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辛い過去は自分を救うっちゃ救う話

はじめに

たまには哲学チックな話でもしましょう。
皆さんは、自分の人生(特に幼少期かな?)を振り返ってみて、
辛かった思い出、嫌だった思い出はありませんか?あるいは、昔抱えていたコンプレックスなど。

少しだけ僕の昔話をしながら、その過去の経験がどう生きるのかを話してみたいなあと思います。

※僕の話はどうでもいいと思うので、例示程度で聞いていただければなと思います。
(「あー『辛かった思い出』ってこういうものを指してるのね!だとすると、自分にはこういう思い出があったかな…?」と思い当たっていただければ十分です。


ちょっとだけ僕の話

自分はコミュ障であることと、
友達が少ないことに大変なコンプレックスを抱いていました。
特に中学校の時。

学校に来ても、誰も自分に目をくれることはないし、
移動教室で一緒に来てくれる友達はいないし、
授業でペアを作れと言われても、自分だけ余るし、
部活では、先輩も同輩も後輩も誰とも話さないし、
下校では、誰とも話すことなく帰るだけ。

このような日々をずっと過ごしていました。
やはり中学校は初対面の人が一気に増え、昔の友達もちらほら別の進学先を行くこともある環境なので、適応力のないほぼ小6の私には辛い環境でした。

そんな自分を、中学当時の僕は、

情けない。


何もできない、こんな自分の生きている意味が分からない。


と思っていました。
(いや別に同情とかはしなくていいですからね!!自分から友達作ろうとしない奴が悪いので!!)

周りと自分を見比べてみて、コミュ力もなく、友達もない自分は劣等感の塊でした。



おっこれは、この後不登校にでもなって、で大学とかで起業とかして人生逆転するパターンか???そういうのもう見飽きたわー。

まーた自分の人生逆転をひけらかすような、イキリ野郎かよ….。



と思われたかもしませんが、自分はそんな大層な人間ではありません。
一発逆転の面白いストーリーを話したいところでしたが、中学校は普通に卒業して、第一志望の高校に普通に入りました。


ただ、高校進学前に一つだけ大きなことがありました。
それは中学での失敗から学びを得たことでした。

それは、

友達はいなくても死ぬわけではない

自分に力があれば他人に頼る必要はない

という学びです。

たしかに心の奥底では、
友達に囲まれて、バカみたいに笑って、自分を認めてくれる人とずっと話していたい。ボッチでいるのはつらい。
と思っていました。
けれど、

それが叶わなくても、そこまで卑下する必要はないのではないか

と考えるようになっていました。


高校にて…

といった感じで、少しだけ精神的成長の見られた自分は、高校で少しだけ頑張ってみることにしました。友達をちょっとでも多く作るために努力してみました。
具体的に、前後の席の人に自分から話しかけようとしてみたり(結局怖くて未遂で終わったけどね!)、スマホを極力いじらないようにしたり、笑顔を増やしてみたり、色々とやってみました。

結果…..、
上記の行動の効果はあまり無かったのですが、周りの人が超優しくて、あっちから話しかけてくれました!ラッキー!
周りに救われた運ゲー感は否めませんが、ほんっっとうに嬉しかったです。

学校来たら、あいさつを交わしてくれる友達がいて、
授業中でも他愛のない話をしてくれる友達がいて、
誘ったら学食に「俺弁当なんだけどなあ」と言いながら、渋々来てくれる友達がいて、
当たり前のように一緒に帰ろうと、教室の前で待っててくれる友達がいて、

友達がいるってこんな幸せなことなんだなあ

と感じました。
高校に入って自分の人生が好転してきていると感じました。
そして、

中学で味わったつらい経験は、今幸せに生きるために生かされている

と感じました。


大学にて….

めでたしめでたし!

で終わるわけではないんですね。
大学に入った僕は再び同じ問題にぶち当たりました。

友達ができない!!

知ってる人は0!自分に合ったサークルはない!
授業が変わるたびに、顔並びが全然違う!

といった新しい環境に再び投げ出された僕は、再び大学で友達0生活に戻りました。

ここからの対応がこの記事のミソです。

そんな状況に置かれた自分は、少しだけ新しい行動を取ることにしました。

友達を意識的に作りに行かない。

大学で多少無理をしてでも友達を作りに行く、という選択肢を捨て、
自分のことをもって見つめ直して、自分に合う人間を気長に待つという行動を選択したのでした。

だって、
別に友達いなくても即死するわけじゃないし、
友達いなくても別に成績とれるし

と、そこまで大問題ではないと考えたからです。
そして、下手に自分を殺して他人に気に入られようとすると、いつかガタが来ると感じたからです。
それならば、少し待ってみようというわけです。

それと同時にもう一つ、新しい変化が起こりました。
それは、

自分を認めてくれる友達を死ぬほど大切にする

という心の変化でした。
特に高校で運よく出会えた、かけがえのない友人を今できるだけ、ありったけ大切にするようにしました。

いつか、当たり前のように会っていた友人に会えない瞬間がやってくる。
それを思い、今できる限りの友達孝行をしてやろうと考えたわけです。
結果的に、今では時々時間がある日は会ったり、長期休みでは必ず旅行に行くようにしています。


辛い経験から得られた感情


このような2つの行動の変化が起きたのは、ひとえに過去のコミュ障で友達がいなかったという辛い経験があったからだと思います。その経験があったからこそ、「友達を大切にしたい」という思いが生まれたのだと思います。

「友達を大切にしたい」という気持ちは、抱こうと思って抱けるものではないと思います。たしかに、伝聞や他者の経験から「大切だなあー」と感じることはできると思いますが、それは自分の心の底から生じた気持ちではないと思います。

別の言い方をすれば、

自分がいかに恵まれているか、幸せであるかは、過去の経験と比べないと理解できない

と思います。
恵まれている人は、自分が恵まれていることに気が付かない。
とはよく言われますが、これは私たちの身近な人生をとっても言えることだと思います。


皆さんに向けて -まとめ-

長々とお話させていただきましたが、勿論、自語りがしたかったわけではありません。ボッチの素晴らしさを布教する、とかそういうわけでもありません。

友達がいなくても別に大丈夫だよ!ということも伝えたいことは伝えたいですが、一番伝えたいのは、

あなたの辛い経験は、いつか自分を救ってくれる。

あなたの辛い経験で、誰かを幸せにできるかもしれない。

ということです。
むかし、自分に向けて書いたメモにこんなものがありました。

自分の性格やダメなところ、人によっては病気や障がい。
これらのせいで辛くても、生きるのが嫌になっても諦めちゃだめだ。
そんな辛い人生を歩んできたのは自分しかいない。
そんな自分にしかできないことが絶対ある。
だって、そんなハンデ抱えて、人一倍努力して、生きてきたんだ。
同じ悩みを抱える人の気持ちだってわかるし、色んな視点を持ってる。
絶対に諦めるな。向き合って自分の糧にするんだ。

僕のメモ

大した人生を歩んでいるわけでもないのに、一丁前なこと言っていますね。
けれど、この考え方は今の自分を支える金科玉条でもあります。
現にこの記事を書いているのも、そういったわけです。

少しだけ、心、軽くなりましたかね…?

しがない青二才の言葉ですが、役に立ったのであれば幸いです。
ご覧くださりありがとうございました。




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