2022年3月6日
画像はドット絵、かわいい。なにをイメージして作ったんだろうなあ。
昨日は書けなかった。まあそれもよい。
書きたいから書いているので、気にしない。
あまり家にいられなかったので、書く時間を取れなかった、ということにしよう。
昨日の事
昨日は何があったかなあ。
朝はすごく長く寝た。10時くらいまでねた。
10時半に家を出発しないといけないのに、10時くらいまで寝ていた。
そのあと急いで準備して、でも、出発時間には間に合わず、
乗りたい電車にも間に合わず、
「いやーこれは遅刻だな」
と覚悟をしたけれど、
結果的にはいつもと乗り換えのルートを変えて、なんとか取り戻した。
なんとか間に合ったけど、こういうのは良くないな~。
久しぶりに、テキトーすぎで失敗した気がする。
前日の夜に、何もイメージしないで寝てしまったなあ。
次の日のイメージ。
平日は予定が固まっているけど、土日はリズムが変わることが多いので
夜に次の日のイメージをするのは大切だなあ、と感じた。
昨日は、元気さと、まっすぐさと、明るく振舞うことと、
身体が勝手にスイッチが入って、なんとかすることができた。
事前準備で頭を使う必要が無い日だったから、気楽だったのもあるかもしれないけど。
ああいう振る舞い方が出来たのは、昨日はよかったと思う。
ネガティブに考えることばかりではないんだな。
今日の朝:お風呂と湯シャン
今日は雲一つない青空。天気が良くて、やることも多くない。
今日はのんびりできそうだ。書くことが思いつかないな~。
さっきお風呂に入った。最近はよくお風呂に入る。
シャワーは、常に行動をしていないといけないけど、
湯船につかると、何もしなくても、リラックスだったり、血行が良くなったり、身体が温かくなったり
更には、身体をこすれば多少の汚れは落ちていくから
シャワーよりも受動的に時間を過ごせて気持ちが楽になる。
そして、最近は湯シャンを試してみている。
きっかけは、Twitterで昔の人は月2回しかシャンプーをしていなかったという投稿を見て
その後YouTubeで調べてみたことだ。
なんかやってみようかな、と思った。
シャンプーに特にこだわりはないし、髪質やフケ等もこれまで特に困ったことはなかったから
別に神経質に何かにこだわる必要もないかと思って試してみている。
さすがにさっとお湯で流すだけ、は心理的に落ちつかなくて、頭皮を洗うゴム突起のついたもの(頭皮ブラシっていうのか?)を使いながら
3分くらいお湯を浴びつつ、頭を洗っている。
今のところをは、良くも悪くも変化が分からない。
特に臭くなったり、かゆくなったり、我慢が出来ないような症状はない。
髪は少し柔らかくなった気がする。
いいのか悪いのかはまだわからないから、もう少し続けてみようかなと思っています。
お金の相談をしたけど、目的はお金じゃなかった
金曜日に、FPの無料相談を申し込んで、オンラインで面談をした。
1時間くらい話すものだと思って、予定を空けていたんだけど
「問診で詳しくやると、口頭でのお話、どちらがいいですか?」
って聞かれて、
「問診で」
と答えたら、
「じゃあ、問診票を郵便で送るので、待っててください」
と言われて、10分くらいで終わった。
次はひとまず郵便が届くのを待つ必要があるみたい。
手続きとしてはスムーズなのかもしれないけど、あまりにサラッとしてて、拍子抜けをした。
本当に自分の家計の事について、詳しく見返したいだけなら、たぶんそれでも良かったんだと思うけど
それで拍子抜けしているということは、たぶん話を聞いてもらいたい欲の方が強かったんだろう。
お金の話を聞いてもらって、これからどうしたらいいか、意見だったりアドバイスだったりを聞き、やり取りをしたかったんだろうな。
問診票を書いて、郵送したら、また何か話を聞かせてもらえるのかもしれないから、今の段階でモヤモヤするのはあまり気にしないことにしよう。
でも、なんか、自分がこの無料相談に何を求めていたのか、ちょっと判明した気がする。
私は話を聞いてもらいたかったのだ。
孤独な老人(勝手なイメージです)みたいな症状に陥ってるな。まあいいか。
とにかく、問診票が届き、それを記入して返却、それからがスタートだな。
自分の家計状況を客観的に見てもらうことと、次のアドバイスをもらうことで、
少しでも方向性をはっきりさせたらいいなあ、と思う。
方向性がハッキリしたら、迷いを少なくして、そのことは進んでいけると思う。
自分と他人。「やってみる」と「やる」の間で
最近、「自分のことを見るとき」と「他人のことを見るとき」で
物の見方が大きく違うってことを実感するようになった。
他人にするアドバイスを、自分のことに置き換えて実践する、ってことがなかなかできていない。
他人には偉そうにパパッと応えちゃうんだけど、自分はパパっと言われたことを実践できるのか、っていうと、そうでもない。
そうでもない、というか、出来ていない。
「やってみようと思う」を「やる」に変える必要があるらしい。
「やってみようと思う」のままやらなかったことを、後々後悔するらしい。
私がやってみようと思うことななんだろうなあ。
やってみたいことってなんだろう。
4000字って難しいな~。ここで、ちょうど2000字くらい。
