almost heaven

子供の頃から母の影響で洋楽を聴いていて、david bowieだとかstevie wonderだとかは知らぬうちのヒーローだった、もちろんthe beatlesも。
さらに子供の頃の一時期に米国にいたことがあって、なんとなく英語は聞き慣れてはいたのだけれど、学科の英語は大嫌いであった、特に高校生になってから。
洋楽が好きなのはそんな流れだけれど自然であって、当時とても流行ったculture clubとかcyndi lauperなんかはそれこそ擦り切れるほど聴いた。
一時期パンクロックが好きだったけれども、高校の音楽の先生が(なんと幼稚園の同級生のお父様)が授業の時にthe carpentersjohn denverを課題曲に指定して、それを聴くことになった。
もちろんthe carpentersは私のアイドルであって、中学2年生終了前の私はクラス替えの際に頼まれたサインブックに、RIP カレンと書いた。(アホなのはその頃から変わらないが、いまだにこれは私の誇りだ。)
歌詞も丁度分かりやすく、物語の流れもまとまっていてとても綺麗であったから、音楽性も含めて大好きであった。
かたやdenverは、その昔、おはよう700という番組があって、アメリカを縦断だか横断だかする企画の時に使われていた曲で知っていた程度であった。
アメリカへの、多分その頃に持っていた程度の郷愁もあったが、歌詞も適当にしか知らなかったけれども、好きな曲ではあった。
しかし、はじめて歌詞を渡された時に私は衝撃を受けた。
almost heaven, west virginia, blue ridge mountains, shenandoah river。
固有名詞の羅列から始まる歌詞に、当時の私はぶっ飛んだ。
そして、その羅列が想起させる故郷の光景の力強さに、心から打たれた。
そのあとも固有名詞の羅列が続くものの、物語性は失わず、非常に叙情性に富む歌詞が続く。
misty taste of moonshine, teardrops in my eyesってなんだよ。
こんなに美しい歌詞があるだろうか?
あれから40年近く経つけれども、未だにその歌詞の美しさを思い出しては驚愕する。
某作家が、っていうか私の好きなエッセイスト(本人は小説家という)がそのエッセイの中で、中国人と米国人の違いは語彙の豊富さで、故に中国には暴力はないと言っていたが、全く間違いだと言わざるを得ない。
英語はとても機能的な言語で、論陣を張る為の言葉だ。
故に英語論文でも簡潔表現が好まれる。
しかし、その簡潔さに叙情性がこもりうるのは、俳句の国の日本人なら想像するのは容易であろう。
口論の際に色んな言葉が出てくるのは、間違っても語彙の豊富さでもなんでもない。
ただ単に人を罵る言葉、つまり程度の低い言葉が多いだけだ。
松島や、ああ松島や、松島や。
この殆どくだらない言葉の繰り返しが持つ、その奥の深さを日本人なら分からないはずはあるまい。
字面には現れない美しさを、そして我々日本人が忘れかけている言葉の奥になる意味を、情緒とはほど遠いと思っていた米国人が身につけつつあることを我々はどう考えるべきであろうか?(この辺りは、以前にも黄昏時の話で書いた)
almost heaven。
それだけでもう十分ですらある。

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