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氷河期世代からの伝言
こんばんは、就職氷河期世代です。
ちょっと氷河期の話をします。
たいした話ではないし、ありふれた思い出です。
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就職できたのは半分、その後生き残ったのも半分
僕は運がよかったので、大学を出て新卒で就職した。
今の感覚だとイマイチ何を言っているのかよく分からないかもしれない。
新卒が就職できなかった世代だから、僕が新卒で就職できたのは運がよかったのだ。
一つ上の先輩は最終的に就職は決まったものの、全く向いていないゴリゴリの営業職で採用され、3月には集合研修で山籠もり、4月からは毎日始発で出勤という生活をして、一年半で退職してその後2年引きこもった(今は再就職してまともに働いている)。
二つ上の先輩は、派遣会社に就職してその後音信不通。
何人もの人が「公務員になる」といって試験を受けるために就職浪人をしていた。マジで、すごくたくさん公務員試験勢がいた。その後、実際に公務員になった人は僕の周囲には2人だけしかいない。1人は数年後、二度と会えなくなった。
同級生は、半分は正規雇用での就職ができなかった。できた人も、決まったのは10月とか年末あたりで、その頃には家と説明会の往復で卒論の準備以外に大学にも来なくなり口数が少なくなっていた。mixiにログインも少なくなった。ミクシィ!!
…
とまぁ、
今振り返るとこんな惨状だった訳だけど、当時は普通だったので特に何も思わなかったです。「今日も生きてる、カラオケ行こうぜ」みたいな。
「普通」は変わるのだなぁと、今さらにして思う。
死ななければ大丈夫
話は戻って…
そんな惨状の中、僕はいくつかの業界を候補に就職活動を始めて、途中でIT関係に絞ることにした。どうも人が足りないから入りやすいっぽいのだ。
当時まだ「ブラック」という言葉はなくて「3K」と呼ばれていた時代だったが、IT系であれば3Kではあるだろうが、就職できてITの勉強もできて一石二鳥(個人のイメージです)。文系学科で文学しかやっていなかったので、手に職を付けたいという気持ちがあった。
「死ななければいいだろう」という軽い気持ちだった。当時の日記に「最低、月にいくらもらえれば生活できるか」ということが綴ってあった。そういうムードだった。自分だけではなく、周囲もそうだったし、自分の親も学校側もそういう空気感だった。
新卒だけどハローワーク
「あの頃って、エントリーシートを紙で書いて送ってたんですよね?」とかよく言われるのだが、氷河期にはもうリクナビがあった。紙もあったけど。
さっき調べたら、1996年には前身のサービスが存在していたそうだ。
リクナビでエントリーしたり、メールでやりとりしたり、電話でやりとりしたり、、と、就職活動をつづけた。人が多いのは昔から苦手で、大きい会社に入るつもりはなかった。ので、中小IT企業を中心に受け続けた。今考えればスーパー危険な選択だったなぁ、と思う(中小企業全般がマズイという話ではなく中小のIT企業はヤベー確率高いけど運がよかったな、みたいな話)。
IT未経験(といってもJavaScriptくらいは書けたが)は問題にならなかったが、普通に圧迫面接をされたり、横暴なITバブル社長の説明を聞いたりで、説明会の途中退席とかはよくやっていた。
自分で決める、という意思だけはあったから、それがストレスとうまく付き合えた理由だったかもしれない。
結果、全然決まらず秋になるのか…?というタイミングで、リクナビ以外にも視野を広げた。
そう、就職と言えばハローワークがあるじゃない。
ハローワークでも新卒向け会社説明会をやっていて、いくつか回っているうちに一次試験・面接をパスして内定が出るようになった。
ハードルを下げたのだ。「リクナビに金を払っていないけど新卒採ってる会社もあるはずだ」という発想。清掃業者とか引っ越し屋とかが多い中で、ITの会社もいくつかハロワを使っていた。
けっきょく、都内の小さいソフトハウスに就職した。
氷河期って激務だったんでしょ?
