、のちに“東海最大級バトルイベント“と称される『THE CENTRAL EMBLEM』が始まりました!
97年編より紹介している ”MAKOO“(『ASTONISH』, 『龍五娘』, 『ARROGANT』)が仕掛けていたこの『THE CENTRAL EMBLEM』は、
女性だけの『QUEEN』バトル、
男性だけの『KING』バトル、
男女混合の『SPECIAL』バトル、
と年3回開かれ、
2016年までの10年間定期開催されました。
というわけで、
この年の1月、『THE CENTRAL EMBLEM QUEEN』が初開催されました。
▲THE CENTRAL EMBLEM QUEEN 2007 フライヤー
初回のJUDGEはやはり名古屋のカリスマ!
91年編より登場している“維月見”(『NAGOYA SOUL SISTERS』, 『NASTY』, 『TEASE.』)、
97年編より紹介している”SHIZUKA“(『ROSE HIPS』/のちに『footwork DUCKS』)、
92年編より紹介している”FUMIKO”(『Ne-Ne’s』)
の3人が揃い踏みしました!
MC の“CHISA”も名古屋クラブシーンには欠かせないとてもステキな姉御肌Singerです!
そんな中、
初代QUEENは、HOUSEダンサーの”NANA”(『GESSO』)が勝ち取りました!
▲THE CENTRAL EMBLEM QUEEN 2007トーナメント表
自分の指定ジャンルの曲でずっと踊っていられるというのが、『THE CENTRAL EMBLEM』の大きな特徴のひとつでしたが、
決勝ではバトル巧者の“B-GIRL ERI”(現、“ERi FeNeSiS”/『KEEP IT REAL』)相手にも、
しっかりと自分のHOUSEを貫いて見事優勝を勝ち取りました◎
そして、4月には、
男だけの『THE CENTRAL EMBLEM KING』が開催されました。
ここで初代KINGとなったのが、
“ヒロト”(『Skullz』, 『BROTHER HOOD』/現、“Hilototti“)でした。
ソロもチームも強い!コンテストもバトルも強い!
イカつい坊主頭にニューエラ、服のサイズは2XL、
ヤンチャで暴れまわるHIPHOPダンサーだった当時は、まさにKINGでした。
▲ヒロト(Skullz, BROTHER HOOD)
※当時は触れるもの全て蹴散らす勢いで、負けた時も「周りが分かっていない。」とよく言っていました。
今となっては、「当時は認めてもらいたくて無理してオラついていた。」と証言しています。
私“UC”は、予選は通過するもののベスト16で、
“B-BOY YASU”(『NEXT SCHOOL』, 『I LOVE FOOTWORK』)にあっさりやられました。
“B-BOY YASU”はそのまま決勝まで進み、“準優勝“でした。
そして、
“SUGI-J”(『INDIAN CREW』)も予選を通過していましたが、
この時は“UC”と“SUGI-J”が予選通過者16名の中で最年少でした。
いつだって勢いのある若手が最前線で活躍してきた時代の流れを、先輩から聞かされていて、
実際に我々の1個上の”ヒロト“はどんどんとひっくり返して結果を残していっているのに、
自分たちは24歳ともなって、まだまだ先輩たちに歯が立たない。
早く世代交代しないとって強く思っていた記憶もありますね。
早く先輩たちに肩を並べたいと思っていました。
この直後に前述の『INDIAN CREW』を結成しますし、
期するところがあったのかなと思います。
そして、
秋に開かれた『THE CENTRAL EMBLEM SP』は、
『BOTTOM LINE』で開かれました。
▲THE CENTRAL EMBLEM SP 2007 フライヤー
JUDGEは全国トップクラスのダンサーが名古屋に集結するとんでもなく贅沢なイベントでした!
▲THE CENTRAL EMBLEM SP フライヤー中面
”KING”と“QUEEN“は予選を免除されての参加でした。
そして、
初代総合チャンピオンとなったのは、
05年編から紹介している ”MATO“(『CHOOSE ONE』/現、『DANCE STUDIO Genie』代表)でした!
準優勝は”Ahyumi“(『Ah!!!』/のちに『GLITTER』)でした。
▲THE CENTRAL EMBLEM SPECIAL 2007 トーナメント表
私“UC“はこちらも予選は通過出来たものの、
ベスト8で”ヒロト“(現、”Hilototti“/『Hilotes』代表)に惨敗しました。
中々壁は厚かったですね。
とにかく、
この『THE CENTRAL EMBLEM』が、
幅広い層が参加する東海地区最大級のバトルイベントとして、
翌年以降もシーンの中心にありました。
そして、
OLD SCHOOLシーンの若手向けのバトルで人気を博していたのが、
2006年12月からスタートした、
『BATTLE TRIBE』でした。
▲BATTLE TRIBE vol.1 フライヤー
1回目はBREAK sideからだったんですね。
JUDGEは、
00年編より登場している”YASU“(『CONCRETE SOUL ROCKERS』, 『I LOVE FOOTWORK』),
06年編より紹介している”RYO-Z“(当時、『KEEP IT REAL』),
06年編より紹介している”ERi”(現、“ERi FeNeSiS”/『KEEP IT REAL』)
愛知をレペゼンするメンツばかりですね。
その後も、
毎月開催され、BREAK, LOCK, POPの各ジャンルの“2on2バトル”を順に開催していきました。
▲BATTLE TRIBE フライヤー(2007.04/05/08)
そして、
年末には各回の優勝チームを集めたグラチャンも開催されていました。
▲BATTLE TRIBE 2007 final フライヤー
よく見ると、あんな人やこんな人が優勝していますね!
