standing on the shoulders of giantsもしくはhpvワクチン

昔、俺のしかばねを乗り越えていけとかそういう感じの名前のゲームがあった気がする。
やったことは、もちろんない。
かのnewtonが言ったとされる言葉を現代語風にアレンジしてみるとそうなるのかもしれないと、ぼんやりと思ってみた。
もっとも、屍を乗り越えてきたから見えてきたのだ、というのが正解なところか?
 
科学の醍醐味は、間違いながらも少しづつ真実に近づいていくことである。
いや、そう信じる気持ちなのかもしれない。だって、進んだ先が正しいかどうかなんて、その時点でわからないのだから。
そういう意味で、科学は現代の宗教だと誰かが言ったのは、多分正しい。
しかし、なんと言っても良いのは、過去のものは常に間違っているという、青い青い思い込みである。
これぞまさにパンクロック、もしくはthe stone roses。

私も二流の研究者として、論文などを眺めながら、いやおいどんの方が正しかばい、とかそういう青雲の志でいまだに突っ張ってみてみる。
側から見ると、完全にアホである。
でも、それが科学の在り方であるはずだ。
だから、いつも論文などは、本当か?と疑ってみるようにしている。
そういう態度でいると、偏屈だとか逆張りとか言われてしまうのだろうけど、自分も含めてそもそも科学は間違うものなので、それがお作法なんだよ、ワトスン君。露口茂はすごいよね。

最近になりようやくhpvワクチンに関する正当な評価がそこここでみられるようになった。
しかし、いまだに接種率は低いという。
そのため子宮頸がんは日本の風土病になるかもしれないという、あまり笑えない指摘もある。
次世代を支える子供らの母親となるはずであった年代の人々を、こうまで追い込んだのは、疑いようもなく誰かの物語であって、科学では毛頭ない。
それがあっという間に日本を席巻した。
しかし、科学を信奉した一流から三流に至るまでの研究者の、時には屍と化したものも含めて、ここに至った。
それを評価して、立ち上がる人々も出てきた。
そのことに強い感動を覚える。
もちろん、小さな間違いは今後も見つかるかもしれない。
しかし、いずれそれらも含めて検討され、真実に辿り着くだろうと信じる。
 
先日、とても偉い人と話をすることがあった。
以前まで常識と思われていた治療法が、今ではそうでないことが明らかとなっているということだ。
つい30年くらい前は心臓カテーテル治療は、本当に一部の技術を持った医師しかできず、その人がいない時にはできないため、目の前で亡くなっていく人なんかをみてきた。
しかし、いつの間にかそこここで行われるようになり、そしてわかったことがある。
いわゆる狭心症などの時にカテーテル治療をしても、薬物治療をそれほど治療成績が変わらないのだという。
今注目されているのは不整脈に対するカテーテルアブレーション(不整脈の根源を焼く治療法である)であり、初発の心房細動に関しては、相当の結果を出しているのだそうだ。
また、その焼灼の方法もどんどん変化してきており、肺動脈との接合部を丸く焼く方法とか、冷却する方法とか色々出てきているらしい。
そういうのが本当に面白いですね、とその偉い方は仰った。
偉い人が偉い理由は、こういうところなのだと思う。
それまでの業績では決してないのだ。
自身が信じて築き上げたものすら乗り越えて、さらに正しいと思われるものを見つけにいく楽しさ。
そこにはもちろん生命に関わることなので、猛烈なまでのストイックさが求められる。
しかし、それも含めて楽しいと思える科学って最高。
いやぁー、科学って、本当にいい宗教ですよね。

いいなと思ったら応援しよう!