心が喜ぶことを。
私は昔から人見知りで、大勢人が集まるところは好きではなかった。
それが仕事をするようになって自分も変わり、人と接することは嫌いではなくなった。
コミュニケーションというものはとても大切で、生きていく上で、なくてはならない、避けては通れないものだと思っている。
とは言っても、接客業を辞めて引きこもり生活を続けていると、昔の私がひょっこり顔を出す。
人見知りの私。
変わらず人が多い場所や人が多く集まるイベントに一人で行ったりするのは得意ではない。
子供が幼稚園に行き出すと、どうしても行かなきゃいけない行事や、参加しないといけないイベントなどは増えてくる。それは仕方ない。
仕事でも、例えば歓送迎会や新年会、忘年会。「参加しとかないとなぁ」なんてものもあると思う。
でもプライベートだったら?
そういう時は、最近私は自分の心に聞いてみることにしている。
そこへ行きたいかどうか。
行って心が喜ぶかどうか。
行かなきゃいけない義務はない、でも誘われたら……。
そんな時、心に聞いてみる。
「あーヤダな。行きたくないなぁ。でも行かないとなぁ……」
そんな思いのままで楽しいわけがない。
もちろん上司や先輩に誘われたから断れないとかあるかもしれない。
でも一番大切なのは自分の心だと思う。
「絶対行きたくない!」そんな嫌な思いでなければ参加してみるのもアリだと思う。思いのほか楽しかったりするかもしれない。
それは仕事でもそうで、その仕事は自分がやりたいことなのかどうか。
以前の私のように、働かなきゃ生きていけない。そんな状態に置かれてしまえば、どんな仕事だってやらざるを得ない。
でも心に嘘をついていれば長く続かないし、心にも体にも異変が表れてくる。
そこまでしなければダメなのか?
時々自分に聞いてみることも大切だと思う。
友人に物づくりの才能がある子がいた。
今でこそハンドメイドのショップも増えて、ネットビジネスも誰でも簡単に出来るようになってきた。だったら尚更その自分の特技を活かしてショップを作ってみては?と提案してみた。
でも「これを仕事にしてしまうと、つまらなくなって続かないと思う」と言って、今でも体を酷使して働きに出ている。
もちろん生活出来るまでのものにするには時間もかかるかもしれない。
でも、体がキツイと病院に通いながら続ける仕事よりは、心が喜ぶ仕事を考えてもいいんじゃないか?と私は思う。
その才能がもったいない。
自分の心に。
自分の心が喜ぶことは、きっと良い道を作ってくれると思うから。
コミュニケーションの話に戻るけれど、それも同じことで、この人と一緒に居ると疲れる……とか苦痛に感じることがあったら、それも自分の心が喜んでいないことだと思う。そんな思いのまま人間関係を続けていたら良いことなんて寄ってこなくなる気がする。
友達だって沢山いることがいいことではない。
大人になれば人脈とかって大切だけど、友達は多くなくていいと私は思う。
苦痛のまま付き合う、それは友達ではない。
友達の幸せを喜べないのも、それは友達ではない。
そんな人間関係なら手放したっていいと思う。
それは、自分の心に聞いてみるのが本物。
年を重ね、いろいろ無茶もして、我慢もして、苦しんで、後悔して、そして今感じること。
自分の心が喜ぶ決断をしていこう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。