見守られて生きている
お世話になっている方の訃報を知る。急なことで心の整理がつかない。彼の部下の女性がわざわざ足を運んで教えてくれた。
◯◯さんとは昨年は一緒に仕事もしたし、今年の入ってメールのやり取りもしていた。春先から体調を崩していたが、職場にも病気のことは伏せていたそうだ。
付き合いはわたしのほうが長いけれど、知らせにきてくれた彼女のほうがいつも身近にいたのだから、わたしよりずっと悲しいだろう。
「わたしが◯◯さんの分まで頑張らないと」と何度か言っていたけれど、わたしから「そうだね、頑張ってね」とは言えなかった。
◯◯さんは自分の分まで頑張れと言う人ではない。自分のことは気にせずやりたいことをやれという人だった。
けれど「頑張る」という彼女に、なんと言葉をかけていいのかわからなかった。「◯◯さんの分まで」と、自分の行動で死を悼もうとする彼女を否定するのも間違っている。
そんなことを考えがらも、◯◯さんに恥ずかしくないように生きたいと思う自分がいる。◯◯さんは好きなように生きろと言うのが目に浮かぶのに。
何をするにも矜持のある人だった。その姿にみんな憧れていた。弱いところを見せずに格好良く手の届かないとこに行ってしまった。
何をしても優しく見守ってくれる人だったから、こうして悲しむわたしたちを、いつもの少し困ったような笑顔で見守ってくれているのだろう。