36年のゲーム人生で狂乱したモノたち《ファミコン〜ゲームボーイ編》
ゲームは、私の人生にエンタメをもたらしてくれた。
学校でイヤな体育の授業、マラソンや鉄棒や水泳や球技があっても、家に帰ればゲームの世界に没頭できた。そこなら私は主役だ。
友達が野球やサッカーに熱中してて、運動音痴な私は混じれなかったけど、テレビの中のゲーム世界が極上の遊び場だった。私の居場所はそこにあったんだ。
妹といっぱい遊んだ。年の近い親戚とも遊んだ。友達ともやいのやいの言いながらとことん楽しませてもらった。
いい時代だったと思う。
ファミコン 1983年
ゲームボーイ 1989年
スーパーファミコン 1990年
プレイステーション 1994年
セガサターン 1994年
ニンテンドー64 1996年
プレイステーション2 2000年
ニンテンドーゲームキューブ 2001年
ニンテンドーDS 2004年
PSP 2004年
小学生から大学生までの青春ドマンナカで、ゲームの歴史を経験したんだ。
私は自己紹介で「ゲーム好きです」と言っているんだけど、これまでどんなゲームで遊んできたんだろうと自分で気になった。
先日リメイクされたドラクエ3をキッカケに思い出してみた。新ドラクエ3は買っていない。今回は見送ろうかかと思っているんだ。
あれ……もしかしたら初代ドラクエ3はクリアしていないかも。いや待て。ゲーム好きを公言しているわりに、私、クリアしていないゲームだらけかもしれない。好きなゲームでさえ継続は苦手とは。
だって、今みたいにゲームの攻略情報がないんだよ。ネットが存在すらしてない時代だもん。ファミコンはジャケ買いか友だちがやっているのを見て買ってたんだ。あとファミ通ね。ゲーム雑誌。近所の本屋で立ち読みしてたな。
だからハズレを掴まされることも多々ある。有名クソゲーのトランスフォーマー・コンボイの謎とかさ。魔界村もむすがしかったよな。
今でこそ「クソゲー」なんて言葉があるけど、当時は1本のゲームソフトを手に入れるのが貴重なわけよ。クソゲーなんて認めたくないわけよ。だからクソゲーをやるしかないわけよ。まぁ、それでもね、ドラゴンボールのゲームはだいたい外れだったね。スパーキングが出てくるまではね。おっと、あとで語ろう。
では、これまでのゲーム人生をさかのぼってみます。発売年を合わせて記載するけど、私がプレイした年ではない。
◆ファミコン編
スーパーマリオブラザーズ 1985年
いつのまにか家にファミコンがあった。親にねだって買ってもらった覚えがないから父が買ったのだろう。マリオ。これぞファミコンの、いや、ゲームの代名詞。おじいちゃんはファミコン=マリオだと思っていた。スマホをiPhoneと呼ぶように。
私のゲーム人生はすべてここから始まった。同世代ならどんなヤンキーでも「マリオ」や「クリボー」は知っている。日本が世界に誇るヒゲ兄弟。クリアしてない気がする。
エレベーターアクション 1983年
画像を貼り付けていいかわかんないからAmazonで失礼します。
ビルの中の各フロアに潜む敵を主人公がエレベータで上り下りしながらピストルでやっつけるゲーム。フロアの電灯を撃つと画面がちょっと暗くなる。それがなぜかおもしろくて何度も電灯を撃っていた。クリアはしていない。音楽がいい。
ファザナドゥ 1987年
親戚のお兄ちゃんがくれたソフト。最近調べてみたらパソコンの名作ゲームソフト「ザナドゥ」のファミコン移植作なんだって。しかも劣化移植なんだと。でもけっこう遊ばせてもらった。でも未クリア。今でもOP曲はたまに聴くくらい好き。
このお兄ちゃんからは「ドラクエ2」と「バイオの戦士DAN」ももらっている。どちらも1987年作品。ドラクエ2は当時の私には鬼畜すぎた。今、その親戚のお兄ちゃんはお酒をくれる。
ドラゴンクエストⅢそして伝説へ… 1988年
説明不要な超ビッグタイトル。当時はドラクエ3をしていないとクラスメイトの話題についていけなかった。今ってパズドラをみんながやってるわけではないでしょ?当時はみんなドラクエだよ。同じようにプレイしている先生が人気者だったな。
はじめは友達の家で見てただけ。ゲーム実況動画を見ているのに近いかも。親におねだりして買ってもらった。主人公の名前をなぜか苗字で「うえだ」にしていた。仲間の名前はみんな友達だ。みんな苗字のパーティー。うん、やっぱりクリアしていないわ。SFCリメイクでクリアしたかな。うーん。
ダブルドラゴンⅡ 1988年
横型アクションゲーム。これも友だちの家でやらせてもらってハマった。何がおもしろかったのだろう。必殺技「爆魔龍神脚」が気持ちよかった。中二的ネーミングだね。一時期にずっとやっていた記憶がある。
ドラゴンクエストⅣ導かれし者たち 1990年
リンクはリメイク版。ロト3部作を終えての新シリーズ。「DQ4」の文字と線路を走る映像のCMを思い出す。スマップが出演してたっけ。ジャンプのドラクエ4特集記事を楽しみにしてたな。
全5章の物語で主人公がそれぞれ変わる。ライアン、アリーナ・クリフト・ブライ、トルネコ、ミネアとマーニャ。最後の5章で自分の名前キャラがやっと出てくる。それまでの主人公たちが集結するマンガ的展開であつい。
第4章「モンバーバラの姉妹」と第5章の戦闘曲「生か死か」は神曲。すぎやまこういち先生の凄さ。4はドラクエではじめて最後までプレイをした。838861。クリア済み。
◆ゲームボーイ編
テトリスの登場。落ちモノ系ゲーム。その後に出てくるぷよぷよとかね。ドクターマリオは母が取り憑かれたようにやっていた。私は苦手だった。だからハマってない。高難易度だと指が動かないのよ。あんなギリギリまで上に積み上がってるブロック、どうやって消すねん。
マリオもやったし、カービィもプレイしたんだけど、あまり記憶にない。ゲームボーイといえば……サガかな。
魔界塔士Sa•Ga 1989年
ゲームボーイ初のRPG作品。サガシリーズの原点。友達がやっているのを見て欲しくなる。その友達が私のプレイ状況をいちいち聞いてきて「まだそこまでしか進んでないの?」とかマウントをとってくるのでめんどくさくなり途中でやめた。未クリア。戦闘曲は好き。今も聴く。サガシリーズでプレイしたのは次作サガ2まで。ロマンシング・サガやサガフロンティアはやってないんだ。
ポケットモンスター赤・緑 1996年
初代ポケモンは白黒なんだぜ?
ここに挙げさせてもらったけど、プレイした記憶がほとんどないんだ。ちょこっとだけやったくらい。当時、ゲームソフト販売店でアルバイトをしていたため、ポケモンは買う側ではなく売る側だった。その店が悪どくてさ、ポケモンと何かをセット売りで販売していたんだ。ドラクエ3で問題になった抱き合わせ商法。それくらい人気だった。入荷したら即完売ってレベルで。
……スーパーファミコンを書き始めるとさらに長くなるので、今回はここまで。
今日も読みにきてくれてありがとうございます。ゲームにはゲームそのものの思い出と、当時の人間関係の思い出がある。
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