死とJohnny Marrとハイライト

私の義父はとても几帳面で、どんな些細なことでもスマホのメモに入力して、しかも、タイマーで適宜リマインドするように設定している。
だから1日に何度もスマホのブザーがなり、その度に何がしかを確認している。
何事もきっちりとしないと気が済まないので、こちらに確認しておきたい事項は何度でも確認するし、その説明は冗長すぎるくらいである。
お願いしている時間の5分前には出現して、その辺りを整理したりしている。
もちろん、自分の部屋は何もかもがピシッとしている。
その割に大胆なところがあり、結構大きなことでも即断即決するところがある。(突然駅前のマンションを購入するという話は、私でも驚いたし、そしていつの間にか購入していた)
そういったところが義祖父(つまりは彼の義父である)から、”お前みたいなガサツな人間は見たことがない”と罵られた所以であろうか?
私だったら、ガサツでは済まないだろう。

その義祖父はしばらく前に96で亡くなった。
コロナ感染からの肺炎という、高齢者には良くあるような経過であった。
危険な状態ですと病院から電話がかかってきて、しかしなんとか大丈夫であったことが数回起きた後、本当に呆気なく他界した。
いつものように病院から連絡があり、1時間くらいかけて妻と病院に向かい、到着して個室の窓越しに姿を見たその直後に息を引き取った。
まるでドラマのような展開だった。

その義祖父の家の片付けに少し前に出かけた。
懇意にしていたお隣さんが庭の手入れをしてくださっていたり、義父が何度か訪れては掃除などをしていたのだろうか、家はとても整然としていた。
中に入ると、カビ臭さなどは全くなく、整然とはしているものの、しかし生活感はまるでなかった。
そこここに好きだったお菓子の箱とか生活道具がそのまま残っているものの、そしてそれらがとんでもないくらい整理整頓されている。
新しもの好きで、なんでも手を出していて、80を優に超えていた時に自宅の無線LAN環境構築を配線からやっていたり、家中にコンセントを張り巡らせてみたり、パソコンはなぜかラップトップとデスクトップが2台ずつ書斎に置いてあり(しかもどれも新型で、最上級グレード)、これもなぜかは不明だがプリンターが2台つながっていたり、デジカメがこれでもかとあったり、そういうのがこれまた自分で作ったラックに綺麗に並べられていたり、好きだったドラマを録画したDVDなどが索引順に箱に入れて収納されていたり、まるで映画に見るハッカーの部屋みたいで、ある種要塞と化している。
寝室とリビングともう一つの部屋には最新型のテレビが外付けスピーカーをつけておいてあり、それらにはどれもがDVDプレイヤーや録画機がついている。
庭を見てみると、メダカを飼育して増やしてみたり、夏みかんや山椒の木を育てては収穫をしたり、もうこれでアイリスオーヤマの店が開けるのではないかというくらいの工具農具があるのだけど、それがものの分類ごとにしっかりと整理整頓されて、しかも綺麗にラベル付けがなされている。
そうしてものはたくさんあるのだけれど、洋服の類が全く見当たらなかった。
そもそも収納はほぼそういったものが綺麗に収まっているし、服を収納するスペースなどはないのだけれど、でも普通に服を着ていたからそれなりにあったはずなのに、おそらく処分されてか見当たらない。
さらに、玄関のインターフォンの履歴を告げる青いランプがずっと点灯していて何十件も溜まっていたり、一時期使っていた電動カーの充電が完全に切れていたり、温泉地にありそうなマッサージチェアのコンセントは入っていなかったり、農具などは錆び付いていたり、どこかで時間が止まっていた。
それに気がついた時に、猛烈に死を認識した。
死とは、あの病室の窓越しのお別れではなく、妻の願いでうちにご遺体を安置していたその風景でもなく、安らかな寝顔でもなく、漂う防腐剤の匂いでもなく、霊柩車で運ばれていくその景色でもなく、焼き場で向こうに送られる瞬間だけではないのだ。
誰もいなくなった住処で、残った者が物品を整理しにきた時に感じる不在。
それも死の一つの表現形であると気がついた。
 
トイレに立った妻が、泣いて戻ってきた。
トイレに貼ってあったカレンダーが、義祖父が入院した時からめくられることなく飾ってあった。
 
早くに母(つまりは義祖父の実の娘)を亡くして、さまざまな事情から妻と義父は義祖父母宅で生活した。
そういうことがあった人の御多分に洩れず、義祖父は、妻の言葉を借りると”どうかしている”くらい厳しく接したという。
親子で数時間正座をさせられて説教されたことも数え切れないくらいあったという。
そのため、数年で二人ともその家を出て、妻はそのことをとても恨んでいたと話している。
今際の際には耳元で”ザマアミロ”と言ってやるんだとそう話していた。
その妻が、あの病室の窓越しの別れで最後に文字通り叫んだ。
”じいじ、ありがとう!いっぱいいっぱいありがとう!”

私の最も敬愛するロックバンドThe SmithsのギタリストであるJohnny Marrは、彼らの最高にして最大のヒットアルバムであるThe Queen is Deadに収録されているI know it's overの最後のリフレインを、音を外しそうになりながらもサウンドトラックを力強く手繰るように歌いきったMorrisseyを見て、人生のハイライトを見たとインタビューで語っていた。
そんなことが本当にあるのだろうかと、数十年思っていた。
しかし、不謹慎ではあるが、私はその瞬間にハイライトを見た。
今もその光景は目や耳に焼き付いて離れることはない。




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