数少ないOLDのジャンル別バトルとして、翌年以降も定期開催されていきました。
DANCE@LIVE, THE GAME, HOOK UPでの東海勢の活躍
06年編で、
”KENJI“(現、『CLOVER ダンス塾&STUDIO』代表)が、
『DANCE@LIVE FINAL 2006』で、初代“年間チャンビオン”となったことは記しましたが、
翌シーズンの『DANCE@LIVE FINAL 2007』でも、“準優勝”に輝きました。
▲DANCE@LIVE FINAL 2007 HOUSE レポート
惜しくも2連覇は逃したものの、
すごいことですね!
しかも、
この年のHOUSE sideでは、
当時上京していた、
“PINO”(『PINOCCHIO』, 『ALMA』)
“SENBA”(『MOVE UP』, 『FOOT ILLUSION』)
も”FINALIST“に輝いており、
”FINALIST”8名中、名古屋出身ダンサーが3名もいるという『名古屋=HOUSE王国』を改めて印象づけた回となりました。
▲SENBA(MOVE UP, FOOT ILLUSION, RING)
▲PINO(PINOCCHIO, ALMA)
しかも、
準々決勝で、“KENJI”דPINO”の『PINOCCHIO』対決、
準決勝で、“KENJI”דSENBA”の『テレビ塔下世代先輩後輩』対決、
とすごい組み合わせ連発でした。
▲DANCE@LIVE FINAL 2007 HOUSE side トーナメント
そして、
HIPHOP sideでは、
91年編から紹介している“RYO-Z”(『Hi-Problem Child』, 『FIVESTAR』, 『Bush Babeez!!』)が“FINALIST”に輝いていました!
▲RYO-Z(Bush Babeez!!)
“RYO-Z”もまた、『名古屋テレビ塔下世代』であり(91年編参照)、
それ以前に、“PINO”と“RYO-Z”で初めて組んだチームが『DIG』であり、
本当にこの世代の名古屋からは全国クラスのダンサーが固まっていたという濃厚さがありますね。
そして、
FREESTYLE sideでは、
“キャラメル”(『名古屋城前ポッパーズ』, 『7ZEAL BOOGALOOS』)が“FINALIST”に輝きました!
このシーズンから新設されたFREESTYLE sideは、
様々なジャンルのスペシャリストが参加する中、
堂々のシーズン5位でのFINALIST進出は、
当時、名古屋のダンサーを興奮させましたね!
無謀とも思えるチャレンジも地道に続けることで、
いつか大きな成果をもたらせられることを示してくれたまさに“特攻隊長”でした!
▲キャラメル(7ZEAL BOOGALOOS)
ちなみに、
BREAK sideの”FINALIST“に輝いている、
”KOSSY“(『KEEP IT REAL』/現、『FOUNDNATION』)も、
三重出身、愛知の大学でBREAK DANCEに出逢った東海にルーツを持つダンサーであり、
愛知の代表クルー『KEEP IT REAL』に加入し、カルチャーとしてのBBOYを追求し、
そのまま独自路線を極めるべく、大学を卒業した2005年に関東へと拠点を移し、
そこで一気に才能を開花させました。
▲KOSSY(KEEP IT REAL)
愛知シーン出身のBBOYも本当に個性豊かでカッコイイ人が多いですね。
というわけで、
どのジャンルにも名古屋シーンに所縁のあるダンサーが登場していました!
そして、
『THE GAME』の“HIPHOP SIDE“では、
昨年に続き、“MITSUO”(『CHOOSE ONE』, 『DOOZY』, 『BROTHER HOOD』/現、『DANCE STUDIO Cypher』代表)が“準優勝”に輝きました!
▲THE GAME 2007 HIPHOP レポート
本人としては『THE GAME』では2回目の準優勝であり、もちろん優勝したかったでしょうが、
大舞台での師匠の“O-SHIMA”(『BUTTER』/『STRUT』)とのバトルは気持ち良かったでしょうね!
そして、
“ヒロト”(『Skullz』, 『BROTHER HOOD』/現、“Hilototti”/『Hilotes』代表)も、“ベスト4”入りしています。
着実に階段登っていますね。
そして、
同じく『THE GAME』の“HOUSE SIDE“では、
98年編から紹介している ”Ahyumi“(『Ah!!!』, のちに『GLITTER』)が
“ベスト8”入りしました!
