二流研究者(三流ではない)のエゴサーチ
エゴサーチといえば自分の名前をググったりして、その結果にグッタリすることですが、研究者のエゴサといえば、やはりweb of scienceでしょう。
ノーベル賞候補を毎年、その人の論文の引用数などから発表しているclarivate社が提供しているサービスです。
論文を検索して、それがどれくらい引用されているかも情報として見ることができます。
友人が、やっぱりどれだけ引用されたかって科学界への貢献という意味では大事だから、引用されると嬉しいですよねと言っていて、その頃から二流の兆しがすでにあった私は、ほぉそんなものかねと思った記憶があります。
確かに、何かを発表したらその反響はあったほうがいいでしょうし、そんなものがなければただの自己満足にしかなりませんしね。
そんなもののために大事な税金から研究費をいただくのもだいぶ図々しい話のような気がします。
そんなわけで、自分で研究費をとってからというもの、自身の論文がどの程度引用されているかを定期的にみて見るという、世の中の人々にとってはどうでもいいエゴサをしています。
某研究所では、トップの人が所属する研究者が投稿した論文の引用数をみて評価しているという噂を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
おそらく本当のような気がします。
なぜかは不明ですが、世の中にはimpact factor(その年に引用されたある雑誌の掲載論文数/過去2年間のその雑誌の総掲載論文数)信仰というものがあり、それが高い雑誌に投稿して掲載されるのが素晴らしいこととされています。
でも、それはその人の論文の引用回数を示すものではないのはみて分かる通りです。
言うなれば馬子にも衣装状態がありうるということですね。
また、所詮雑誌など前にも書いたように、査読者が完全に問題点を指摘できているのかという問題もありますし、編集者が”これは!”と思っても意外とヒットしなかったり、最悪の場合捏造論文すら掲載することもあるので、雑誌のグレードで判断するのはちょっと違うかなと思います。
そりゃ確かにグレードの高い雑誌は目につきやすいですし、そうなると引用されやすくなりますし、そこの論文を引用すると自分の書いた論文の真実性というか正当性も高まるような気がします(完全に虎の威を借りてますね)。
でも、論文なんて読まれてナンボ、人目についてこそ引用もされるわけなので、ニッチなところをつついている私は学会誌にしか出さないという、謎な決意をしています。(投稿料もかからないことが多いのもある)
ちなみに上にも書きましたが、clarivateが予想するノーベル賞候補は引用数を元にしていますし、最近沈滞傾向の日本という形で言われることの多い、いわゆる科学力の国際比較なんかも引用数で語られます。
もちろんいわゆるハゲタカジャーナルなどが急速に増加して、どうでもいいような内容の論文がそこで引用されていたりもするし、そういう雑誌ではそもそも無関係な内容の論文を引用したりして、もう何が何やらなんてこともあったりするので、本当に引用数だけでいいのかという問題はありますが。
そんなこんなでいつも通りエゴサをしていたら、見慣れぬマークがリストについていました。
赤い優勝カップみたいな。
???
カーソルを合わせると説明の窓が出ました。
みてみると、As of July/August 2024 , this highly cited paper received enough citations to place it in the top 1% of the academic field of XXX(ここは研究分野) based on a highly cited threshold for the field and publication year.とありました。
むむ!
これは私が書いた論文が少なくとも今年の夏の時点で上位1%の引用数を得たということですか?
ですよね?
上のサイトの国際比較でも上位1%の論文と10%の論文の数を用いています。
もちろん、そちらはある程度の期間における集計というのはわかっていますが、一瞬でも日本の科学力(ま、比較のための、ですが)の足しになったかと思うととても嬉しいです。
科研費をもらったことの恩返しができたような気がします。
国民の皆さん、私やったのよ!皆さんのおかげよ!と感謝を込めてお礼を述べたいです。
もちろん、これが一流への入り口であるはずもなく、ただの瞬間最大風速であるのはわかっていますし、これが今後の研究費の取りやすさに反映されるわけではないのですが。
だって、連報で掲載された別の論文はマークついてないですし…。
さて、嬉しさのあまり妻に報告しようとして、”ちょっと自慢していい?”と言ったら、”どうせ金でしょ?”と言われてしまい、それ以上何も言えなくなってしまった私でした。