Quiet Quitting と #天職だと感じた瞬間
最近、Quiet Quitting(静かな退職)という言葉を聞きました。簡単に言えば、必要以上の業務を行わず、ワークライフバランスをとる生き方のようです。少し穿った言い方をすれば、仕事に全力で取り組むのではなく、対価に見合った働き方をしようということでしょう。
この考え方には、賛否両論あっていいと思います。ですが、今のこの社会では、皆このように考えるのも当たり前だろう、と私は思います。選択的にこのような考え方をしているというよりは、そう思わざるを得ない社会で生きてるのだと思います。
そして現在、noteでは日本経済新聞が、#天職だと感じた瞬間、というキャンペーンを行なっています。これは日経新聞のプロモーションです。なぜ日経新聞はこのテーマを取り上げたのでしょう?
なぜ、静かな退職という言葉が流行り、仕事に全力投球するだけが人生じゃない、という考え方が流行っているような今、正反対の考え方とも言えるようなこのテーマにしたんでしょう?
日経新聞は経済界である程度影響力がある組織だと思います。そして、経営者側にも一定の読者層がいる新聞だと思います。
(日経新聞に詳しくないの間違ってたらですみません)
経営者側からみれば、今流行りの考え方は非常に都合が悪いはずです。
対価以上に働いてくれる労働者は、すごくありがたい存在でしょう。そして、今の職を天職だと思ってくれたらすごくコントロールしやすいはずです。
そのような労働者は、バブル崩壊以前や高度経済成長期の頃、まだ日本社会が上向きで進んでいくと誰もが信じられていた時代にはたくさんいたのだろうと想像します。
でも、今の社会はその頃とは違います。
勝手に天職だと思って、対価以上に働いてくれるような労働者はいません。
私が世の中の経営者側の人たちに言いたいことは、天職だと思ってほしいなら、それ相応の対価を払ってください、ということです。
対価はお金かもしれませんし、働きやすい環境を整えることかもしれません。それぞれの環境によって違うと思いますが、何も対価を払わずに都合のいい労働者を手にいれようとしないでください。
#天職だと感じた瞬間 、で集まったエッセイに対して何かを言いたいわけじゃありません。それぞれのエッセイには、それぞれの思いがあって、一つひとつが本物なんだと思います。
このハッシュタグを使って、都合の良い感動的なエピソードを集め、世の中の人にちょっと広めようとしている日経新聞に対してちょっと思っただけです。
このハッシュタグを考えた人が、何を思って決めたのか、分かりませんが、そんなことを思い、書いてみました。
余談ですが、個人的には、この静かな退職という考え方自体には、否定的な意見を持っています。
もちろん、現在の社会が豊かな社会であれば、この考え方は良いと思います。ですが、これから日本は格差が広がり、下にいればいるほどきつい社会になるであろうことを見据えれば、余力があるうちにできるだけみんな上に行こうとしないと、社会に潰されるのではないかと危惧しています。