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コロナ禍の認知戦を乗り越え29歳で人生あがって思ったこと~武藤 諒太の能天記~

『人生あがった』と聞いてどんな印象をお持ちになりましたか?

今回はそういった洗脳や固定観念にもふれながらいろいろと綴りたいと思います。

まず、『人生あがった』ときいて何を連想したでしょうか?

・経済的、時間的自由の獲得

・アセンションした波動の高い生活

といったような生活観をパッと想起されたのではないでしょうか?

こうした条件反射的な想起、連想というのは自分が過去得た情報をもとに想起され連想されていくわけですが、このような条件反射的な連想により想起されること自体が洗脳や固定観念をはじめとした『思考・過去の情報に囚われている』ということになります。

そこには『精神の自在性がない』です。

諒太は生活のなかで「これは○○かな」「これも○○かな」という感じで想起される情報をある意味、審神者することによって『思考・過去の情報に囚われている』という状態を『解く』ということを少しづつ行ってきました。

その結果、『精神の自在性を掴む』という習慣と選択する意思操作のある生活になっていきました。

『人生あがった』⇔『情報に囚われている状態を戒め、精神の自在性を掴む』生活に変化した

『納得のいく答えに辿り着いた』

『人生、楽になった』

というのが『人生あがった』の意味になります。

『精神の自在性がない』を、別の表現をすると『言葉に縛られている』(観念、常識、社会洗脳、社会通念など)状態になります。

「『人生あがった』⇔『経済的、時間的自由の獲得』って思うやん、普通ー。」

みたいなのも固定観念で、それ以上広げることができなくなります。

こうした固定観念は時々、『新たな可能性を潰してしまう』ことがあります。

『自分にはなんの才能もない』という固定観念や、そういった言葉とその決心によって『何も生み出せない自分』という情報ができあがってしまうのはよくある話ですが、固定観念や言葉は『新たな可能性を潰してしまう』側面を持っています。

今までの既存社会では『使い勝手の良い労働力』が必要だったので、

「働かないとこうなるけどええの?あー??」

みたいな恐怖を添えながらメディアを通し社会通念と言葉で『労働力の確保』を行っていましたが、近年の機械やAIの発達により人類は『労働からの開放』へ向かっています。

(なぜ向かうのか?「労働から解放されたいという『欲』」が動き生活様式の雛形が創られ、ひろがるからです。)

社会はまだまだ粗いかもしれませんが、人類の新しい可能性を開くには『言葉からの開放』(思考、観念、過去の情報)も必須となるんだろうなと思います。

言葉に惑わされない『笑えるほうのアホ』が増えると面白い世の中になりそうですね。


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ありがたいことに様々な方にお読み頂いております。

昨今使われがちな二極化の本質とは何か?

それは『意識の有無』が本質であると考えています。

①意識を持つヒト
②意識を失ったニンゲン

と、いった「すみ分け」が発生していく…ということを言いたいのでしょう。

この場で云う二極化において大きな葛藤を抱えることになるのは「②意識を失ったニンゲン」です。

「②意識を失ったニンゲン」に迫ることは何か?

すでに仕込まれていることは何か?

国内外情勢、科学と産業の行方、心の分析を以下の記事で行っています。

今とこれからを創る手札の1つになれば幸いです。



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