『滑らかな完全犯罪』「明暦大火異聞(二)」
江戸時代。
「感情こそが諸悪の根源である」という徳川家光の処断により江戸住民は感情を抑制されるようになった。その幕府方針に不満を持った由井正雪ら反幕組織は異郷の未来人と結託。幕府転覆を計画するが《感情奉行》の武力によりそれは未然に塞がれた。正雪らが遺した《時空ポータル》は幕府の管理下となり時空管理神社を管轄する《時社奉行》が置かれた。こうして江戸の三奉行である「勘定奉行」「時社奉行」「町奉行」が成立し、歴代将軍が治世する盤石の元禄時代が始まる……はずだった。
(前巻のおはなし)
感情奉行与力犬養殲衛門による時社奉行長官夢山田羅山の粛清から一年が経った。前時社奉行長官の反幕行為は無感情社会に一瞬のざわめきを起こしたがそれもすぐに凪ぎ、江戸八百八町はいつも通りのフラットな社会を取り戻した。
あの粛清以降、犬養与力は以前より凄惨な働きをみせるようになった。積極的に反幕勢力を発見即破壊(サーチアンドデストロイ)。押収された感情刺激物《アート》が感情奉行の倉庫にうずたかく積みあがっていった。感情刺激品は思想的危険物だが時空間ポータルでの等価交換《トレード》の材料としての価値が高く、幕府が廃棄処分を許さなかったのだ。
大量の《アート》の保管は混乱を招く。やがて感情奉行内にも感情に芽生えてしまう《転び》が現出する。犬養与力は内部粛清にも積極的に関与して、まさに八面六臂の冷徹なる処刑人として幕閣からの信頼を勝ち取っていった。
深夜、与力邸宅に犬養殲衛門の姿を見ることができる。質素で無感情な部屋。白い壁には窓がなく未来技術のLED照明により天井全体が発光している。与力は文机に片肘を突き沈思黙考しているように見える。その耳元から黒こよりが伸び懐中につながっている。そこには合羽の小型録音再生機(カセットプレイヤー)が収められており微かに一定の速度で回転していた。
(ぁぉ……ちゃッ……すくちょく……)
殲衛門が思わず口ずさむ。これはまさに未来世界のポッポス王とされる若尊のダンスナンバー。なぜ、そのような《アート》が取り締まる側の感情奉行与力の懐中に!?
答えは単純であった。夢山田羅山が断末魔代わりに浴びせたポップミュージックの洗礼に強く胸を打たれた殲衛門は、その感傷を永遠のモノにするべく夢中になってポップミュージックのカセットテープを探し求めた。
当然、御禁制品故に表立ってのコレクションはできない。これらは未来派の根城から私的に収奪したモノである。江戸最高の感情奉行与力による横領!!あまりにも滑らかな「完全犯罪(スムース・クリミナル)」がこれまで露呈することはなかった。
だが、砂上の楼閣に築き上げた信頼は簡単なきっかけで崩れ落ちてしまう。殲衛門は次々と「敵」を求めた。感情刺激物《アート》を独占したいという熱狂的な我欲は思わぬ敵を招き寄せてしまうことになる。
殲衛門は立ち上がり床の間で身をよじり始めた。彼はこれを「ダンス」と呼ぶことをまだ知らない。
(ぁぉ! ぁぉ!)
その時!!
(トントン)
ひそかなノックの音。不審な衣擦れの音に気づいた別室の内儀が殲衛門の元を訪れる。
(あなた……?)
なんということか。殲衛門はダンスに夢中で物音に気が付いていないのだ。
(開けますよ?)
ガラリ。
障子戸が開く。瞬間的に残像を残しながら後退し殲衛門は文机に戻っていた。
「うむ、大事ない」
内儀は去った。
懐中の合羽は楽曲の最も盛り上がる局面を迎えていた。
(Fooh!……Fooh!……Fooh!)
殲衛門は衝動的に声を合わせてしまう!!
「ぽぉぉぉ!ぽぉぉぉ!!」
ガラリ。
(あなた?)
「うむ、大事ない。示現流じゃ」
内儀は去った。
殲衛門は《アート》のすさまじさを実感してわなわなと震える。
(決して、他の誰にも渡してはならない)と決意を新たにした。
【続く】