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伊藤詩乃ピアノリサイタル vol.6

2024年12月18日は「伊藤詩乃ピアノリサイタル vol.6」で松濤サロンに行ってきた。
約ひと月前に発売されたチケットは即日完売。当日も大入り満員だった。ざっと見渡したところ、アンスリューム(以下「アンス」)に加入してからのファンが大半を占めていたようだ。アンスが11月末で活動を休止したことも券売に好影響を与えたのだろう。

フライヤー(伊藤詩乃さんの「X」より転載)

定刻になると、赤いドレスを身に纏った詩乃ちゃんが入場してくる。

リサイタルは「ピアノソナタ第八番(悲愴)第二楽章」(ベートーヴェン)からはじまった。冒頭の物憂げで温かみのある旋律が麗しい、今回唯一のクラシック曲だ。広く一般に知られ、ドラマ『のだめカンタービレ』の挿入曲としても著名なこの楽曲を、詩乃ちゃんは一音一音を丁寧に鳴らしながら、まるで赤子に諭すように弾いていた。

どういう属性とニーズを持つ客がこの日集ったのか?彼女は分かっていたのだと思う。今回のプログラムは全体的に取っ付き易いもので、自分の今の顧客のペルソナを良く理解して作っていたという意味で優秀なプログラムだった。最初のMCで告げられた悲愴の解説もありがたかった。楽曲の解像度が上がった気がしたので。

会場となった松濤サロン

次に披露された「silent」(SEKAI NO OWARI)は、一転して音と音の繋がりが雅で、踊るように軽やかに弾かれた。この曲はクリスマスをテーマとした楽曲で、原曲に入っている鈴の音を再現したような柔らかな白鍵のグリッサンド。そして、アウトロのベース音の余韻の中で奏でられた繊細な高音が記憶に残った。このアウトロが流れた時間は、今回のリサイタルで最も素敵な瞬間だった。
やはり彼女にはポップスを弾く才能がある。そして、しのちゃんねるをはじめた頃に比べると上手くなっている。強くそう感じた。

当日の伊藤詩乃さん

最初のMCに続いて披露されたのは「Baby, God Bless You ~命~」と「For Tomorrow」という清塚信也の楽曲。余談だが、「Baby~」が発表されたのは2015年10月で清塚さんが32歳の頃だ。どういう人生を歩んで来たら32歳でコレを作れるのだろうか?と、この曲の生演奏を聴く度に考えさせられる。

詩乃ちゃんの「Baby, God Bless You ~命~」は冬の朝の清涼な空気のような肌を刺激する高音から入り、中盤の新しい生命が放つ輝きのような力強さが良かった。スピードは原曲よりやや速い気がした。

続く「For Tomorrow」は導入部がやや遅く、途中でスピードを変化させながら演奏された。今の彼女にしか出せないような若々しさと瑞々しさを感じると同時に、スピードの変化と強弱の打ち分けによる山場を作っていたのが良かった。
今回の演奏は全体的に抑揚に力点が置かれていたような気がする。演奏を分かりやすく観客に届けるためだと解釈している。

終演後のピアノの様子

本編最後のブロックは詩乃ちゃん作曲の3曲。
彼女が初めて作曲した「First time」は、披露される度に異なる表情を見せてくれる。今回は初動(ピアノの弾き始め)が実に滑らかでナチュラルな点に目を惹かれた。

「Infuse」は詩乃作曲の中でも完成度が高い一曲。わりと唐突に終わる点が逆に余韻となる。

新曲「眠らない景色」については演奏直前のMCで丁寧に解説された。この曲は「日本語のタイトルで勝負した」とのこと。夜景を構成する一つ一つの灯りの下に、それぞれの人生がある。誰もが幸せであって欲しい、そういう願いを込めて作った曲とのことだ。ちなみに彼女が「眠らない景色」というワードで検索すると結果として「歌舞伎町」の風景がでてきたらしい。。。
肝心の楽曲だが、ポップスでもない、クラシックでもない、ジャンルをクロスオーバーしていたのが面白かった。誤解を恐れずに言えば、視点も行き来していた。途中に差し込まれた高音の粒が夜景を彩る個々の灯りを表しているようであり、山場では灯りを見守る彼女の思いが表現されているように感じたからだ。終わり方も綺麗で説得力があったと思う。

今回は「First time」→「Infuse」→「眠らない景色」と作成順に披露されたことで、彼女の作曲の技能の成長を感じることができた。明らかに上達している。

当日のプログラム

アンコールはアンスの楽曲から「口下手ナイトメール」のピアノカバーが選ばれた。彼女がアンスに所属している限り、ピアノリサイタルでもアンス曲のカバーが披露され続ける気がする。それはきっと観客が求めているものでもあるだろう。
この楽曲ではベース音の深みと、対比するように奏でられた主旋律が非常にクリアで、歌うようにつけられた抑揚がリアルだった。思わず先月アンスを卒業した月埜さんの顔が浮かんできたほどだ。

ちょうど5ヶ月ぶりに開催されたリサイタルだった。
今回の特徴はプログラムが客層に適していたことで、演奏もプログラムにフィットしていたこと。各曲の演奏のクオリティもしっかり練習に時間をかけて仕上げてきたようで申し分なく、奇しくも前回やや弱いと感じた部分が全て補強されていた。さすがだと思った。

詩乃ちゃん自作のプログラムボード。今回はパソコンで作ったようです

一方で、アンスに所属している限り、詩乃ちゃんのリサイタルに集う観客が求めているもの、そしてそれを反映したプログラムと選曲も今回のレベルから大きく上がることはないと思う。ともすれば観客がリサイタルに求める最も大きな価値は、高度にテクニカルな演奏を聴くことではなく、彼女に直接会うことかもしれないと考えるから。

その中で彼女が将来を見据えて何をテーマとして演奏会を開いていくか?となると、自作曲のクオリティを上げることだろう。演奏家兼作曲家的なキャリアを目指しているのなら、現在の全肯定に近い客層を利用して作品を発表し続けると良いと思う。

最後に余計なことを一つ書いて本稿を締めたいと思う。
彼女が作曲家として敬愛する清塚信也、そして久石譲(この日の場内SEはジブリのサントラだった)、劇伴音楽の作家でもあるこの2人に共通することがある。若い時期に集中してたくさんの映画を見ていることだ。作曲家として多くの人の胸に響く曲想を生み、それを譜面に落とすには、たとえ疑似体験だとしても様々な経験を積むことが不可欠なのかもしれない。

その意味で、特典会で多くのファンと交流して色々な話を聞けるアイドルという職業は、作曲家の素養固めとして適している気がする。彼女のピアノの技能とアイドル活動を通じて得た人生経験から、一聴して耳に残り、多くの観客が素晴らしいと思うほどの珠玉の名曲が生まれるかもしれない。私はそれを期待している。

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