鳥取ではじまる「共有地」。その原点と仲間たち
カフェ大学 特別ゼミの内容を、このnoteで書き起こしレポートします。(本記事は前編)
まずは、丸さんが鳥取で共有地づくりをはじめた想いから。
鳥取 「共有地」づくりの原点にあるもの
終活としての、「共有地」づくり
ー 丸さん、コロナ後は、どんな感じですか?
丸さん:コロナになって、何かを始めたわけでは全くないんです。どうしても年齢、1950年生まれ、72歳なので、どう多く見積もっても、いつどうなるかはわからない。誰でもそうですけど。自分のタイムスパンがはっきり決まってきているので、その間に何ができるか考えた。
鳥取で共有地をはじめるとき、私は必ずいうんですけど、「これは私の終活です」って、必ず言ってます。生きてる間にできることをやっていきたい。
できることってのは計画的なことではなくて、「毎日あれどうしよう、これどうしよう」って、日々のことが自分の考えるきっかけになってるだけなんです。
共有地をはじめる、きっかけとしてあったのは本屋通い。
「今どんなことが問題となっているのか」「どんなことに気持ちを配ったら先がみえるのか」って本屋を覗くのが好きで、鳥取にはとってもいい本屋さんがあって。汽水空港もその一つですが、鳥取市内で定有堂って本屋さんがあって、すぐに本を買ってしまったり、メモストックにして。その中の一つの平川克美さんの『共有地をつくる』の本があって。
平川さん僕と同い年なんですね。ITの会社をつくって、でも潰して、いま中延で喫茶店をやっているんですが、そこもシェアをする、共有地的な場所にして活動してる。
もしかして、シェアカフェもウナカメもエカイエも…、シェアカフェも、活動やっていたことが実は共有地だったしシェアだったんだよなって。あのことを思い出して新たにやろうって思ったのが一つです。
「どうしたらいいんだろう…」を共有して生きていく
丸さん:鳥取で色々と活動をしている人たちが、10年前に来た人たちから、たみというゲストハウスをつくっていた UKABU.LLC、あるいは、鳥取の中で活動していた、普段は施工とか工事をしている本間さんがやっている「トットリノススメ」という活動に出会って。
そういう人たちからの影響力があって、「あー、鳥取はいいところだな。色々な人が繋がりあって、ここだったら何か新しいものが自分でもできるかもしれないな」って。鳥取に来てみようと思った。
そういう人たちの世代から、さらに新しく若い人が活動をしている。何をやっているんだろう?どういうシステムでやり始めているんだろう?ということを、自分で顔を出して、そっからの影響力もあって続けられているというのが現在の自分。
いつも思うのは、成功例があって、「こうやれば柔らかく生きれるよ。」っていうのが言えるわけじゃなくて、いつも「どうしたらいいんだろう…」とか、「失敗したよな…」って思っていることが支えになっているんだなって思っています。現在、社会がこの状態になって、僕自身コロナでお客さん来なかったりしてるけど、その中でそれをなんとかしようとしている人がたくさんいるし、コロナだけじゃなくて、今の人間が迷っている状態で、なんとかしようと色々考えている人がいっぱいいるので。
場所だけの共有じゃなくて、考え方を共有したり、協力しあえってできることは、一緒に協力していけるんじゃないかな、っていうのはいつもの想いなので。まだ終わるまで、自分自身が終わってしまうまでは、ずっとこのことを続けていけるんだろうなって思っています。
「あの時、もっと、こうすれば…」が、今の自分を形づくる
丸さん:で、よく人は、「あの時、もっと、こうすればよかったんじゃないか」と、僕の場合だと、カルマをはじめたのが1980年で30歳の頃でした。で、40くらいまで、うわうわ、なんかカルマやりながらも遊びまくるみたいな状態でやってきて、あの頃には何もその、もちろんその時なりの考えを持っていたんだろうけれど、「あの時もっとこんなことをしておけばよかっただろう…」って、今ふと思ったりする。
丸さん:けど、でもその時なんかしていたら、今こうやっている自分はいないよな。あそこで失敗したり、あそこでそういう風にできなかったことが今こういう風にしている今の自分なんだな…っていうのを思えて。
だんだん、自分の今やっていることは自分で納得できるようになった。72になってようやくそう考えられるようになったなって思えています。
鳥取で活動し、共有地に関わる仲間たち
街の居場所づくり 「不真面目商店」 (藤内 道広さん)
ー 丸さん:ここに来ている不真面目商店の不真面目くん(藤内くん)です。どういうことをしているのか
