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名古屋STREETDANCE HISTORY5 〜1992年:変革と細分化〜
どうもです。UCです。
(これは名古屋STREETDANCE HISTORY企画の目次5です。その他の目次はこちらから確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )
(2020.05.31 追記、修正アリ)
ディスコから徐々にクラブに移行し、
TVでダンス番組が立て続けに放送されたのご90〜91年ですね。
それを経ての1992年も、大きな変革の年でした。
さぁ、今回も長くなりました!笑
が、今回も濃密です!
最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです◎
(※文中は敬称略です。ご了承ください)
1992年と言えば…
この年は、“NEW SCHOOL”としては記念すべき年ですよね。
私が語るまでもなくですが。
それまでどちらかといえばLAが牽引していたダンスシーンの流れを一気にNYに引き寄せた年とでもいいましょうか。
(正確には、90年リリースの『Baby Don’t Cry』くらいから徐々にNYの波が来ていたらしいです。)
(※MVのlink貼っておきます。)
そのキッカケとなったのが、言わずもがなの、
『WRECKIN SHOP(Live from brooklyn)』
通称”ALIVE TV”でした。
ニューヨークのストリートシーンをドキュメンタリーで放映した番組です。
これがとにかく衝撃的でした!!
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これが放映されたのが『PBS(Public Broadcasting Service)』という日本でいうNHK的存在のチャンネルだったそうです。
この番組の映像が日本では超貴重映像として、
90年代のヒップホップ黄金時代のダンスカルチャーを語る上で欠かすことのできない重要な映像となりました。
出演者は『Misfitss』や『ELITE FORCE』、『Caleaf』、『Ejoe』などなど、
当時のNYシーンの筆頭ダンサーであり、世界のダンス史に輝くレジェンドダンサーばかりです!
(※前述の『Baby Don’t Cry』のMVにも出演しているダンサー多数。)
▲『ALIVE TV』のYouTube!!
(2002年にダンスを始めた自分でさえ、数年後にこの番組映像を見た時は衝撃喰らいました!
自分は当時ダビングにダビングを重ねたVHSでノイズだらけの映像を観ていたんですが、
その10年後には、こんな超絶キレイな画質で、対訳までついたものが見れるなんて、
2度目の衝撃でした!笑)
そして、
この番組内に出ていたダンサーたちがこぞって着ていたのが”POLO“であり、
当時 NYで大流行していたPOLOアイテムは日本でも大流行となりました。
この年に発表されたPOLOアイテムは”P WING”, ”STADIUM 1992”, ”RL-92”などなど、
今でも超がつくほどプレミアがついています。
これ以上はここでは詳しく語りませんが、
ダンススタイルにしろ、ファッションにしろ、音楽性にしろ、
一気にガツンと流れをかっさらっていきました。
この衝撃の余波は、名古屋にも届いていたみたいです。
テレビ番組出演ダンサーのその後
そんな1992年、
前年大活躍した名古屋ダンサーたちの立場は大きく変わっていきます!
(詳しくは1991年編で。)
まず、
『ダンス甲子園』で一躍人気者となった『MIAMI FACE』の“KENGO”, “DENZO”と、
『MAKE UP TRIPS』の“JUNJI”が、
東京の芸能プロダクションにスカウトされ、
『PARTY』としてCDデビューしました!!
『PARTY』のメンバーは、
同じく『ダンス甲子園』で活躍した東京の『SLAM-G』から、
”宮地大輔”
(※PARTYではボーカルも担当。現在、音楽プロデューサー『Formula Group』代表。実は名古屋出身!)
“TAKE-G“
(のちの『KODP』『5CARAT』などで活動した日本のレジェンドダンサー。現在、歯科医師)
の2人と、
”MASAO”(のちの『MICROPHONE PAGER』!)
そして、
前述の名古屋組の3人での6人でデビューしました!
(これまたトンデモないメンバーですね!)