▲THE GAME 2007 HOUSE レポート
当時、まだ10代のフレッシュダンサー!
ジャンルレスでハイパッションな踊りは、
前述の『THE CENTRAL EMBLEM』の様なフリースタイルバトルでも、
逆に『THE GAME』のようなジャンルバトルでも強さを発揮しており、
改めて、ジャンルの前に”踊り“であることの大切さを教えてくれました。
さて、
最後に大阪のバトルイベント『HOOK UP』ですが、
こちらは、
HIPHOPで、”ヒロト“(現、”Hilototti“/『Hilotes』代表)が、”準優勝“に輝きました。
▲HOOK UP!! HIPHOP 2007 レポート
前述の『THE GAME』や、東京での『D-FIGHT』など、
地元愛知のみならず、全国クラスのバトルイベントでも勝ち抜くように仕上げてきていましたね。
そして、
HOUSEで、”Ricardo“(『Inspirado』, 『ESSENCE OF LiFE』/現、『STUDIO GINGER』代表)も”準優勝“に輝きました。
▲HOOK UP!! HOUSE 2007 レポート
しかも、
決勝の相手は前述の『SUPER BAD 2007』で共にSHOWをしている”RYO aka DJ226“(現、『studio cram aka egg room』&『WHITE BEACH』代表)でしたね。
”Ricardo“はこの時は前述の『JDD vol.14』でFINALISTになっていますし、
非常に”ノッていた“1年だと言えますね!
そして、
東京で開催された『HOOK UP』の特別版、
”FEMALE HIPHOP“バトルでは、
なんと、
”RIYO“(『90STEPPERS』)が”優勝“しました!
▲HOOK UP!! tokyo female HIPHOP レポート
『DANCE TRIMUCH』をチームで制し、
”ソロバトル“でも結果を出し、
”RIYO“も非常に”ノッていた“1年でしたね。
そして、
”準優勝“の”こつな“は、
05年編より紹介している”NATSUKO“(『チョコランタン』)ですね!
東京のイベントで、愛知×岐阜の東海対決の決勝とか最高ですね!
さらに、
”KAAI”も”ベスト4“に食い込みました!
当時、ダンス歴はまだ浅かったものの、溢れるヴァイブスでカマしていました。
このように様々なダンサーが活躍しだしていましたね!
素晴らしいことです。
自分は仕事の合間を縫って、東京や大阪などに遠征に行っていましたが、
まったく結果が出ることなく、予選落ちを繰り返していました。
深夜バトル明けの寝不足での仕事が本当に辛かった思い出ですね。
年末の悦び2つ
さて、
最後に個人的な話を2つ。
この年の年末に、
98年編より紹介している”BUNPEI“(『ROOT’S ON』)がイベントを仕掛けました。
その名も『紅白ダンス合戦』!
▲紅白ダンス合戦 2007 フライヤー
これは面白かったですねー
年末にジャンル、キャリア、年代関係なく名古屋ダンサーが集まってワイワイ楽しく遊べる1日でした。
SHOWもカッコイイものから、その日限りのふざけ倒した面白いものまで何でもありでした!
R&B縛りのセクシかーペアダンスバトルも盛り上がりましたね◎
まさに忘年会イベントでした。
そんなイベントで、
明け方フラフラ遊んでいたら、
主催者から私“UC”を名古屋ダンスシーンの『年間MVP』に選んでいただきました!
理由は、
「どんなジャンルのイベントにも、1人でも、顔を出して遊びに行っていたから。」
ということでした。
まだまだ”足で稼ぐ“時代でしたし、
少しでも良い音楽、良いダンスを感じようと、
HIPHOPのイベントだけじゃなく、HOUSEやOLD SCHOOLのイベントにも顔出していましたし、
バトルやコンテストは県外にもなるべく通っていました。
それでも、
大した結果も残していなかったし、
この頃は先輩たちとすごく仲良くなったわけでもなかったし、
関係性の出来上がったシーンのイベントに1人で行くのもどこかで緊張していました。
だから、
イベント内でいきなりそれを発表されて、
「あー見てくれている先輩たちがいたんだなぁ」と嬉しくなったことを、
今でも印象に残っています。
そして、もうひとつ。
この年、私”UC“にとって1番大きかった出来事は、
春に交際を開始し、
年末にプロポーズをして、
先輩ダンサーであった“タエコバドゥ”(『ARROGANT』)と婚約したことでした。笑
▲UC&タエコバドゥ(2007)
婚約指輪は、結婚指輪と重ねて付けられるようにオーダーメイドでデザインしました。
▲婚約指輪デザイン
という、
どうでも良い情報ですが、
名古屋ダンスシーンで大変お世話になっている2人のことなので、
一応記させていただき、
今回の記事を締めさせていただきます。笑
悪しからず。
まとめ
バトルイベントが定着し、各世代で新たに活躍するダンサーが出てくる中で、好奇心の衰えないベテランダンサーたちも新しい動きをまだまだ見せていた一年だった。
NEXT
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