2021/1/23 社会的処方とポジティヴヘルス:生老病死を地域住民の手に取り戻そう(堀田聰子 先生 慶應大学大学院教授)
楽し樹という団体での講演会後感想記。楽し樹解散なのでこちらに移動。
今回ご講演くださった堀田聡子先生についてはこちらをご覧ください。 京都大学法学部卒業後、東京大学社会科学研究所特任准教授、ユトレヒト大学訪問教授等を経て慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授(医学部・ウェルビーイングリサーチセンター兼担、認知症未来共創ハブ代表)。博士(国際公共政策)。より人間的で持続可能なケアと地域づくりに向けた移行の支援及び加速に取組み、社会保障審議会・介護給付費分科会及び福祉部会、政策評価審議会、地域包括ケア研究会、地域共生社会研究会等において委員を務める。人とまちづくり研究所代表理事・日本医療政策機構理事等。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2015リーダー部門入賞。
孤立担当大臣
英国には“孤立担当大臣“がいるのをご存知でしょうか。
2018年にメイ首相のもとに設置された、世界で初めての孤立問題を担当する大臣。その誕生の背景には、“孤立”のもたらす医療費への影響や経済的な損失を示した様々な研究や調査、そしてそれらをまとめた提言がありました。
「孤立は、一日にタバコを10本吸ったのと同じくらい健康に影響を与える」
2010年に発表されたこの論文はそのきっかけと言えます。
ロンドン大学が17年に発表した論文でも、孤立によって10年間で1人あたり約85万円の医療コストがかかっているとしています。またアメリカでは、孤立が肥満よりも深刻な脅威であるとした論文もあります。
私は6年間医学の道を歩いてきて、授業や実習で色んな病気について学んできました。病気にはいわゆるリスクファクターと言うものがあって、肺がんならタバコとか、高血圧なら塩分のとりすぎとか、その病気になりやすい原因って色々あるんですが、そこに、“孤立”、という単語が入っているところは見たことがありませんでした。当たり前かもしれないけど。
上下水道を整備して衛生環境が改善し、抗菌薬が多くの感染症から人々を救い、平均寿命がぐんぐんと伸び、その結果増えた癌に対しても、日進月歩で新たな治療薬が本当に目覚ましい速度で生み出されている。そして次に見えた障壁が“孤立”とは。びっくりですね。
TEDで昔見た動画。人を幸福にする要素は何かを調査するべく70年以上に渡って行われている研究。
この研究でも、幸せな人間関係を持っていた人が最も健康だったとしています。
孤立。今の日本も似たような状況にあると思いませんか?
20%
堀田先生が冒頭に出したこの数字。何の数字高わかる方はいるでしょうか??
実はこの数字は、英国の家庭医診療所に訪れる患者のうち、非医療的なニーズを持っている人の割合、だそうです。
講演会に参加してくださった現役の地域医療に関わる医師が、うちでは50%、いや100%がそうだよ!
とコメントしていたのも印象的でした。確かに、小学生がサッカーで捻挫したなら湿布を出すだけでいいかもしれないけど、糖尿病になった人に対してお薬を出すだけでは、きっとその背景にある課題には何の解決にもなっていない。健康状態に関与するのって、“医学”だけではなくて、もっと色んな要素があるはず。
なんでこれが最近注目されるのかって、健康を害する要素が一昔前とは様変わりしたからだと思います。感染症が人々の命を奪っていたときには、みんな一様にお薬を飲んで病院で治療を受ければ元の健康状態に復帰していた。ところが、現代でよく問題になる生活習慣病は、そうはいかない場合が多い。そもそもそこに至った背景は十人十色。だからこそ、その背景に注目しよう、となっているんじゃないかなあ。
単なる医学的アプローチだけでなくて、その源流となる部分に目を向けて、いかにアプローチするかが注目されています。そしてその手段の一つに社会的処方というものがあり、最近良く話題になっています。
社会的処方
堀田先生が紹介してくださった社会的処方の定義は以下のようなものでした。
社会的・情緒的・実用的なニーズを持つ人が、時にポランタリー・コミュニティセクターによって提供されるサービスを使いながら、自らの健康とウェルビーイングの改善につながる解決策を自ら見出すことを助けるため、家庭医や直接ケアに携わる保健医療専門職が、患者をリンクワーカーに紹介できるようにする手段である。
患者はリンクワーカーとの面談を通じて、可能性を知り、個々に合う解決策をデザインする。すなわち自らの社会的処方をともに創り出していく。
そして以下の3つがキーワードだといいます。
「人間中心性(person-centeredness)」
「エンパワメント(empowerment)」
「共創(co-production)」
患者でも、利用者でも消費者でもなく、人間が中心にある。生活者として、人と人として関わるということ。
与えるのではなく、ともに創り出していくということ。
“自らの健康とウェルビーイングの改善につながる解決策を自ら見出す”
健康は医師が管理するという考え方が強いと、この一文ってなかなか衝撃的なんじゃないだろうか。ポジティヴヘルスの話にも繋がっていきますね。
またNHS(英国の国民保険サービスのこと)のパンフレットには
社会的処方は、個々に最適化されたケアに向けた構成要素の一つである。地域の諸機関にとって、人々をリンクワーカーに紹介する方法である。
と書かれているそうです。
なんとなくイメージが掴めたでしょうか。
実線だけでなく、点線の矢印があるのが重要だと堀田先生は強調します。
