文章を書きたくない
20代の頃は文章を書くことが楽しかった。話すのが苦手だったから。
わたしは子どもの頃から誰かに言葉で伝えようとしても、その場で咄嗟にうまく表現できなくて、悔やんでばかり。人見知りで、気が小さくて、自分の意見を伝えることを怖がっていた。
話したくてもうまく言葉がでてこないのではないか。恥ずかしい思いをするのではないか。その時は何食わぬ顔で聞いていても、心の中ではつまらない話だとバカにしているのでないか。
いつも不安に襲われてオドオドと口ごもってばかり。どうしてこんなに人前で話すことが苦手なのか。記憶のある幼稚園児でもすでにそうだったから、生まれつきなのだと思う。
両親から同じように育てられた兄はそこまで引っ込み思案でもないので、資質の問題なのだろう。
口からでた言葉は取り消すことはできないけど、文章なら自分の納得いくまで修正することができる。小説や詩歌を生みだす創造力はないけれど、日記やエッセイ、書評なら出来事や感想をまとめることで、相手に思いを伝えることができる。
そう思ってあれこれ書いてきた。後から見直すと自分でも楽しめる文章になっていて面白い。ネットに公開すると、読んでくれる人から反応もあり、自分を認めてもらえるようで嬉しかった。
だが、仕事として文章を書き始めたのが良くなかった。自分で勝手に書いて公開するならいいのだけど、お金を貰って書くとなると編集者の人に文章のあちこちに修正を入れられる。
文章が整理されていない。ここが伝わりにくい。説得力が足りない。何をいいたいのか分からない。
赤が入った原稿を必死で修正する。完成した文章は読書に理解しやすいものになっているが、わたしの書きたかったものから遠ざかっていた。わたしは自分の主張したいことを分かりやすく書く能力がないのだった。
自分のなかでものごとを言語化できておらず、整理もされていない。話すのが苦手なことと同じ理由で文章を書くことも限界がある。
今まで好きに書いて楽しかったのは自己満足だったと気付かされる。自分の書いた文章なので自分で読めば意味はわかる。他人には分かりにくくても、誰もあえて指摘してこなかっただけのこと。
数年前からあんなに好きだった文章もほとんど書かなくなった。依頼を受けて原稿を書いても苦しいだけで、可能ならばもはや書きたくない。
それでもまだ未練がある。だから、ここでこっそり書いている。あの頃のように文章を書くことが楽しくてしかたがない気持ちが、わたしのなかに再び湧き上がってくることを願いながら。