『許す』こと『手放す』こと
私はずーっと囚われている何かがあった。
日々、生活するうえで思い返すことも、考えることもまったくない。
それが突然、私の目の前にやってきたりすることがある。
そうなると、モヤモヤした気持ちになる。
kaedeさんの記事を読んでいて気が付いた。
「あぁ、私はあの人のことをまだ許せていないんだ」と。
それは以前
『言霊』という記事を書いた時に出てきた友人のこと。
その友人の言葉が今もずっと心のどこかにあって、その呪縛から抜け出せていない。
きっと、その時の彼女の言葉は本物で、その時の彼女の思いも本物だったのだろう。
だからこそ、そう考えると、自分の中でのモヤモヤは消えないし、何よりも「ガッカリ」という気持ちが強く出てしまうのかもしれない。
人はなんとも勝手な生き物で、自分がこう思っていた。という気持ちと違う反応をされたりすると不快に感じる。
私もその時はそうだったのかもしれない。
私の成功を友人は喜んでくれると思っていた。だが、喜ぶどころか反対の反応が返ってきた。
その時の自分の気持ちが、今のこのモヤモヤだ。
「きっと彼女が成功したら、私は自分のことのように喜んだだろう」
その気持ちがあったから、友人の言葉にはショックだったし、ガッカリしてしまったんだ。
kaedeさんは言っている、『許す』と『手放す』は違うのもなんじゃないか。
占い師さんがよく言うように、過去の思いは手放す。そういうネガティブな思いは手放す。自分にとって良くないと思う関係は人であっても断捨離。
ブロックするし、連絡先も消す。
でも私には、それが出来ないから、少しずつ距離をとった。
私からは連絡しない。会うこともほとんどない。
普段は思い出すこともない。
そんな関係でいい。
kaedeさんの記事を読んで、彼女を許そう。そう思っていた自分がどこかにいたことに気付いた。
そうしたら、彼女から連絡がきても素直に返事が出来るかもしれない。何かのことで会うことになってもモヤモヤはないかもしれない。そう思っていた。
でも、やっぱり思い返してしまう彼女の言葉。
だけど、無理に許そうと思わなくていいんじゃないか?ということに気付いた。
今も昔も私の思いは変わらない。
もし彼女が成功したら、きっと「良かった!」と私は喜ぶだろう。
でもそれは、皮肉とかそういうものじゃなくて、私と彼女が違うから。
成功したいものも、理由も、生き方も、考え方も、全てが違う。
だから、自分と比べることなんて何もないんだ。
ただ変わったのは、昔の私と今の私の考え方だけ。
今の私は大切にしたいものがあるし、そのために頑張りたい。今は昔のような生活じゃないし私自身の気持ちも変わった。
だから彼女と会わない理由も、話さない理由もそこにある。
私は私の願いのために頑張るし、もっともっと上を目指したい。
いつまでも昔のままじゃいられないし、同じ土俵の上にはいられない。
そう考えたら、私が持っていたこのモヤモヤって?という気持ちになった。
正直言って、友人のあの言葉は本当に気分の良くないものだった。
だけど、願いを叶えたい本気度は、あの時よりも私はもっと上に向かっているんだ。
比べられるものではない。
だから、『許す』ではなく『手放し』た。
『許す』とか『手放す』とか言っても、一度胸に入ってしまった言葉というものは記憶喪失にでもならない限り消えることはないと思う。
もうそこは自分の捉え方次第なんだと思う。
過去の思いをいつまでも引きずってもいられない。
だから、そんな思いを持っていた私は手放しを選んだ。
それでいい。
前を向く私にはもう必要ないことだと気付かせてくれた。
無理に『許す』のではなく、無理に『忘れる』のではなく、日々の生活で、上を向く自分のことで手いっぱいで、もう構っていられない。
それで、いいんだ。
それが私の答えなんだ。
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