その後、
“TAKE-G”と“MASAO”が抜けて、
“TETSU”(のちの『FOOLISH』。TAKE-Gの弟)
“DJ WATARAI”(日本のレジェンドDJ!!)
が加入しています。
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▲2代目『PARTY』(全国誌『ON STAGE』(92年6月号)より)
(私からしたらレジェンドの集まりです!)
とにかく、
名古屋で生まれたスターダンサーが、
上京して全国クラスになるという道筋を初めて示してくれた人たちだと思います。
(いつだって、新規開拓された分、後続者は少し楽に通れるものなんだと思いますし。)
その一方で、
“KENGO”と“DENZO”が抜けた『MIAMI FACE』も、
向こう1年全国での営業スケジュールが詰まっていた為、
“KOU”、“YASU“(現、”DELAYAS”), “SANOちゅう"の3人に、
助っ人メンバーとして、
『MOVE UP』の“SENBA”と“MICHI”を加え、
さらにDJとしても“DJ Butcher”(のちの『P.D UNITS』)も加え、
こちらも2代目『MIAMI FACE』として、
地元名古屋に残る選択をした上で、全国で活躍しました。
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▲2代目『MIAMI FACE』(全国誌『ON STAGE』で連載を持つ人気者)
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▲2代目MIAMI FACE
そして、
”JUNJI”の抜けた『MAKE UP TRIPS』は、
助っ人メンバーとして、
当時高校生だった“TAKU-G”(現、“魂宮時”/ 『studio ku〜空〜』代表)が加入し活動していたそうです。
どちらも今思えばすごいことですね!
助っ人ダンサーすら豪華でした!
とりあえず、
当時は『ダンス甲子園』で人気の出たチームは、全国のイベントで引っ張りだこだったそうです!
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▲この年成人の『MIAMI FACE』&『MOVE UP』(左から: MICHI, KOU, SENBA, YASU, Butcher, SANO)
そして、
『ダンスダンスダンス』, 『DADA LMD』で活躍した『WILD STYLE』は、
91年編で記した通り、
“TAKE”と“UCOP”が、『P.D UNITS』に引き抜かれたため、
“OZEHAN”、“SANO”、“YOCHAN”
の3人で、
『3DOPE HYPE』という当時でいう“ブラック系”のチームを結成しました!
(※差別用語ではなく、リスペクト込めたプラスの意味での言葉で使われていたので、敢えてそのまま載せます。)
名古屋ストリートダンス系譜図
このようにブームとなったダンス番組終了後に、
出場ダンサーたちはそれぞれ新たな方向性を示し出しましたが、
さらに地元・名古屋を盛り上げるダンサーたちも変化を示していきました。
プロローグ編でも紹介した、メジャーデビューを果たした『摩訶不思議』はこの年に解散します。
解散ライブは『BOTTOM LINE』で行われたそうです。
その後、メンバーの“KING-BOO”と“DEN”で『BOO-DEE』として活動しました。
また、
SOUL系を牽引していた“AKIRA”(現、“AKIRASOUL“)も、
『SOUL CHILDREN』, 『M-CONNECTION』, 『3G』など、
さまざまなチームやクルーで精力的に活動しており、
メンバーには、”SHUNJI“(のちの『the Message』), ”DAISUKE“, ”JUNKO SENSEI“, ”KARNELL“(現、『Karnells Bar』店長)などがおりました。
そして、この頃から、『BE BOP CREW』の “YOSHIBOW”や“SEIJI”(現、”坂見誠二“)を名古屋へと招くようになり、
その後、名古屋にリアルなSOUL DANCE、LOCK DANCEが根付いていくようになりました。
90年編で紹介した、
『BLACK CRYSTAL』の名前で『DANCE DYNAMITE』に出演した”TOMOKO“と”KEI KO“も、
この頃には”AKIRA“に弟子入りし、チーム名を『2TIGHT』と名付けられだそうです。
そんな様々な変化があったこの時期の名古屋ダンスシーンの系譜図をまとめたものがこちらになります。
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▲全国誌『ON STAGE』(92年6月号)より引用
貴重な資料ですね!
