紙の保険証って…
政治的なことを書くのは嫌なのですが。
立憲民主党の野田さんが、まずやることはと訊かれて紙の保険証を復活させると言ったとか。
そもそもマイナカードを持っていないのなら資格確認書を使えばいいのでは???
そもそもマイナ保険証(といっていいのか?)は医療DXを推進するための方策のはずです。
増大する一方の社会保障費をどうにかするために、医療情報の一元化を推進するために、受給者証などの付随するものも一括とするためになどなど。
そして、さらにその奥におそらくあると思われるのが、高齢化先進国としての高齢者医療に対するデータ活用を行い、適正な医療制度を構築していくことです。
ものすごく荒っぽいことを言うと、平均年齢を優に超えた高齢者に対してどこまでの治療的介入(降圧薬などの処方)が妥当なのか?
これは高齢化先進国の日本でしかできないことです。
意味のない(つまり、ここでは生命予後の改善が見られない)治療行為を、若年者も行っているからという情緒的な理由で漫然と行うのは正しいのでしょうか?
それは本当に人道的な対応なのでしょうか?
もし意味があるとしても、その根拠はまだないわけです。
そんな状態になった社会を世界のどの国も経験していないわけですから。
そういった医療情報を統一的なプラットフォームに載せて検証しましょうというのが、究極的な目的であると思います。
昔冗談で言われたような、シップをたくさんくれるからあのお医者さんはいいお医者さんだ、と言うのはそもそも医療だけでなく経済的な側面からも明らかにおかしいのです。
一方で国民皆保険のような素晴らしい医療制度をいかに持続させるのか?
そしてそれを持続させるための要件(落とし所と言ってもいいかもしれません)は何なのか?についてしっかりと議論するための土台作りは、必須でありかつ喫緊の課題であるはずです。
それを、大政党の党首であり、何より医師の父である野田さんが言っていると言うのは、本当に大丈夫か?とかそういうのを通り越して、呆れ果てるより他ありません。
この一言だけでも立憲民主党(もしかしたら野田さんだけかもしれませんが)がどこを向いているのかわかるというものです。
少なくとも現役世代ではない。
未来を担う世代でもない。
そもそもの効果すら検証していない、そうなると治療とすら呼べるものではない”医療”を漫然と受けている高齢者なのか?
そもそも医療行為には必ず副作用といったものはつきものです。
それがもしかしたら高齢者には致命的となるかもしれない。
日本最高学府を出た精神科医のお医者さんが、高齢者には降圧薬は意味がないとどこかで書いていましたが、甘い言葉に小躍りする高齢者ですら被害を被るかもしれない野田さんの無責任な発言は、私にはあらゆる年代の国民を心から馬鹿にしているようにしか見えません。
確かに個人情報という観点からは不安が残るのもわかります。
昨今の強盗犯罪のニュースなどを見ると、本当に恐ろしくなります。
しかし、外国も含めて一般の私企業に喜んで個人情報を提供して、その情報からさらに搾取される手段への手がかりをみすみす渡しているにもかかわらず、国として最も大事で最終的には自分が1番の受益者となる医療情報を一元化するための方策には反対するって、一体どういうことなのでしょうか?
appleがスマートウォッチでいろんな健康データを収集しているのは、ただ単に人がいいからでしょうか?
その人のことを考えているからでしょうか?
あらゆる企業が健康データの収集を始めているのは、そしてそれをゲーム性に富んだ方法で行っているのは、本当に心から人の健康を願っているからでしょうか?
ゲームと称して移動範囲を追跡することが当たり前になり、航空会社であるanaですら始めたことの意味はなんなのでしょうか?
我々はもう一度大事なものとそうでないものを、順番をつけながら振り返って確認する必要がある気がします。