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眠れぬ夜に-13-
第13夜
Aさんの訃報を聞いたのは春にしては深い雪の山中で、スキー板で踏みつける雪の感触を記憶にとどめることの方が大切だったが、義理を欠いてはならぬと思いそのまま喪服に着替えバスに乗る。斎場へ直行するバスの中は全員喪服であった。
バスが着いた大きな駐車場には21世紀風の弔問センターがあり、案内する青年は誇らしげに「我が宗門は、、」などという。どこかの総本山であるらしかった。
会葬者の列は駐車場にまで延びていて、私は心のスイッチを切って最後尾に着けた。
前の人の背が高く視界は左右に分断されていたが、列が境内まで進むとそこは春のうららかさが充満しており、大きな枝垂れ桜が見ごろで、黄土と芽吹きの薄緑と桜の滲んだような色合いが気分をほぐした。
ようやくAさんの記憶をたぐって見る気になったが、せっかくの気分を壊したくなくて、心のスイッチは入れなかった。
列は滞ることなく進み、ほどなくして小さな山門をくぐるとそこは小さな丘を囲む回廊のようになっていて、右に折れた所には大きな桜の切り株があった。この回廊は丘の斜面の様々な趣向を拝覧するように出来ているらしい。
目の前の大男が退くと、切り株の中にはこれまたおおきなうろがあり、うろの中には水が流してあり、そこにAさんの心臓が吊るしてあった。
精巧な竹細工の模型の心臓と並べられていて、Aさんの心臓が致命的に肥大していたことがわかる。さぞ苦しかったことだろう。
列が進むと、こんどは斜面に穿った穴に胃袋が吊るしてある。胃袋は半透明な人工物で、そこだけ黒い開閉装置が痛々しかった。その横には胃ろうの入り口部分が並べてあり、最後の食事とおぼしき流動物がプラスチックカップに入れられていた。
この展示は私の不意を突いた。エンバーミングで繕われたAさんの最後の顔を見ても、それで義理が果たせるとは思っていなかった私を救ったと言っていい。Aさんの人としての痛みの最後の瞬間に私を誘ってくれたのである。少なくとも私には悪趣味ではなかった。
第13夜
了
ノンアルで晩酌のまね事をするようになって久しい。その日の事を手のひらの上に出して見たりクズカゴに入れて見たりもするし、考えても仕方のない事を取り出してきて結局は「仕方ないか」としまい込んだりもする。何も解決しないけれどそれがまたよい。相手がいればたわいもない話で時間を潰し、頃合いで引き上げる。飲んでる時にこれが出来たなら、なんて後悔も案外悪くない。
それでももうちちょっとだけ、と感じた時は小さな物語を読む。小説でもエッセイでも漫画でも。最近は昔書いた自分のテキストを眺めるのも好きだ。私自身、驚くほど忘れていて新鮮である。アル中の利得と言う事にしよう。
暫く、その雑文をここに披露させて頂く事にします。眠れぬ夜の暇つぶしにでもして頂けたら幸甚です。
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