それはわたしではない
いま読んでいる本で眼差しの暴力性について書いている。外からの眼差しだけでなく、自分が自分に向ける眼差しの暴力性についても。
わたしたちは規範を内面化して、それを自らに向ける。男らしさ、女らしさ、自分らしさ。外見に対する違和感、理想とのズレ。
それはわたしの心と身体がズレているのではなく、外から内からの眼差しによって作られた身体イメージと、自らが生きる身体イメージとの違和感から。
わたし身体イメージに違和感はないほうだが、眼差しへの恐怖を感じることはある。わたしを勝手に決めつけたイメージで捉えて、そこに閉じ込めようとする眼差し。逸脱することが許されない。わたしはそんな外見でも内面でもないのだと叫びたくなる。
もしも、この感覚がずっと続いているとすれば、それは恐るべき苦痛だろう。