断片#007|ふ菓子で撲殺
「人は『死』を信用し過ぎていると思いませんか。そんなに信用し、すんなり受け入れてしまっていいのでしょうか。大切な人がいなくなってしまってどうにかしようと思いませんか。黙って大切な人が焼かれてしまうのをただただ見届ける。そんな滑稽な事がありますか。なぜ全てを『無』にしたがるのか。なぜ『生』を諦め切り捨ててしまうのか。『死』は『生』になり得るものであり『無』ではありません。しかし、『生』を切り捨てない為には誰かの『死』が必要です。その『死』に最適な人間はこの世には溢れるほど存在します。我々がしている事は『浄化』です。僕も誰かの『死』で『生』に導かれました。僕を『死』に向かわせたのは僕のかつての家族です。流産でした。いえ、殺されたなどとは思っていません。『死』は新たな『生』へのきっかけに過ぎません。教祖様の『死』もまた同じ事です。『死』は新たな『生』への導きです。笠間渉の『死』によって『生』を得たはずであり、その予定でした。しかし我々の仲間である三鷹賢哉と江古田哲は失敗しました。必要以上に折檻をしたせいです。確かに穢れがある人間には上書きが必要です。笠間渉はかつて同時期に三人と肉体関係にあり、穢れがある人間でした。しかし、そもそも幼少期に我々の仲間である内原踪に印を押されていた。印を押されている人間に上書きは必要ないのです。笠間渉と内原踪はかつて家族でした。子と親です。姓が違うのはその印がばれてしまい、内原踪のかつての妻が離婚を申し出たようです。その事を三鷹賢哉と江古田哲は知っていた筈なのですが、無視をした。なぜなのかはわかりません。理由はどうであれ、そんな二人に『生』はありますか。ないんです。誰かの『生』の為に控えてもらっています。悪い行いをした人間に善い行いをしてもらうのは当然です。我々は果たさなければいけない事の為に、例え仲間でも『死』に最適な人間であれば手段を選びません。ただそれだけの話です」