連続青春小説【Re2:】第二話
高校時代、文化祭でバンドを組もうとクラスで盛り上がり、大して弾けるわけでもなければ価値もわからないくせに、物置の奥にあるこのメイトンギターを発見し、持ち出そうとしたことがあった。
あのときの母の顔。母が怒ったのは、後にも先にもその一回だけであった。もちろん、叱られたり注意されたりすることは日常茶飯事であったが、あれはそういう類ではなかった。
父親が居ない子どもなんて近頃では珍しくもなくなったが、とかく地方のこの小さな町では腫れ物に触るようなところがあった。
子どもながらに嫌な思いや面倒なこと、普通ならできるキャッチボールが自分だけできないというような寂しい思いもいくつかあった。
それ以上に、養育費がなかったことで、母は日々の生活に必死だった。
パートの掛け持ち生活を脱却すべく、睡眠時間を削っては、仕事と家事と資格の勉強にと追われていた。
幼少期の自分が手伝えることなどほぼなく、専ら祖母の世話になった。これからはその恩を返さねばと思っている。
たしかにそう思ってはいるのだが、二十代でUターン就職というのは、なかなか決心がつかなかった。共に上京した幼馴染みは、夢への一歩を確実に踏み出しているのに、なぜ自分だけが夢を諦めて戻らねばならないのかと、季節が変わるまでくすぶっていた。
「しばらく留守にすることになるし、ムシュウが実家に戻るなら、このアパートも契約更新しないほうがいいよな」
高校時代からの呼び名。村上修平だから〝ムシュウ〟。東京で聞けるのもあと数日だ。
「そうだな。そっちは先生の家の一室に仮住まいするわけだし。
僕も実家だから、お互い家電類は不要だろう。衣類やら雑貨は送るか持っていくか。
僕は契約ギリギリの二月末まで住むつもりだし、リサイクルショップで見積りしてメールするよ。
金額は半分ずつ分ける、ということでいい?」
「急に決まったこととはいえ、手間をかけて悪いな。ムシュウが段取ってくれるのは本当に助かるよ」
「気にするなよ。めでたいことだろう、漫画家のアシスタントになれるんだから。だけれども―」
あの彼女はどうするのか、と言いかけたところで、柊吾がかぶせてきた。
「ミュウとは別れることになった」
「…そうか。僕らが同居していることって彼女は」
「いや、ムシュウを紹介するタイミングがなかったし、知らないと思う」
「バイト時間が逆で、入れ違いの生活だったしな」
そう。僕らはルームシェアしているといっても、柊吾がバイトから帰ると僕が仕事に出かけ、僕が帰宅すると柊吾がバイトに出かけるという生活スタイルだったから、家主が二人ともこのアパートの一室にそろうことはほとんどなかったのだ。
柊吾だけでも漫画家になれそうでよかったよ、とは言えなかった。
僕だって同じくらいバイトはしていたし、同じくらい持ち込みや賞を目指して投稿もしていた。
タイミングなのか運なのか…チャンスをものに出来たのは柊吾なのだ。結局のところ僕は負け犬だ。
「ムシュウは俺と違って器用だし、学生のときからいつも計画的でしっかりしているし、地元に戻っても頼られるんだろうな」
「器用?僕が?自分のギターすら持て余して、柊吾がメンテナンスしていたじゃないか。ギター弦も自力で張り替えられないし、コードFで挫折した人間が器用なわけないだろう」
「行き詰まったときには的確にアドバイスしてくれた。
原稿だっていつも細かなトーン貼りや消しゴムかけだって手伝ってもらった。
そもそも一人で上京していたらここまで頑張れていなかったと思う。
ムシュウには本当に感謝している。ありがとな、マジで」
「…昼間から酔ってるのかよ」
僕だって。
僕がそのセリフを言いたかった。
柊吾が居たから頑張れたし、夢を諦めずに進んでいけるのだと。
実家に帰ることにしたのは祖母のことが心配だという理由だけではない。
自分には才能がない、これ以上の努力は無駄だと気づいてしまった。柊吾の作品を見て、その差がわかってしまったのだ。持てるものと持たざるものの差。
柊吾はその数日後にアパートを後にした。残されたのはいくつかの家電と家具類、そして僕とメイトンギター。
(続く)