親らしくなくても親
娘が大学入試に合格した。お祝いに焼き肉を食べに行く。一緒に外食をしても、子どもの頃のように世話をやくことはない。タブレット式の注文を任せることができるし、ドリンクバーもひとりで行く。箸を2度落としたのは妻のほうだ。
食べ放題のためか、注文した3人分のライスの量の差が大きくて、妻と笑っていたら、娘に声が大きいと注意された。店員さんに聞こえたら気まずいと思ったようだ。
わたしたち両親は適度に頼りない。忘れっぽくて、細かくミスをする。冷静に説教すべきところを感情的に怒ってしまう。娘もやれやれと感じているなと、こちらも気づくことがある。
娘もまだまだ子どもらしい奔放さを持っているが、この両親をみて自分がしっかりしないと思っているだろう。
これは、わたしが大学生の頃と同じ状況でもある。わたしも親に対してまったく思っていた。
だが、大学を卒業して就職できずにニートとなり、その後もかろうじて社会人にしがみつき生きていくなかで、両親に対する認識は変わっていった。
仕事をしてお金を稼ぎ、子どもを育てることの大変さ。当時のわたしには到底できないと思っていた。両親は苦労しながらも、社会人として親として私を不自由なく育ててくれた。わたしよりも立派だと。
そう思えた頃にはもう父は亡くなっていた。それから年老いた母に対してあれこれ手を焼くことになったが、母に対する恩返しだと思えば、さほど負担ではなかった。
娘が大学を卒業して、順調に就職して働きだせば、そんなことも思わずに生きていくのかも知れない。仕事や子育てで苦労することで、気づくのかも知れない。
まだまだ危なっかしいけれど、すこしづつ、手放しでいこうと思う。いずれひとりで生きていけるようになるように。
そして、何かあれば助けてあげられるように、わたしも自立しておかなくてはいけない。