言うべきだと思ったことは言う。
2019年も、もう終わり。今年1年は、皆さまどんな1年でしたでしょうか?
ちなみに、私は約2週間前に27歳になりました。
これまでは、1年の振り返りもかねて、誕生日のタイミングでは必ずfacebookに投稿するようにしていました。
しかし、facebookは色んな人と繋がりすぎてしまったのか、
私の古い友人の言葉を借りると、何やら「虚像空間」と化しているので、今流行りのnoteを始めて、内輪の範囲で書き綴っていこうかなと思います。
・2019年一番の出来事
私の今年(26歳)の一番大きな出来事は、やはり父の急逝だったかもしれません。
父が亡くなってからの最大の後悔は、父に言いたいことを言わなかったこと。
それは「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか、そういう綺麗な言葉ではありません。「あなたが言ってることはおかしい」とか「間違っている」とか、どちらかというと喧嘩になりかねない言葉です。
それは私自身も、父からの恩恵を最大限受けて育っていることを重々承知なわけなので、自分の中にある違和感をぶつけることは親不孝のように思うし、「まあ、いつかは分かり合えるだろう」と思っていました。
しかし、有名な心理学者 河合先生の著書『家族関係を考える』の説明を借りれば、家族(特に父と息子)は、「実存的対決」を免れない存在とのことです。
私は父との「実存的対決」から逃げていました。
そのせいで、ちゃんと心がつながれない状態で、父は亡くなってしまいました。それが一番の後悔です。
・2019年のテーマ
そうして、今年は「言うべきと思ったことは言う。」、
それがテーマになった1年になりました。
主に職場と一部の仲良い友だちですかね。「おかしいと思っていることを、おかしいと言う」、
相手が年上であっても女性であっても、時には怒りを込めながら、時に、思わず涙しながら(苦笑)、徹底的に言うようにしました。
私なりの「言うべき」こととは、自分の信念と相反することで仲間や相手のために言ったほうがいい、と思っているのに言いづらいことです。
簡単な話もあるかもしれませんが、相手や周囲に対する否定が伴う場合、これは痛みを伴います。
一つに他人を傷つける可能性があるからです。もう一つは、自分が嫌われる可能性が高いからです。
また、責任が伴います。「言ったからには、おまえもそれを有限実行せよ。」という誠実さも問われます。
本来の定義からは少し逸れていますが、言うべきと思ったことを言うの
はまさに「実存的対決」です。
実際、自分自身も非難される機会が増えるし、一部の人に嫌われた感覚もあります。
でもそれ以上に、最近は、以前より多くの人と深いところで繋がれている感覚、家族みたいに感じれている感覚が高まってきているように感じます。その感覚を「ともいき感」と呼びたい。(笑)
具体的なエピソードも挙げられるかもしれませんが、これは感覚が本当に大きい。私の中で、自分らしくいれるという感覚が高まり、とても心地よく感じています。
それが、私の今年の最大の成長であり、収穫です。
世の中的な流行り言葉でいうと「嫌われる勇気」が少し身についた感じかもしれません。
少なくとも私自身においては、相互理解だけを強調し否定なき対話の中では、本当の意味での関係性は築かれないということを学びました。
嫌われようが非難されようが「言うべきと思ったことは言う。」
これまで自分は、人から嫌われるのがいやで、そこから逃げていました。
でも、それが本当の意味で、“ともいき”であるための条件なのだと思いました。今後も続けていこうと思います。
・2020年に向けて
「いや、そもそも君が言ってる“ともいき”って何?」ってよく言われます。(笑)
私も別に定義して使っているわけじゃないので、2020年は、そういうことをエッセー風にサクッと綴れるようなnoteを書いていこうかなと思っています。
思えば今年は、カフェも全然やっていないし、仕事ばっかりの1年になってしまったので、何かしらリスタートを切る27歳にしたいと思います。
以上、長文を失礼いたしました。
皆さんの2019年の学びは何でしょうか?またお聞かせください。
それでは皆さま、良いお年を〜