書きたいことが思いつかない。いや、何かあるはず。ちょっとずる掘り下げてみる。
やってみたいことを書いてみよう。
でもあんまり思いつかないなあ。
「〇〇する?」って聞かれたときに、「する!」って即答できるものが少ないなあ。
何かをするかどうかを迫られたときに
「でもなあ…」が先に来てしまうらしい。
いろんなことを考えすぎてて、シンプルにやってみる、みたいなことができていないらしい。
その時間が有意義か、とか、何か効率的か、とか、そういうことを考える傾向があるらしい。
「らしい」というのは、他人に聞いてそう言われたから、らしい、という感じ。
バスケットのことを話しているときと
車を運転しているとき
お笑いの話をしているとき
は顔が輝いているらしい。
車の運転は、今その瞬間そのことだけを考えていればいいからなのかもしれない。
でも、楽しいのかな~。
バスケットのことを書いてみる
バスケットの話は好きなんだろうけど、何かは書いて良いかわからないな~。
思いつくことはなんだろう。
最近は、原理と原則の話が気になっている。
そこから派生して、論理と力学の話。
力学から、モチベーションの話にいって、そこから、コーチングの話に行く。
コーチングの勉強をしていると、ポジティブ心理学とか、インナーゲームのとかの話に繋がった。
インナーゲームから、モデリングとメタ認知の話に繋がって
メタ認知から、自己認識の話に繋がる。
また、オートポイエーシスという単語も気になって、なんか本を読んでみて
そうしたら、ポジティブフィードバックや自己組織化の話になっていく。
ポジティブフィードバックの話は、さっきのコーチングやポジティブ心理学の話とつながってくるし
自己組織化は、複雑系と関わってくる。
複雑系の話を聞いていると、多様性や多面性、
機械論と生命論の話に繋がっていって
東洋思想と西洋思想に行きつく。
流行りの原理と原則。自分のバスケット観。
原理と原則の話を書いてみる。細かくわけじゃないけど。
私は言葉で明らかに定義したいんだよな。
自分がバスケットをよくわからなかったから、可能な限り言葉で説明してあげたい。
感覚でできる方じゃなかったから、伝わる基準を定めて、説明したい。
全てにおいて基準作りをしたいんだ。
明らかに分かる基準。やるかやらないかは置いておいて、そういう基準があるということはわかっておきたい。説明できるようにしておきたい。
「すべてが繋がるように、言葉で説明する。基準を提示する」
っていうのが、私がバスケットを考えるときの目標なんだよな。
可能な限り、感覚的なものを排除したい。全部説明できる状況がいい。
全てに理由があって、そしてその理由が、限りなく正解に近い方が良い。
正解というか、揺るがないもの。そのときそのときで都合のいい正解ではなくて、限りなく揺るがないもの。
そうやって言葉に直して、基準を定義していくバスケットを好んでいる。
だからあまり、選手ごとに変えるとか、好きな戦術とか、ないんだよなあ。
可能な限り正解に近いものを、実現しにいく。
バスケットの原理に近いものから導いた答えを、どう達成しに行くか。
手段はなんでもいい。でもより効果的なものがいい。
芸術や形を負うことに興味はあまりない。
うまくいっているのならそれでいい。
うまくいかないのなら、やってみる方がいい。
そんな感じでバスケットを考えている。
「言語化バスケット」が私の目指すものなのかもしれない。
そういう意味で、最先端のバスケットが、私の中に落とし込まれるのには、少し時間がかかると思っている。
論理と力学:心地よくプレーすること。
でも、こうやって、多くの物を言葉に直し、基準を定めていくと
あとはそれをやるかどうか、だけの状況になっていく。
これが正解に近いんだから、やる。やらないのは、どうして?
と、プレーする選手が(もしくは自分自身も)、どんどん苦しい状況に追い込まれていく。
それは楽しくないと思うんだよね。
正解だと提示されたものを、ただただ遂行していくだけ。
それは本当につまらないと思う。
そこで、論理と力学の話になっていく。
本来は違うのかもしれないけど。
論理というのは、物事を理詰めで考えていったときの道筋。
「仕事の論理」というの方が、私はしっくりくる。
どうやったら効果的か、効率的か、何が正解に近いか、何をする必要があるのか
そのあたりを論理的に整理していく。
ここの整理が足りないと、効果の少ないことにエネルギーを費やしてしまったり、報われない努力に時間をかけてしまう、なんてことになる。
だから、論理の整理は大切になる。
そして、私の「言語化バスケット」は、ひたすら論理面の整理をしていったバスケットだ、ということになる。
そして力学。「労働の力学」という方が、私はしっくりくる。
仕事、と、労働(=働くこと)は、違うものであるという考え方だ。
どんなに仕事の設計が素晴らしくても、実際に働いてもらえないと、何も進んでいかない。
設計だけでなく、ちゃんと前に進んでいくことにも、気を配らないといけない。
「労働の力学」には、そういう意味合いがあると思っている。
じゃあ、「労働の力学」のために私は何を考えたらいいのか...ってことなんだけど、
今日は4000字にいったので、終わりにしよう。
なんか、バスケットの話を書いていったら、何か書けるかもしれないなあ。
また今度考えよう。