医療者から見たら紹介先は単なる紹介先として映ってしまう。でも点線が意味するのは、普段の暮らし、そこにあるそれぞれの居場所の中で、「あれあの人少し体調悪いのかな?」という人をリンクワーカーに繋ぐということ。
またそこで繋がれた側において重要なのは、自分の限界、自分の組織の限界を知ること。その上で「ごめんなさいお引取りください」ではなく、「こっちにいったらなんとかなるかも」とできるような心持ちでいること。
医療機関からのスタートだけでなく、循環している。そして医療者が医療側に引き込みすぎないこと。
最近私が参加したまちづくりの勉強会で教えてもらった話。Bromley by Bowの例も堀田先生の話と繋がってなんだか面白い1週間でした。
その後堀田先生は、英国にあるFrome Medical Practiceでの事例について触れながら、社会的処方がどのように行われているのかを、特に先程で言うところの点線の部分について説明してくださいました。
この診療所はNHSの中でも先進的な取り組みをしていることで知られているそうです。
様々なバックグラウンドを持つ人からなるチームが、すでにその地域にある社会資源のマッピングをし、地域住民の背中を押して地域の資源を生み出し続け、その活動をウェブサイト上で更新している。
診療所の医療者がどんな支援があるかを探せるだけでなく、地域住民自体が自身で支援を探し出せる。
言葉と功罪
“処方“というと医師が与えることのように聞こえてしまう。
社会的処方という言葉が生まれる前から、これにあたることをしていた人たちはいたし、あえて社会的処方という言葉を使っているのは、気づいていない医療者を目覚めさせるため。やっていた人たちからしたら目新しさはない。処方というと、医師がやることかと認識してもらえる。
なるほどなあと思いました。
私の所属する大学では地域医療の実習が充実している分、地域診断だったり社会的処方だったり、それを実際に地域に行って人の話を聞いて考えて見る機会が多くかった。だからこそ社会的処方という言葉を聞いた時にぼんやりとイメージがつかめていた、気がした。
でも気づけばだんだん言葉だけが肥大して、なんだか独り歩きしてしまっていたように思います。特にこの一年、コロナによって実習もなくなってしまった一方オンラインでの勉強が増えて、頭でっかちになってしまっていたかもしれない。それってこわいなあと思ったのでした。
本質はその言葉ではなくて、それが指す中身。
新しい武器に目を輝かせてとんちんかんな方向に行かないように、していきたいものです。
繋がり
楽し樹が動き始めて少し立った頃に、コミュニティについて話していたことを思い出します。血縁、地縁、会社、趣味、色んなつながりやコニュニティがある。よく言うところの“昔”、おそらく今でも特に田舎では普通に存在するとされる地縁。高度経済成長期には会社がコミュニティとして機能していた。今はそれらが弱まって、“個”として生きていかなければいかないから、人が拠り所にするものが希薄になっている、なんて話を聞いたことがあります。
人と人とが繋がってコミュニティって成り立つと思うけど、堀田先生が言っていた「あれ?この人最近大丈夫かな?」
それに気づくためには繋がりの線にある程度の太さがあって、本数もある程度ないと難しい気がする。
その線の本数も太さも、人によって好みがあるからなんとも言えないし、それが家族だって、地域だって、職場だっていいけど、それを増やすための仕組みの一つが社会的処方なのかもしれない。
家族や地縁というコミュニティに属していると、色んな面倒があると思います。めんどくさいから切り離していく。どんどん効率化していく。そうしたことの代償が孤立だったりして。面倒を疎んで遠ざけないことが、効率化してしまわないことが大事なんだと思う。
最近読んでいる坂爪圭吾さんのNoteに、こんな文章がありました。
幸福とはなにか。豊かさとはなにか。生きるとはなにか。発展途上国にいると、そういうことを否が応でも考えさせられる。私は、やがて「幸福は一体感、不幸は分離感」だと思うようになった。俺が、俺が、という思考を深めるほど、どれだけ金を集めても、どれだけモノを集めても、孤立は深まっていく。不幸は分離感で、俺が、俺が、となるほどにそのひとは分離をする。
ポジティヴヘルス
「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに適応し、本人主導で管理する能力としての健康」
オレンジケアクリニックの紅谷先生が取り組まれていることでも有名なポジティヴヘルス。
医師に託して外部化してきた健康を、もう少し自分の一部として手繰り寄せ、戻していこう、そんな考えだと思っています(間違っていたらごめんなさい)。
健康は状態ではない。つまり医療者が規定するものではない。
障害を持った時には、健康から遠ざかることだってある。
つまり動的であるということ。一生の中で困ることもある。それとどう付き合うのか。
健康であるための知恵は、すでに社会経済的な、こころやからだにChallengeを負った人こそ、どう付き合うかの知恵を持っている。だからこそその知恵が循環していったら素晴らしい。この文章の冒頭に述べた社会的処方の循環と相性抜群。
オランダの家庭医ヒューバーさんが作ったスパイダーネット。
上にある3つの要素がよく健康の要素と考えられるけど、下にある3つも、とくに生きがいが大事。
このスパイダーネット。どうやって面積を増やすかが大事ではない。自分で自分がどんな調子かを確認する。それを自分がどう思うか、が大事。その人がいいと思っているなら、大きくする必要はなし。でももしこうしたいというのがあるなら、それを医療者が手助けする。そうやって健康を自分ごと化していく。
堀田先生のお話も、その後の先生方が中心となった話の掛け合いもとっても面白かったなあ。
でももう4000字を超えてしまったのでNoteはここでおしまい。