ストリート/名古屋市 以外の動き
このように、名古屋の”ストリートダンス”シーンが固まりつつある中、
プロローグ編で紹介した『studio ZOO』もストリートとは別角度で新たなアプローチを見せました。
この年、
91年編でも登場した“ATSUKO“率いる『CELEZOORATION COMPANY』が結成されました。
メンバーには、
名古屋タップ界の重鎮“市川ミサオ”(現、『STUDIO R3』代表)、
プロローグ編でも登場した、MJスタイルの代名詞 “KITOH”(現、『DANCE STUDIO FORCE』代表)、
JAZZダンサーである”FUMI“(のちの、『Ne-Ne’S』)、”YUKO“
などが所属しており、
イベントプロデュースからモデル、TV出演などエンターテイメントに活動していたそうです。
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▲初代『CELEZOORATION』
その後、この『CELEZOORATION』には、
”ANN“(のちの『UNIVERSE』『GATSBY IN THE JOCKY』)
”SATOSHI“(現、『D-HIGH DANCE STUDIO』代表)
(”ANN“と”SATOSHI“は幼馴染み!)
なども参加し、
さらに下の世代も巻き込みながら、数年間活動されたそうです。
そして、
同じくプロローグ編で紹介した”KATSU“(のちの『Beeper』『DEGIL FIRE』『MASH BRUSH』など)は、
当時、豊橋市にある大学の4回生であり、
翌年には豊橋にて『Free Style』というチームを結成し、
豊橋1の人気チームとして活動していきます。
そんな”KATSU”と、のちに『Beeper』で活動を共にする”You-Gee”も、
まだ高校生であり、当時は誰とも繋がってはいませんでしたが、
地元半田市で『B-CRUSH』として、
地元の高校でパフォーマンスを行なっていたそうです。
なんと、この頃からダンスのみならず、ラップやヒューマンビートも織り込み、
オリジナル楽曲にオリジナルPV作成、
そして、司会やコントまで全て自分たちで行い2時間のステージをしていたというから驚きです!
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▲『B-CRUSH』(※写真は91年時)
当時は、『CLUB DADA』や『ダンス甲子園』の影響でダンスを始めた高校生たちが、
まずは学園祭などで踊り始めて、さらにハマっていくという流れが多かったようです。
”You-Gee”と同じように当時高校生だった ”TATSUYA“(のちの『C-HAIS』『FIVESTAR』など。/現、『BLACK is BLACK DANCE STUDIO』代表)も、
この頃は学園祭で、先輩である”RYO-Z“や、同級生と踊っていたそうですが、
シーンとの繋がりはまだなかったそうです。
きっと、同じような人がたくさんいるのでしょうね!
ただ、このような”金の卵“と呼ぶべき次世代を担う若手ダンサーが”学校“や”地元の街“を飛び出し、
また”名古屋"を中心とした東海シーンで大きく羽ばたき、
繋がりのある地域がどんどん増えていくようになっていきます。
DANCE DYNAMITE出演者から学ぶアート性
さて、もう一度話を名古屋ダンスシーン最前線へと戻します。
昨年初開催された『DANCE DYNAMITE』は、
この年も3月と6月に開催します。
92年もまだ主催の”SAMU"(『P.D Units』、現『ダンスダイナマイト』代表)のオファーを受けたダンサーのみが出場できる方式でした。
3月の開催時にはGUESTとして、
『インペリアルJB’s』(九州のレジェンドチーム!)
『PARTY』
『P.D UNITS+MIAMI FACE』
などが出演しました!
そして、6月開催時の出演者がこちらです。
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▲『DANCE DYNAMITE4』(1992.06)フライヤー
ゲストには当時『L.L BROTHERS』などのBAND DJのパイオニアとして活躍されていた”DJ KOUJI“が東京より登場しています!
