セミを食す

夏も終わりかけになってきて、つくつくぼうしの声を聴いた。

コオロギの声を聴いた。

セミというのはうるさい反面、夏を感じさせてくれる風物詩の一つだ。そしてもう一つ、わたしはセミの鳴き声を聞くとあることを思い出す。

そろそろセミを食べる季節だと。

私はここ3年夏になるとセミを食べる(昆虫食)の実験をしている

知り合いたちが有志で集まった”セミの会”があって、公園で採ってきて調理する(採取は男性陣に頼んでいる)。一応メンバーの一人が、知り合いの昆虫食を研究する教授から下処理のアドバイスは受けている。あと昆虫大好きおじさんもいる。(ちなみに甲殻類アレルギーの人は食べないほうがいい)

この回をやっているのは、ネタとかゲテモノ好きとかではなく、人口増加に伴う食糧難、いわゆる2050年問題についてのテーマも含まれていている。日本は人口減少が著しいが、途上国では人口が増えるとされていて、肉の供給が追い付かないと予測されている。

元々、アジア諸国では虫を食べる文化はあるし、日本も蜂の子やイナゴは食べるし、沖縄ではセミを食べるらしい。昆虫にはタンパク質が豊富だという。

最近はコオロギパウダーを使った食品が海外では発売されている。プロテインや、パンに練りこんだり。フランスでは昆虫食をオシャレなフレンチにしているレストランもある。

私たちは昆虫というと見た目からのインパクトで食べにくいが(私も3回目でもまだ抵抗がある。)、初めてエビやカニやウニを食べた人はどう思ったのだろう・・・ともなる

私は完全なベジタリアンではないが、周囲には極力肉を食べないと伝えてある。エネルギーが足りない時に、鶏肉を食べたりする。脂っこいのが苦手なのもあって、肉は少ししか食べなかったりする。

もうひとつは、ヴィーガン的な考え方かもしれない。昔、カンボジアの田舎で鶏をさばいた。頸動脈を切り、羽をむしって、血は煮凝りにし、ショッキングな光景を見たにも関わらず、頂いたお肉はとてもおいしかった。それに対して、大量の肉供給のために工場でライン上に加工されていく肉についてのドキュメンタリーを見た。それから肉、肉と飛びつくことに違和感を感じてしまったのだ。

理由は多々あるけど、どうも脂っこいものが体が受け付けないので、昆虫食は少し興味はあったのだ。

日本人のにとっては「いただきます」という言葉どおり、生産者やその食べ物の命を頂くことに感謝する。

しかし、キリスト教で考えると万物は神が作ったものである。以前、キリスト教の家庭にホームステイしたとき、彼らは家畜を殺すことは家畜を与えてくれた神に感謝することであると言っていた。

話はずれたけれども、3年連続で食べてみても抵抗はある。見た目の先入観だろう。

有志の集まり”セミの会”では、パウダーなどに加工するのではなく、そのまま食べることで、将来的に昆虫食の時代が来ても抵抗なく食べれるんじゃないかという目論見もあったりする。まだ必要がないのなら食べたくはないけども。

年々料理のレパートリーも増えてきて、今年はセミのアヒージョ ”セミ―ジョ”なんてものを作ってみた。※ちなみに幼虫は生態系を崩すので食べない。

味はというと、特別きつくもなく、素揚げにするとエビを挙げたときのような触感である。

私は夏らしいことはそんなにしないのだけど、セミのイベントはなぜか毎年参加していて、私の夏の恒例行事になるかもしれない...

旅を通じた人との出会いや、旅でしか分からない気づきを大切にしています。 リモートワークしながら旅ができる生活を模索中。 ニュージーランドでワーキングホリデー済、一人旅・ヨガ・家庭菜園好き