2021/1/31 山藤旅聞先生 ご講演 社会課題を「自分ごと化」する教育デザインとは?
楽し樹という団体での講演会後感想記。楽し樹解散なのでこちらに移動。
山藤先生に関しては以下に簡単なご紹介をさせていただきます。
新渡戸文化小中学校・高等学校生物科教諭/統括校長補佐・高校教育デザイナー/(一社)Think the Earth SDGs for School アドバイザー/(株)日本パブリックリレーションズ研究所PR for School アドバイザー/(株)ゲイト CSV教育デザイナー他。
都立中高一貫校など公立学の教諭を15年勤務後、2019年から現職。
持続可能な社会を実現する行動者の育成を目指す。JICAと連携した授業や、東京都檜原村における里山フィールド教育といった企画のほか、全国の学校や大学、企業への「SDGs出前授業」などを実践。学校の枠を超えたSDGs教育の普及に尽力している。立教大学、国連大学主催の全国ユース環境ネットワーク、NHK高校講座などの講師も務める。環境省グッドライフアワード 教育部門・環境大臣賞受賞(2019年)。
“テストのための勉強“
テストに出るから勉強しなさい。
試験に出ないから勉強しない。
宿題を出さないからうちの子が勉強しません。
どこかで一度は聞いたことがありそうなセリフ。
高校についてググれば、大学の進学実績や偏差値がヒットする。
こういった現状に目を向けると、中学や高校が、大学に行くためのエスカレーターかのように感じてしまう時があります。でも偏差値が高い大学に行く、そのための勉強をするのが中学校や高校なんでしょうか。
山藤先生は、そういった教育に疑問を感じて、様々な教育のあり方を模索しておられます。
最近話題になっているN高。教育のあり方は今後どうなっていくのでしょうか。
みなさんは何のために今、勉強をしていますか?
学校って何のための場所でしょうか??
その学校の中で、先生って何をする人なんでしょうか?
先生の立ち位置
山藤先生が最初に見せてくれたこのスライドが、今日の講演会の背骨のように感じられます。
1.自分から自走できない生徒がいる時は、先生が進行する
2.だんだんテーマが産まれたら、先生が生徒と対等になり、共に作る人になる
3.生徒が先生の元から離れて、新しいステークホルダーとともに未来を作っていく
誰しもが最初から一生懸命熱を持って何かに取り組めるわけではない。勉強にしろ、運動にしろ、音楽にしろ。どんなことだって最初は好きになるきっかけが必要で、その種をまず蒔く人が必要です。
でもその種に水をやるのがいつまでたっても先生であってはいけなくて、どこかで生徒自身が水をやったり肥料をやったりし始めなければいけない。
自走を促す、自立。
「全部先生が教えてくれる」ではない。
「主語が自分となる」それを練習する場としての教育。
“自分ごと“を外部に任せっきりにして、何か問題が起こればそれを人のせいにする。自分を主語とすることを学んでこなかった人たちはそうなってしまう可能性がある。
“先生”と付く職業に、医師もある。このように山藤先生は言っていました。以前お話いただいたポジティブヘルスの話とも繋がっていくな〜。
体のことも、教育のことも、医師も先生も本質的な意味では責任をとれない、取りようがない。お金を払って賠償したってそれは根本的な解決にはならない。
誰かのせいにしたって不幸せになるのは自分なら、自分の大切なことは自分の範疇にとどめておく。自分ごととしてしっかり責任を持つ。その訓練を小さい頃からすることが大事なんだろうなあ。
試験のための勉強??
これらのデータを見て何を思いますか?
当日はここでグループ分けをして何を感じたかお互いの考えをシェアしました。
山藤先生が赤く強調した、「自分で国や社会を変えられると思う」という項目。
日本は飛び抜けて低いですね。
もしかしたら教育の中で、自分で何かを変えられるという実感を得る機会がなかったのかもしれない。そんな指摘もありました。
ではどうやったら自分ごとにしていけるんだろう。山藤先生の学校では、校則を一から見直すなど様々な取り組みを生徒と共にしているそう。
なぜ制服を着る?
なぜテストをする?
一つ一つ問い直して、新しい形を模索していく。
利他的な学び
学ぶ理由ってなんでしょう。
テストのため?親に褒めてもらうため?