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▲ダンスダイナマイトワークショップ スナップ
ダンサーはこれまでに紹介してきたメンツばかりですね!
それぞれ探してみてください(^^)
ちなみに、
『NU-DE』の”MIKI KATOH“は現在、ダンサーを中心に人気のストリートブランド『BOOTY』を展開しています。
そして、
『MASQUERADE』の”HITOSHI“は、
名古屋初の”VOGUE“スタイルでシーンを席巻したレジェンドの1人であり、
現在は、人気ラーメン屋『男そば 連獅子』を名古屋市内で営んでいます。
さらに、
『3DOPE HYPE』の”YOCHAN“は現在、一級建築士として、建築会社『TSCアーキテクツ』代表として活躍されております。
ちなみに、
『MIAMI FACE』のメンバー”YASU“も、現在は工務店『(有)近藤ティー・エス商会』社長として活躍してます。
当時、情報が少ない中で”HIPHOP”や”ストリートダンス”という特殊な電波に反応し、
それをさらに磨き上げてきた人々は、
やはりそれだけ鋭い感覚を持っている人が多かったのでしょう。
もちろん、それだけセンシティブな部分を持つ人たちなので、
それがプラスに出ることもマイナスに出ることもあるかと思います。
ただ、このように、
ファッションでも料理でも建物でも、
ダンスでなくても、人々の感覚に訴えかける”モノ作り“の出来る“根っからのアーティスト“が多かったのではないかと勝手に推察しています。
もちろんダンサーの数が増加した今でも、
アーティスト気質の方々の割合は、
通常よりはやはり高いんだろうと思います。
自分の強みを活かすこと、
自分の弱みは逆に武器に出来ること、
足りないものは仲間と補い合うこと、
持たざるものの文化であったHIPHOPが教えてくれる精神性を大切に、
今後自分が何をしていくにしても、ダンサーとしての感覚を誇りに、
惑わされずチャレンジしていきたいですね。
名古屋HOUSEの伝来
さて、
『DANCE DYNAMITE』由来のエピソードをもう一つ記します。
『RED KING』の”TATSUO YAMAMOTO“は、
のちの『GLASS HOPPER』の”TATSUO”なんです!
日本のHOUSEダンスシーンを牽引し、世界を代表する日本最高峰ダンサーの1人です。
この時は、彼の地元徳島に『MIAMI FACE』が営業で呼ばれたことをキッカケに繋がり、
今度は逆に徳島から名古屋のイベントに出にきてもらったそうです。
そして、
実はこのイベント時の衝撃をキッカケに ”TATSUO”は、HOUSEへとガッツリ転向したという過去があります!!
参考記事:https://www.tokyo-dancelife.com/no8/post1-.html
というのも、
『P.D UNITS』の”UCOP”はこの時期から度々NYに渡っており、
現地でトップダンサーたちとつるみ、(この辺も “UCOP”のエネルギッシュさを物語ってます笑)、
最先端の情報を吸収していったそうです。
そして、誰よりも早く”HOUSE“の情報をキャッチし、
それを名古屋へと輸入していき、
SHOWへと昇華していたそうです。
この”UCOP”と”TAKE“が持ち込んだHOUSEスタイルは、
のちの名古屋のHOUSEシーンに大きく影響を与えるのみならず、
東京の『ROOTS』が持ち込んだHOUSEスタイルとともに、
名古屋から全国へとHOUSEが拡がるキッカケも作ったのでした!
それぞれが新しい道を歩み始め、
その方向性やアプローチも多角的に広がってきたのがこの1992年だったのかもしれません。
次回、1993年〜ダンス世代第一転換期〜
こちらも楽しみにしてください!!
まとめ
NEW SCHOOLが大きく変革したこの年は、名古屋でも様々なプレイヤーの方向転換があり、またHOUSEダンスという新ジャンルも名古屋に持ち込まれた歴史的な1年だった。
↓NEXT↓
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