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未完と断片(緊急草稿-1)

胸に起こった考えを忘れまいと書き留める
緊急の草稿であるため、洗練されておらず優しくない文章であることに留意されたい
(私はお馬鹿さんなので、すぐに忘れる)

多くの優れた作家が未完を好んだのは何故だろうか。断片(フラグメント)が全てに優位するという(ポール・ヴァレリーだったろうか?)考えはどこから起こるのか。

それは善性(個の存続への意識)を持つオトナと、悪性(個の存続への無配慮)を持つコドモの狭間に生きる超道徳においての、流動性の担保ではないか。
超道徳の奔流を文学に閉じ込めることへの嫌悪。コレで終わり!(拡大・縮小不可能)としたとき、結晶は断片に還らず、永久に等身大に凍結されるのでは、超道徳の意味がない。
川端文学は方解石であると解釈したのは三島由紀夫だが、伊豆の踊り子をどう砕いても小さき伊豆の踊り子が露出し、まったき、陰らない美しさを放つという事実はまさにそうだ。

未完は断片であることの鮮烈な証左であり、それが1センテンスになろうがプルーストばりの長編になろうが等しいという意味で、文章のサイズは文学的には等価である。

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