藤内さん:不真面目商店という活動をしている藤内道広と言います。よろしくお願いします。僕は、いま大学の4年生なんですけど、いま、休学して鳥取に来ております。で、鳥取に、実際の空き家があったんですけど、空き家を自分で改修して、DIY特化して。そして色んな人が来れるようなお店づくりをしています。Instagramとかもやっているので、不真面目商店を調べていただけたら。
ー 丸さん:(不真面目商店は)どんなお店なんですか
藤内さん:不真面目商店という名前は、僕自身が真面目なので…(笑)。
お店自体は、棚貸しの商店をしていて、ブースが何個もあるんですけど、そこを1人一つ借りていただいて、物を売っていただいてもいいし、本とかを展示していいよっていう場所にしていて、やっていくなかで、今年の4月からやっているんですけど、地元の小学生が遊びに来てくれたりとか、ちょっと地域活動してみたいというような高校生・大学生が関わってくれたりするので、そういう方向けの本が置いてあったりとかしていて、自分自身本当に多世代交流とか、0歳〜100歳までの人が同じ空間でいろんな話とか、話してなくても一緒の空間で声を聞こえ合うっていう、そういう場所って素敵だよなっていうことを思ってまして、そういう色んな世代の方が増えるような、ふらっと来て、温かさとか懐かしさを感じられるような場所づくりをできたらいいなってことで、お店づくりを進めています。
ー 丸さん:(藤内くんは)なんで鳥取に来たのか
藤内さん:去年の12月に。鳥取でまちづくりを進めているまるにわという会社があるんですけど、その会社が主催したリノベーションスクール的なものがあって、そのスクールに自分も参加しました。
その延長線上で今回のこの空き家のプログラムがあって、きっかけで鳥取に来て、そうこうしている中でも丸さんと知り合い…
丸さん:自宅の近くなんですよ。ここ何始まるんだって。なんだ?不真面目?って思って。これからも共有地の間で色々コラボできたら面白いかなって思っています。
着物アップサイクル 帽子作家 「OIRA」(吉村 雛乃さん)
雛乃さん:今日、『切り抜き展』っていう展示をやっています。切り抜き展をやろうと思ったきっかけが、カルマに今、元幼稚園の園長先生をやっていたクリスティーという70のおばあちゃんがいるんですけど。
どうやら半世紀前から新聞の記事とかコラムを切り抜きされていたみたいで、「70リットルの袋、9袋くらいあるんだ。ハハハハハ。」みたいなことおっしゃって。「いや待て、それはめっちゃ宝だぞ」って。
Googleとか何でも調べたわかる時代ですけど、誰か自分が好きな人とか尊敬する人が、そこを通過してたまった情報とか、情報だけじゃないけど、コト・全てに触れる機会って貴重なんじゃないかなって。ぜひこの切り抜きをみんなに見てもらう時間をつくりたいって思って。他にも…
丸さんという人を通して、クリスティーに出会ったり、共有地の拠点があることで、すごくそういう思いつきを具現化するのがすごい早いなって思ってて最近。そんな感じでカフェをやったり、『切り抜き展』もすごいいろんな方が来て、すごくいい時間になりました。
瞬間移動カレー 「せかいの真ん中」 (マサさん)
マサさん:いまカレーを屋台で売ってます。4年前からカレーを売ってて、最初はハーフテントをひらいて、カレー並べて、最初は海辺で、ガソリンスタンド跡地で、そこは浜風がすごすぎて、冬になったので寒すぎて、鳥取の駅前に、風紋広場っていう1平米50円で借りれる公園があって、そこで軽トラにテントを積んで、ひらいてやってて、軽トラが壊れて、バンでカレー屋をやっています。
マサさん:カレー屋をやる前は旅してました。1年ぐらい海外を。大元の根源は、インドのチャイ屋さんで、すごい心地よさを感じ、外でカレーを売っているという感じ。広間だけじゃなくて、瞬間移動カレーって、焼き芋やさんのカレーバージョン。呼び声も「カレ〜 ライス」っていう。スマホにボイスレコーダーで、カレーって吹き込んだのを流しながら、カレーのルーの計り売りをコロナになってから始めました。コロナになって広場がつかえなくなって。西成で焼き芋屋さんをみて、「これだ」って思って、カレーをはじめました。
丸さん:彼も困難にぶちあたって、色々アイデアをだして。彼は共有地でもやっています。ぜひ来てください。あるいは、風紋広場で何か一緒にやることもできます。
前編 (鳥取「共有地」づくり。その原点と仲間たち)はここまで。
この後は、共有・シェアの生き方の根底にあるコミュニティのあり方について、さらに語り合いました。
次回、中編に続く・・・
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