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見つかる言葉 広がる世界

以前の記事でこのような話をしました。

“言葉を知ることで、世界を理解する ”

漢検準1級の難易度に関して説明する記事で、2級と準1級に登場する漢字の利便性について比較をしました。
その際、準1級で学ぶような非常に難しい漢字・熟語は、日常生活やコミュニケーションではまず使えない。という話をしました。

例えば、準1級に「瓦釜雷鳴」という四字熟語が出ますが、
「あんな無能上司が重役になるなんて、瓦釜雷鳴だ。」
と言われて「えっ何?分かりにくっ」ってなりますよね?
(※能力のある人が高い地位につかず、能力のないものが高い地位について威張り散らす、という意味です。)

このように、準1級に収録されている熟語などは、日常的にはまず使えないという話をしました。
しかしそのような難しい熟語でも、学ぶ価値はあると話しました。それが、

言葉を知ることで、世界を理解する ”

ということでした。

さて、これはどう意味なのか。先に結論から言えば、

今まで自分が言葉にできなかった、事物、感情、経験。
これらを指し示す言葉を知ることで、今まで認知できなかったものが、認知できるようになる。

そして世界が広がる。

ということです。おそらく頭にはてなが浮かんでいる方が多いと思うので、丁寧丁寧に説明しますね! 以下のような流れで話していきます。


<今回の流れ>

①記号論について
(なんで「赤」の信号を見ると、「止まろ!」ってなる?)

②抽象的なものへの応用
(「悲しい」って言葉がないと、悲しみは伝えられない。)

③それらを漢字・熟語へ転用
(新しい表現を知って、新しい世界を認知する。)


①記号論について
(なんで「赤」の信号を見ると、「止まろ!」ってなる?)

突然ですが記号論というものをご存知でしょうか?
まず記号と言っても「?!。、」みたいな、こういう奴ではないです。

この場合の意味としては、「なにかを代わりに表すもの」です。
もっと平たく言えば、「その〇〇に対してつける呼び名」です。

抽象的な概念には具体的な例が一番わかりやすいですね。
では今みなさんが動かしている、✋←こういうものがありますね。
これはなんて呼ぶかというと...…まあ「手」ですよね。

じゃあその手とやらでよく使っている、📱←こういう奴はって言うと、
「スマホ」ですよね。

このように、モノに対して、
✋=「手」📱=「スマホ」と、一対一対応の名前がついていると思います。
その名前・呼び方こそが記号です。

..….........…は?それただの名詞の説明じゃね??
と思われた方、安心してください。記号の性質はここからが重要です。

このような考え方をさらに広げます。

例えば、道を歩いてる時にやけにでかい、🚥←このような物体ありますよね。まあ信号ですね。
この信号、一分くらい経つと、🔴←赤色になりますよね。
これなんで色が変わるんですかね?カラフルに盛り上げたい的な?

と言われるとそうではなく、🔴は「止まれ」という意味ですよね。
つまり、🔴=「Stop!」という"命令文"なんです。

そして、🔵(青信号)を見ると「動け」という意味ですよね。
つまり🔵=「Go!」という"命令文"なんです。

不思議ですね。
🍎(りんご)を見ても立ち止まる人はいないし、
🐳(クジラ)を見ても急に走り出す人はいない。

なのに、🚥←この機械の
🔴を見ると確実に人は立ち止まるし、
🔵になると急に動き出す。

さて、例示が長くなりましたがこれも記号です。
🚥の🔴=「Stop!」という命令文、🔵=「Go!」という命令文
のように、一対一対応の呼び名(今回は「~をしろ」という命令文)がついているワケです。

ここまで、①記号論については大丈夫そうですかね?
🍎=「りんご」という名前であったり、
🚥の🔵=「Go!」という命令であったり、
A(なんかモノ)=B(呼び名=記号)と、
既存のモノに対してつける、何かしらの呼び名が記号なのです。


②抽象的なものへの応用
(「悲しい」って言葉がないと、悲しみは伝えられない。)

このように、記号というものは非常に便利なものです。
もし「スマホ」という呼び名がこの世に存在してなければ、

「俺この前この→📱、四角くて黒くて光ってる電気で動く機械をうっかり落としちゃってさー画面割れ..…」のように会話量が爆発するのですから。

さてこの記号の考え方を、信号の話から更に拡大します。

感情などの抽象的なものにも応用していきます。

また例です。
あなたはサーティワンで、バニラとキューピッドハートのダブルアイスを注文しました。少しでも満足感を高めるために、ワッフルコーンに+50円で変更して注文しました。しかし席につこうとしたその瞬間、なんと自分の靴紐を踏んで転んでしまいました。もう目から涙が出てきました。

さて、この感情をどう表すか。「悲しい」とかですよね。
なぜ長尺でこんな例え話を出したのか、それはこれも記号であるからです。
「悲しい」という言葉は、己の不幸・絶望を一言で説明する呼び名・記号なのです。
つまり、😭な状態=「悲しい」という呼び名がついているわけです。

このように、
人間の感情は記号によって認知できるようになっています

「悲しい」という言葉があるからこそ、相手に「あーなんか嫌な感情を今持っているのね」と簡潔に察してもらうことができるのです。

もし仮に「悲しい」という言葉がこの世界に存在していなかったら、まず自分の感情を伝えるのに1時間はかかると思います。(知らんけど)
(自分)「なんか目から涙が出てきて、体が気だるい感じで、えーと..…」(相手)「風引いたってこと?それとも玉ねぎ料理作ったとか?」
のように、自分の容態を説明することが不可能になるでしょう。

