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日曜日のクルーメイト#0086 His Last Words
雪のち晴れの日曜日、いかがお過ごしでしょうか。
たまの週末に現れる冲方です、と言いつつ、これが今年に入って二度目の投稿であることに気づき、このペースではたまの月末になりそうな予感も。
またそろそろ引きこもり執筆モードになりつつある昨今ですが、さておき、今週のトピックは、「例の言葉」。
『蒼穹のファフナー The Beyond』最終回、そのラストシーンにて、皆城総士が、去らんとする真壁一騎に向かって投げかけた最後の言葉とは?
知りたくないのに、うっかり見てしまうという方がないよう、しばし別の話をしてのち、記したいと思います。
そもそもなぜ、最後の最後で口パクなのか、という点は、演出の領域ですので、その意図を冲方が勝手に説明することはできません。
ただ、20年近く続いたシリーズならではだなあ、と感慨深く思いました。
あえて、言わない、見せないことで、想像を刺激するという手法がある一方で、とにかくより多く説明を入れて作品を理解するためのハードルを下げるという手法があります。
前者は、言わずともなんとなく想像できるほど、作り手と受け手の間で、共通了解が成り立っているときに、効果を発揮します。
受け手が最も自由に想像力を働かせられ、それが余韻となる、つまり、受け手の感情が、より長く持続するわけです。
後者は、たとえば作品を翻訳し、常識やバックグラウンドが我々とまったく異なる国で発表するときなどに、特に効果的です。
「登場人物の感情や背景を説明するシーン」を通して、受け手の理解が深まる分、愛着を持ってもらえる可能性も増えます。
どちらが優れているといった話ではなく、その作品が置かれた状況や、バックグラウンドによって、様々なニーズが生まれるということです。
さて。
これだけ長々と書けば、うっかり屋さんも、途中で引き返していることでしょう。
よろしいですか。
そろそろ書きますよ。
皆城総士が、去りゆく真壁一騎に投げかけた言葉はこちら!
皆城総士「世界を見て回ったら、また真実を教えに来い!」
良い日曜日をお送り下さい。
冲方丁でした。