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野球と文章

野球が好きである。

チョコレートを愛するように、雨があがれば虹が出るように、冬が寒いように、それはもはや必然的に好きだ。

野球学校、という名のコミュニティに入り、野球の文章を書く勉強をしている。

講義を受け、テーマにそった文章を書く。それを講師陣が講評してくださる。普段誰が読んでいるかもわからない自分の文章を、プロが読んでアドバイスをいただくというありがたい取り組みだ。

でもわたしは、その講師陣のことをよく知らない。彼らが書いたコラムを読みはするが、タイトルだけを見て読むので、誰がどれを書いたのかわかっていない。なのでこのコラムがおもしろい、というのはあっても「この人の」コラムがおもしろい、というのがない。「人」への意識をしていないからだ。

なので、課題を出す講師陣に寄せるということをしていない。その人が好きそうな文章がわからないから。その人に気に入られるものではなくて、それこそ講師陣が言う「人に見られる」ということを意識して書く。と偉そうに聞こえるけれど、変に先入観をもって書きたくないだけだ。

毎回100%の納得はしていないけれど、今回のは特に納得いかないまま提出してしまった。

仕事を詰め込みすぎて朝から晩まで外にいて、帰ったらお風呂、ストレッチ、おやすみなさい。ファン感も行かずスポーツニュースも見られず、野球の情報が滞っている。

いつのまにか締め切りを過ぎ、一度はもう提出を諦めようと思った。でもせっかくだからと書いたけれど、所要時間は数十分。2,000字ほどの文章でこれが短いか長いかはわからない。ただじっくりと読み返して改良することなく、提出した。

普段書くとき、「全然書けない…!」ということはない。なんにせよ、書くことはできる。めいっぱい書いてそこから削っていくのだが、書くだけ書いて納得いかないと全部消してテーマを変えてしまうことがある。書けるけれど納得がいかない。納得いかないものは、愛せない。

数十分でさっと書いた納得いかないものをプロに講評してもらうというのは、非常に心苦しい。そこにわたしの思い入れはなく、文章や内容の深みもないままプロの手に渡る。忙しい中時間を割いて、そんな作品を講評させる。考えただけでしょげてしまう。

わたしはなんのために野球学校で学んでいるのだろう、と思った。野球が好きで、文章を書くのも読むのも好きで、もっと学びたいと思ったからここにいるのに。そこに費やす時間がないなんてどういうことなんだろう。

文章を書く仕事がしたいとはよくいったもので、このままではきっと何も変わらず保育の仕事しかできないだろう。

諦めるのが嫌いなのに、今回の提出は内容の深みを諦めた。これは由々しき問題だ。ちなみにわたしのテーマは、12球団のガールズデーとガールズユニフォーム。

次の講義に参加するか迷っているけれど、きっともっと書いたほうがいい。書くことが好きで、楽しいと思うのなら、それをもっと大切にしたい。伝えたいことがあるわけじゃない。語りたいわけでもない。ただ、文章で表現することのおもしろさから、離れられない。

それは話すのが下手だからかもしれないけれど。慣れると結構しゃべるんだけどなぁ、率先して。

なんて思って、今日は長いnoteを書いてみたりした。おやすみなさい。

#日記 #エッセイ #コラム #野球

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