人によって色んな解がありそうだけど、山藤先生が紹介していたブータンの学生たちの回答には驚きました。
山藤先生がブータンに派遣されたときのお話。
授業中の生徒の様子が日本とは全く違ったそうです。学ぶ姿勢が凄まじい。つまんない顔をする、寝る生徒なんていなかった。そこで、中高生になぜ勉強するのか聞いてみたところ、
「国のため、国力を高くするため」そう答えた生徒がほとんどで、残りの何%かの答えは家族のため。
誰しもが学校に行けるわけではない、兄弟の中で自分しか学校に行けない子だっていた。
だからこそ教育を受けられることのありがたみを身に沁みて感じていて、利他的なモチベーションを持って勉強している。
人生の中で誰かのために勉強したことなんてなかったなあ。
社会を変えたいから勉強したいと思ったことも、高校生の時にそんなふうに考えたこともなかった。授業を受けられるのは当たり前だと思っていたし、実際日本ではブータンに比べたら当たり前だし。
当たり前に存在するもののありがたさに気づくのは、それがない世界にでも行かないと難しい。
国を変えたい、家族のために勉強したい。ブータンの学生をしてそうさせるのは、変えなければいけないと思わせる社会が目の前に存在するからかもしれない。当たり前にご飯を食べられて、命を脅かされることもない平和な日本に生きていたら、この社会を変えなければ!なんてよほどのことがないと思えない。それは至って普通なことだと思う。
でもそれが、知らないだけなのだとしたら。
知ったらどうにかしたい現実にまだ出会っていないだけだとしたら。
そこを結びつけるだけで、知った人も、知られた人も、両者にとって素敵なミライが待っているのかも。そしてその手段の一つが、教育であり、SDGsなんだろう。
Transforming our world
SDGsの決議書のタイトル。
Transformという単語は、Changeという単語と比べて、変えるという度合いが強い、圧倒的に変えなければという意味合いがあるそう。
今ある世界は、平和で永久に均衡の取れた世界ではない。傾き始めて取り返しのつかなくなる前に、Transformしなければいけない!それがSDGsのメッセージ。
SDGsってこんなイメージと紹介してくれたスライド。
公正な社会→MDGs、先進国の満ち足りている国が途上国を手助けするという社会
新しい社会→支援がなくても全員が利益を得られる社会
左2つはよく、公平と公正の違いについてで見る気がする、でもそもそもその壁とっぱらっちゃえって言うのは面白い。
学びと未来の接続
SDGsは価値変容を生み出す、でも実際に行動をしないことには社会は変わらない。どうやったら行動へと繋がっていくだろう。
価値変容→行動変容
じゃあどうすれば行動する?
心が動く→体が動く
じゃあどうやって心が動く?
ずっと学校の中にいても心は動かない!だからこそ体験と人の出会いを大切にした教育を。そんな思いから山藤先生は様々な企画を次々と生み出されています。
ボルネオ島へのスタディーツアー
檜原村オーガニックコットンプロジェクト
今では80以上のプロジェクトが動いているそう。
その中からこんなプロジェクトについても紹介してくださいました。
生物の授業でオーガニックコットンに興味を持った学生。オーガニックコットンを扱う会社に取材をしたところ、生地の切れ端が生じていることを知った。また一方で、アフリカの女学生が、ナプキンがなくて学校に行けない時期があることを知った。
そこで本来捨てられていた生地を使ってナプキンを作り、アフリカの子どもたちに自分たちで作ったナプキンを届ける。
この活動を立ち上げた学生のメッセージを講演の中で紹介していただいたのですが、とても胸に刺さりました。
将来やりたいことも特になく、自分の生活が安定する仕事に就こうと考えていたそうでしたが、自分の作ったナプキンを持ったケニアの女の子の写真を見て、途上国の子どもたちを支援したいという夢ができたそう。自分が世界のある部分を素敵にしたという接続感。そんな経験を高校生の時にできたなんてとてもうらやましいですね。
きっかけ、窓としてのSDGs
最初に紹介したデータ。夢がないという18歳。でもそれって今の日本が豊かで変える必要もないくらい素敵だからなのかもしれない。
ブータンの例のように、社会を変えなければという強烈で利他的な理由が自然と身の回りにある環境もある。
でもそうじゃない環境でも、というより変えなくてもいいかのように一見見えてしまう環境にいるからこそ、ナプキンを届けた学生のように、変えたい、そしてそれが自分の手で少しずつ変えられる、繋がっているという実感を持てるかどうかはキーポイントですね。
25%の壁
主体的に学んで自分ごと化している生徒は25%位。
これが山藤先生の最近の悩みだといいます。
そこでSDGsを言わずに達成する。好きを見直す。
自分の好きなことを分解していく。そして、SDGsに掲げられている目標のカードで関連しそうなものをどんどん貼っていく。そしてそのカードの近くにある単語からいくつかを選んで、ネットで検索する。
そしてそこで関連した活動をしている大人を見つけて、アポを取って実際に会いに行く、そんなことをしたそうです。
釣りが好きというところから、海洋プラスチックの問題にたどり着き、河川のゴミ拾いを毎週するようになった子。
戦艦のプラモデルづくりが好きだった学生が、戦艦に戦時中に乗っていた方が存命で、実際に会いに行けた。そこから歴史の勉強がどんどん捗るようになったこと。
文章で書くとめちゃくちゃ味気ないですが、生徒の心に日が灯り、目がキラキラ輝き出した瞬間を共有していただきました。
なにかのために勉強しなければいけない。ではなく、知りたくてたまらないから勉強する。そうやって学んだことって頭に残るし、何より楽しい。
山藤先生のされていることには驚かされっぱなしでしたが、こんな先生が当たり前のようにいたら、”勉強”の持つ意味合いが180度変わりそうです。