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I'm dancing in the dark

せめて同期のことは嫌いにならないでおこうと思った。

会社の話です。


高校の同級生をなんとなく思い出してそう思った。高校は地方公立進学校にありがちな、愛校心がものすごく強いOBOGがたくさんいて、入学してすぐに儀式みたいに洗脳されて、「××校生らしく」を一挙手一投足に求められる場所だった。私はとんでもない阿呆だったのでまんまと洗脳されて、そのおかげで高校3年間はそれなりに楽しかった。

結局どこかの組織に所属しなくちゃいけない時、その組織や中身を愛せるかどうかって私にとってはものすごく大きい、多分。組織自体を愛せなくても、構成員を愛せればそこに自分は帰属意識を持てる。私は疎外感・孤立感にものすごく弱いから、帰属意識を持てなかったらそこで終わる。

くだらないと感じることをたくさんやらされるのはもう目に見えてる。ただでさえ内定先に納得できてなくて、それでいて他の内定者に対して一種の劣等感を抱いているから、全てを見下して馬鹿にしてそこに所属している自分ごとまるっと嫌いになる方が絶対に簡単だ。でも、多分それじゃ駄目だから。せめて構成員ひとりでいいからその個性に愛を持とうと思う。


母と中学生の時の話をした。あの時どうすればよかったんだろうって。

一言で済ませるなら、「合わなかった」。

妙に連帯意識を持たせられる雰囲気と、面白く真面目でいることこそ正義みたいな脳死の空気感と、勉強ができるという側面だけ見て何も私を分かっていないくせに分かったつもりでいるように見えた教師と、全てが嫌だった。

でも結局今考えれば全て自分で作り出していた地獄だった。自作自演。滑稽にも程がある。友達がいなかった、のではなく、友達でいてくれた子達のことを自分が友達だと受け入れられなかったことが全ての原因。

あの時は組織も、中身も、構成員も、全てが嫌だった。そこに居るしかない自分も含めて真の自分が歩く地獄を皆で作っているんだと感じていた。思ったり、考えたりした記憶はない、ただそういう感覚があった。

尊大さ、それによって歪められた認知、プライドだけが成長した人間の被害者面。

お前ら如きに私の本音や本性なんて晒してたまるか、お前ら如きに理解られてたまるか、これは結局他人を自分より下劣だと認識していて、そんな人間たちに、「特別」な自分を理解されてしまうのが怖いという私の防衛でしかなかった。

どうしようもなかったと思う。あの3年間がなければ今もまだ自分は特別だと末恐ろしい希望を持っていたかもしれないし、特別でありたいなんて危険な期待を捨てられていなかったかもしれない。

最早中学校3年間に特別な感情はない。ただ、書き残しておきたかった。私の今日の10年前の自分に対する解釈を。


今日のタイトル:金星/女王蜂

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