【映画短評】『セーヌ川の水面の下に』はいわば「メガシャークvsオリンピック」の強烈な風刺サメ映画!
Netflixで公開されている最新サメ映画(もはや1つのジャンル)である『セーヌ川の水面の下に』は、オリンピックを目前に控えたパリが舞台だ。
パリが舞台なだけあって、なんだか背景が豪華。なんだろうこのミスマッチ。めちゃくちゃ豪華なフレンチ料理屋でラーメンなりカレーなりを食べているような感覚だろうか。サメ映画は面白いし、ラーメンやカレーも美味しいんだけど、周囲の環境がなんだか気持ちをゾワゾワさせる。
タイトルの通り、巨大なサメが潜むのはパリ中心部を流れるセーヌ川。僕が今回の映画で結構好きだったところが、このセーヌ川が汚いところだ。これは後述のとおり、フランス映画らしいメッセージ性を意図しているような気もするが、とりあえずは「サメの姿がよく見えない」という緊張感を高める1つの演出として効果的だと思う。
映画の基本的なストーリーは、、、と書こうとして詳しくは覚えていないことに気づく。たしか、海洋に浮かぶプラスチックゴミからサメを守ろうとした環境保護団体の取り組みがなぜかサメを巨大化させることに繋がり、そしてまたなぜか巨大化したサメがパリのセーヌ川(ここもまた汚い)へと迷い込み、来たるオリンピックとそのPRイベントであるトライアスロン大会に向けて、なんとかしなきゃ、というような映画だったと思う。
主役の科学者を演じるのはベレニス・べジョ。鑑賞中は気づかなかったのだけれど、あとから『アーティスト』や『ある過去の行方』の女優さんだと知った。豊かな表情でしなやかな演技をする方という印象があったので、まさかサメ映画でお見かけするとは…。
この映画には明らかに政治的・社会的なメッセージが込められていて、1つは環境保護に関するもので、もう1つはオリンピックという巨大イベントへの皮肉だろう。上述の通り、今回登場する「海」「水」はいつもとても汚い。ペットボトルが浮かび、水質は濁り、とにかく見通しが悪い。なんの意識もなくただ鑑賞しているだけで、「水質汚染」のメッセージが映像として脳裏に焼きつく。
そして、この映画に感心させられるのが、ラストを無理矢理ハッピーエンドで終わらせないことだ。来るべきオリンピックの広報イベントとして開催されるトライアスロンの国際大会。無理にでも敢行しようとする政治家たちを必死に止める科学者たちだが、ついに決行され、悲惨な結末を迎える…。
ここには明らかに、国民や市民、あるいはパリという街そのものを無視して推し進められる「オリンピック」という現代まで生き残った巨大なリヴァイアサンへの風刺が込められているように思う。人工的な巨悪を自然的な巨獣がなぎ倒すという構図は、僕たち日本人からすると、「東京オリンピック2020」と「新型コロナ」の関係に見えなくもない。
このあたりがいかにもフランス、というかヨーロッパ映画らしいと僕は思った。ハリウッド産のアクション先行で(いい意味で)馬鹿らしいサメ映画とは違った読後感。メッセージ性が前面に出る映画が必ずしもいいとは思わないけれど、こういうサメ映画もあるのかと、ストーリーのチープさはさておいて真新しさを感じた。