「ありがとう」を信じられなくなっていた
「ありがとう」と言うことも、
「ありがとう」と言われることも、
とても幸せを感じることですよね。
子供にも「ありがとう」と「ごめんね」は言える人になってほしくて、
親の私たちも子供に対して、いつも「ありがとう」「ごめんね」をしっかり伝えるようにしています。
昔の友人に仕事がどうしても続かず、対人関係が上手くいかない女性がいました。
人と接したくない、関わりたくないと、そういう職場を探していましたが、どんな仕事も人と関わらないというのは難しいと思うのです。
私は、人は独りでは生きていけないと思っています。
友人は渋々働いていた職場でも、「なんであんな奴らに挨拶しなきゃいけないんだ」と同僚との挨拶もしなかったそうです。
そんな話を聞いて、それは違うんじゃないか。
挨拶は大切なものだと思うよ。
そんなふうに話したことがありました。
でも結局、理解はしてもらえなかったようです。
(音信不通)
自分の子供に「挨拶しなくていい」なんて教えられますか?
今はテレワークも多くなったり、動画配信などで収益を得る方も多くなったり、人と接することをしなくても仕事として成り立つことが増えました。
だからと言って、挨拶やお礼、感謝というのは無くてもいいとは違いますよね。
子供が大人になってどんな仕事をするのか、どんな人と出会うのか、それはまだまだわかりません。
でも人として、挨拶もお礼も謝罪も感謝も、必要なことは出来る大人になってほしいと思っています。
noteでずっと義父についてのことを記事にしていました。
細かい出来事は有料記事になってしまい、詳しい内容はわからない方も多いと思いますが、義父が退院してきてから1年、とにかく大変な日々でした。
介護が大変なのではなく、義父の人間性に問題があったのです。
家族から笑顔が消えました。
とにかく地獄のような毎日でした。
現在義父は入院中ですが、この間、違う病院へ転院しました。
それまでの病院では、コロナ患者が出てしまったと面会ができなくなったり、面会できるけど家族までしか許可が下りなかったり。
今回の病院では誰でも面会できるが、1日2人まで10分と決まっています。
この間、叔母たちが義父のお見舞いに行ってくれたそうで、その連絡が私にきました。
話の中で「お父さん、○○(主人)と夕雪ちゃんに感謝してるって言ってたよ」そう伝えられました。
そのことを主人にも話したのですが、主人も私もその言葉を信じることが出来なかったのです。
一緒に生活してきた中でのこともですが、今年の夏から入院して、その中で義父から主人に直接話しをしたことがなかったからです。
電話を含めての連絡も一切ありませんでした。
コロナなどで面会に行けなくても、電話でもよかったのです。
ですが用件があるときは、義妹に連絡をして、それが私のところにきて、必要なものを主人と持って行くという状態です。
義妹は家から病院まで遠いので、大きい荷物や洗濯物などは同居していた私たちがしているのに、わざわざ義妹に連絡をして私に伝えてくるのです。
義父は自分で主人に連絡するのが嫌なのです。
だから全部、他の人に言って、私たちのところに伝えられるという感じです。なので、持って行っても病院側がこれは受け取れないと返されたり、そんな行き違いのようなことが何度もありました。
それでも義父は私や主人に自分から連絡してこないのです。
今までに数度、転院をしていますが、その時も目も合わせようとしませんでした。
そんな義父が「感謝している」なんて他の人に言って、それが私たちに伝わってくるというのは、どうしても信じられなかったのです。
だったら、直接でなくても電話でも伝えられるだろうと思うのです。
近しい人や身内へは恥ずかしくてそんなこと言えない。
そうなのかもしれません。
叔母も「お父さん恥ずかしくて直接言えないんだよ」
それもよく分かります。
義父はプライドが高い人で、自分の息子に「ありがとう」なんて言えないんだろうと思います。カッコ悪いと思っているのでしょう。
私たちもこの1年いろんなことが有り過ぎて、義父に振り回されすぎて、義父の言葉を素直に受け取れなくなっているのかもしれません。
心が荒んでしまっているんだと思います。
でも、義父が本心で「感謝している」なんて思っているはずない!
そう思ってしまうんです。
それは、今までの義父の言動がそうさせてしまったから。
俺は病人だ、何も出来ないんだからしてもらって当たり前。
そう思っているんです。
今回、なぜこの記事を書こうと思ったのか。
もう義父の話はしたくない。
そう思っていたのに。
大切な人がいるのなら、しっかり感謝を伝えてほしいと思ったからです。
近くなりすぎて、身内だからとか、親だからとか、そんなの関係ない。
そこに年齢とか性別とかプライドなんて必要ない。
「ありがとう」
「感謝している」
それを言える人になってほしい。
そして、その言葉を伝えたとき
「この人の言葉は信用できない」
そんなふうに思われてしまう人にはなってほしくない。
そう思ったのです。
もちろんすべての人が「有言実行」できることばかりではないし、
「約束したけどダメだった~」とか、そんなのしょっちゅうかもしれません。間違えることも、失敗することもたくさんです。
でも、人を振り回し、傷つけ、悲しませ、それなのに、自分は悪くないと思い生きていたら、誰からも信用されなくなってしまう。
何度も約束したことを裏切る、それでは「ありがとう」という素敵な最高な
言葉を誰にも信じてもらえなくなってしまう。
「ごめんね」
「申し訳ありません」
謝れば何してもいいわけではない。
何度も与えられたチャンスを自らダメにしてしまう。
そんな人にはならないで。
子供にも伝えています。
何度も何度も人を信じる寛容さを持つことも大事なこと。
しかし、それを当然と思う悪い人もいる。
見極める心も必要。
とても難しいことです。
実際、何度も何度も裏切られてきたから、
「ありがとう」を素直に受け止めることが出来なくなっていた私。
それではいけないと感じたからこそ、この記事を書きました。
人は独りでは生きていけない。
だからこそ、自分だけが良ければいいという気持ちを持たず、相手に優しくできる気持ちを忘れずにいたいです。
「ありがとう」は当たり前じゃない。
それをしっかりと伝えられる人になりたい。