という問いには
「そうだけど、僕はそこそこ楽しく過ごしてた」と答えたい。
常にバタバタしていたけど、濃密に時間を過ごしていた。
今の働き方だと、当時のような短時間詰込み成長はもうできない。
短時間詰込みの成長は、それ自体が悪いわけではないと思う。
自分の周囲で潰れていく人は、皆ほぼ主にパワハラと限度を超えた激務が原因で、限度を超えない激務(とりあえず毎日帰れるとか…)&上司がまとも、であればけっこう大丈夫だった。まぁ、大丈夫な奴しかそもそもその場に残っていなかったという気もする。
とにかく、今はもうやっちゃいけないやり方ではあるし、やるべきではない。毎日早く帰りたい。
激務ではあったもののアットホーム、@home=家にいるような安心感でそこそこの激務をこなし、もっと激務の先輩の仕事を巻き取って代わりに一人で仕事をする機会を増やし、そこそこ仕事をしてそこそこサボり、それなりの経験を2年でできるだけして転職した。
今でもあの環境には感謝している。
ちなみに、この後数回の転職をしてからコンサルティング会社に入るのだけど、現在もコンサルティング業界では短時間詰込み型のキャリア形成・成長ができると思う。
コンサル業は、基本的にそこそこ儲かっているし報酬もよいので余裕がある(人的にも会社的にも)、ちょうど良い程度に他人に興味がない人が集まっているので、ハラスメントが他業種よりも起きにくい。
あくまで他業種と比べて相対的に考えると、ね。変な人もいるので。。
あ、ワンマンなファームはダメっすよ。
氷河期から得たモノ
ということで、その後も色々あって今に至る。
ベストは尽くしていないが、ベターを繰り返したので後悔はあんまりない。逃げるにしても進むにしても、自分で選択した感覚がないと後悔が残るんだろうな、と思う。スレッタ・マーキュリーは後悔しそうだね。
では、なんとなく振り返って、あらためて思ったことをまとめておきます。
推しは命を救う
僕は氷河期のひでぇ時代も、その後のブラックワークも、いちオタクとして乗り切ったので、まずはこの話。
国民よ、推しを持て。
自分の中(外か…?)に別の頼れる存在や、自分を祝福する視点を置いておくのは、心理的安全が高まる効果があると思う。
正直、そういう存在が無かったらけっこうヤバかった。僕は、実在しない妹に無限に慕われている妄想を常に飼っているので、彼女を頼りに踏ん張るところで踏ん張れたし、逆に逃げるべきところでは逃げた。
自分の主観以外に、好意的な客観視を常に持てるのは強い。おススメする。
会社はつぶれるし、人は入れ替わる。永続するものはない
会社がつぶれても人は死なないので、仕事と心中することはない。
特に、仕事の失敗は挽回できるが、家庭やプライベートの失敗はだいたい挽回できない。
個人への影響度が高いのは個人のこと。
自分で自分を大事に。『可愛くてごめん』の世界観で。
会社はあって当然のモノではない
僕は、新卒はみんな最初はベンチャーに行ったほうがいいと思っている。いきなり大きなところにいくと何も見えないし、勘違いする。
不幸にも、小さな会社や損益が肌で感じられる会社からキャリアを始められなかった人は、この感覚を得る機会を失うと思う。
会社が存在しているのは当たり前のことではない。出社して働く場があるのは誰かが作ったからで、明日もあるのは誰かが維持しているから。知ってた?かなりヤバい事実だと思う。
働き方色々。非正規でもフリーでもたまに休んでても、キャリアを作れればいいじゃない
最近は正社員への神話的なものが薄まったかな、と思っていたけど、どうもそうでもないっぽい。もっと解雇がしやすくなれば違うと思うのだが。。
働き方の選択肢は増えたので、いいことだと思う。望んだ働き方ができない個人の問題と、働き方のバリエーションが多くていいよね、という話は関係がない。混ぜるな危険。
ただ、ストーリーのない職務経歴書はなんともならないのでやめたほうがいい。だったらまだ、旅に出ていたほうがいい。
その場でがんばれ
無駄な我慢はする必要なし。
だが、まず別の場所を探すよりも、その場でがんばってみたほうがいい。
望まない場所で働かないといけない時、それなりにあるんだけどね。人生に自分以外の観点を持ち込めるチャンスは上手く使ったほうがいい。
今自分の周囲の同年代で活躍している人は、自分以外が与えた場での経験をみんな活かしていると思う。
なんていうか、幅ってこうやって作るんだなぁと思う次第です。
人は自分だけでは、まっすぐしか進めないからね。
…
…
では、以上。氷河期からでした。