そして、相手に自分の感情を簡潔に伝えられるうえに、
自分自身の感情を理解する時にも、役に立つのがこの記号です。

え?となりますが、例えば、
「最近なんか学校行きたくないな…。」「周りの人に笑われてるような気がするな..…。」「体が重い.…。」
という現象が連なっているときに、何も表現する言葉がなければ、
嫌なこと×3 が起きているとしか思えないでしょう。
ただ「学校がめんどいという精神的疲労」&「風邪かなんかの肉体的疲労」が偶然重なって、嫌なこと×3 が起きているだけだろうと考えるでしょう。

しかし、
それは「鬱」っていう感情だよと言われた時、ハッと気がつくわけです。

「自分は鬱だったのか。嫌なことがただ連なっているのではなく、一つの原因があって、だから色々なことが嫌に思えたのか。」と気がつくわけです。

このように人間の感情というのは、「嬉しい」や「悲しい」といった記号によって、自分も他人も容易に理解できるわけです。

感情に限らず他の抽象的なものを考えてみましょう。例えば、
・「動物の肉を食べることが嫌で、野菜だけ食べて生きたい」という思想は「ヴィーガン」と呼ばれますよね。
・「自分たちの利益が一番重要で、資産を持っている奴が色々と命令して色んなものを作るべきだよな」という考えは、「資本主義」と呼ばれます。
・「電車が発進すると、なんか吊り革が変な挙動で動く」とか、「時速60キロ出てる車は何故かすぐ止まらない」といった、物理的な性質は一言で「慣性」と言えますよね。

このように、形のないものに対しても、我々は名前をつけて、記号を与えることで、簡潔に自分が認知したり、他人に共有できるわけです。
「なんか私動物の肉嫌いだけど、なんかの病気かな.…?」と考える自分に対して、「ヴィーガン」という呼び名が与えられることで、自分の性質を認知できるわけです。
そして、「私動物の肉食べるの嫌いで、野菜だけ.......…です。」と長々喋るより「私はヴィーガンです」と言ったほうが、理解されるのが早いわけです。

このように、記号というのは単なる物体の呼び名だけでなく、
形のない抽象物を簡潔に理解・説明する呼び名でもあるのです。


③それらを漢字・熟語へ転用
(新しい表現を知って、新しい世界を認知する。)

さて、ではこのような記号たちを知るためにはどのような手段があるか。
その一つが、漢検準1級出るような珍しい熟語などを知っていくことです。

自分が漢検準1級の勉強をしている時、色々な面白い表現がありました。
例えば、
「眼高手低(がんこうしゅてい)」という言葉。
意味は、「批評は上手だが、実際に創作すると下手であること」です。

この表現を知った時、これは様々な事物を表している!と思いました。
話し合いの場で、出た意見を否定するばかりで、自分のアイデアは大してない人。あるいは、大してうまくもないのにプロ野球選手について、あれやこれや批評する野球親父など。
なんだか似ているような経験を、ズバッと一言で示す言葉だと思いました。

あとは他にも、自分の感情を完全に表した言葉を見つけました。
「帰心(きしん)矢の如し」
意味は「自宅や故郷にまっすぐ早く帰りたいと願う気持ちが非常に強い。」

これを知ったときは、「間違いなく私のことですね!」と思いました。
学校行くにせよ、働くにせよ、一刻も早くお家に帰りたい、帰心矢の如しな方は一定数いますよね。

他にもこのような表現がありました。
「全豹一斑(ぜんひょういっぱん)」
意味は「物事のある一部分だけを見て、全体を批評すること。」です。
※豹の斑点を一つだけ見て、その豹の全て理解した気になる、という意味。

こういう経験ないですかね?
派手な格好している人を見て、「多分あの人怖い人だな…。」と考えたり、
Youtuberの動画内の言動だけ見て、その人の性格を分かった気になったり、
物事の一部分だけを見て、全てを理解した気になることって意外とありますよね?
自分はこの言葉を知って、全豹一斑に考えてしまう癖に気づくようになりました。

このように、漢検準1級に出るような珍しい表現からしか得られない、哲学性や格言性があるわけです。

今まで、「なんか意見を否定してばっかのやついるよなー」と曖昧に感じていた法則性に対して、「眼高手低」という記号を知ったことによって、そのような人間を認知できるようになったわけです。

見方を変えれば、漢字の勉強をすることは、哲学書や自己啓発本を読むことになると思います。
そのような漢字を学ぶメリットに気づいた時、ほんの少しですが漢検の勉強が面白いと思いました。(ほんの少しなんで、まあ辛かったですけど。)


さてこのような説明を経て、一番最初に話した結論が出るわけです。

まとめ

今まで自分が言葉にできなかった、事物、感情、経験。
これらを指し示す言葉を知ることで、今まで認知できなかったものが、認知できるようになる。

そして世界が広がる。

漢検の勉強を「語彙力のため」の実用性からやるのも良いと思います。
ですが、あえて小難しい、現代では消えつつある言葉たちを掘り起こすことで、過去の人たちが見つけ出した法則性、その法則の呼び名(記号)を知り、新しい世界を広げていくのも良いと思います。

長くなってしまいましたが、これにて終わります。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。ではまた。

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