16歳の視点から見た、今の社会への訴え①。
なぜ私たちは争い続けるのか?16歳の訴え。
お疲れ様です。
思想家(Thinker) Uです。
今回は16歳「思想家(Thinker) U」の社会的訴え①です。
まず、私の自己紹介をします。
私は、哲学からアニメまで、幅広い分野に興味を持ち、独自の視点で深く
考察しています。
特に、心理学や教育、科学など、現代社会が抱える課題について、新たな
問いを投げかけることを得意とする16歳の思想家です。
次に、私の社会的訴えを話して行きます。
「この時点で既に世界は死に社会は腐りつつある」
そう確信している私は、人間という種の愚かさを痛感しています。
多くの人々が、取るに足らないことで争い、冷静な議論を拒否します。
SNSの世界は、まるで感情の暴走の舞台。
まるで、皆がロボットのように、憎しみと分断のプログラムに操られているかのようです。
「戦争はダメだ」と口では言いながら、いざ自分たちの生活が
脅かされれば、「戦争上等」と本音を漏らす。
奢り奢られ論争は、その典型的な例です。自分には関係ないという意識が、感情的な言動を生み出し、対立を深めています。
多くの者達は「より良い社会を」と口では言いながら、いざ自分たちの都合に合わない出来事が起こると、感情に任せて衝動的な行動に出る。
人間は、自分たちの弱さを認めようとせず、常に他者を攻撃することでしか自己を保てないのか?
人間は皆、同じように感情を持ち、感覚を持ち、そして時に過ちを犯す存在です。なのに、なぜ私たちは互いを差別し、憎み合い、争い続けるので
しょうか?
「差別」という言葉は、私にとって全く理解できません。
人間は皆、同じ人間なのに、なぜ「違う」という理由で相手を拒絶し、攻撃するのでしょうか?
それは、まるで、赤と青の色が「違う」からといって、どちらかが優れて
いるとか、劣っているとか言っているようなものです。
ニュースを開けば、性暴力や殺人の悲劇が報じられ、SNSを開けば、それに対する感情的な応酬が飛び交います。
「死刑にしろ」「永遠に牢獄に閉じ込めろ」
そんな声に、私は激しい怒りと絶望を感じます。
確かに、被害者の方々への同情は尽きません。
しかし、加害者に対する憎しみや怒りが、本当に問題を解決してくれるの
でしょうか?
私はそうは思いません。
犯罪は、決して単なる個人の悪意から生まれるものではありません。
その背景には、複雑な社会構造や、個人の抱える深い心の傷が
あるはずです。
犯罪者に対する「死刑」や「終身刑」といった感情的な処罰は、問題の本質を覆い隠し、新たな悲劇を生み出すだけだと私は確信しています。
「犯罪=SOS」
私はそう考えています。犯罪行為は、社会や周囲の人々への切なる助けを
求め、あるいは、自分の存在意義を見出せなかった結果の悲鳴なのかも
しれません。
また、近年増加の一途を辿る自殺問題も、私を深く悩ませています。
特に、SNSでのライブ配信を伴う自殺は、あたかも「自殺はエンターテイ
メント」であるかのような歪んだ価値観を社会に広めていると捉える事も
出来ます。
これは、犯罪と同様に、悪循環を生み出す構造を持っています。
「死ぬのは自由だけど、考えて死んで。」
「人に迷惑をかけてまで、なぜ?」
このような声も、一理あるかもしれません。
しかし、追い詰められた人が最後の手段として選ぶ自殺を、安易に非難することはできません。
私たちは、なぜ彼らが生きる意味を失ってしまったのか?
その背景にある社会的な問題や心理的な要因に目を向けなければ
なりません。
これが私の社会的訴え①でした。
明日もしかしたら、続きの②を語ると思います。
当然、全く違う問題についてになるかも知れません。
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