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2021/1/16 "ぐるんとびー"菅原健介さんご講演

楽し樹という団体での講演会後感想記。楽し樹解散なのでこちらに移動。

“ぐるんとびー“って?

今回講演してくださった菅原さんが運営されている”ぐるんとびー”とは、介護サービスを提供する事業の中でも、
小規模多機能型居宅介護と呼ばれるものです。詳しくはこちら。

小規模多機能型居宅介護とは、在宅介護に含まれる、デイサービス・ショートステイ・ホームヘルプなどを一体的に提供している事業のことを指します。ただ、ぐるんとびーが注目されているのは、単なる介護事業ではなく、高齢者を輝けるよう、団地の中に事業所を設け、地域の絆で支えるという日本初の取り組みをしているからです。
代表の菅原さんのインタビューはこちらから。

ぐるんとびーが掲げる「村づくり」のビジョンは,今やグローバルな評価を受けるまでになり,昨年はシンガポールで開催されたWorld Ageing Festivalにて,Asia Pacific Eldercare innovation Awards2020の最優秀賞、FACILITY OF THE YEAR-AGEING-IN-PLACE(アジア太平洋No.1施設)を受賞されました。

ぐるんとびーの由来

菅原さんは思春期をデンマークで過ごしました。デンマークは高福祉国家として日本では取り上げられることが多いですが、その礎を築いたのが、デンマーク国民の父N.F.S.グルントヴィ。ぐるんとびーの名前はここから来ているんですね。

菅原さんが例に上げていたデンマークの保育園の話。デンマークは寒さが厳しいですが、氷点下10℃を下回るときでも幼稚園児が外で昼寝をするとか。対象的に挙げられていた、日本の保育園。うつぶせ寝によって死亡した子供が出たから、布団の上で子供を寝かせない&メッシュ生地の上で昼寝をさせるというお達しが出ているという。なぜかといえば、保育園で事故が起こると保育園の責任となるから。確かにそれも一理あるっちゃある。

優しさってなんなんでしょう〜。以前楽し樹でも議論になった、優しさと甘やかしの差。可愛い子には旅をさせよといいますが、大人が自分を守るための優しさは、子供のためになっていないこともあるのかもしれません。そう見せたいだけで。
デンマークの教育機関、フォルケホイスコーレ。

医療者の領分

『より良く生きること』に向かって『正しい』を固定化させず、ALWAYS WHYで考え、その瞬間での『最適解』を更新し続ける。

「死んでもいい、やりたいことをやらせてくれ」

末期がんでいつ吐血するかもわからない、ぐるんとびーに来たおじいちゃん。40年間プールをやってきて、最期にプールに入りたいという。“普通”に考えたら、多分その夢は叶わないですよね。
ところがこのおじいちゃん、亡くなる1ヶ月前にプールに入ることが出来ました。末期がんの体では痛みも激しいから、休憩しますか?
そう言われても、「いや、痛いけど歩きたい」

「死んでもいい、やりたいことをやらせてくれ」
こう言われたときに、僕は将来医師としてなんて声をかけられるだろう。
最近良く話題になりますよね、実際ぐるんとびーを利用する方の話が、ネット上でも物議を醸したこともありました。

ALWAYS WHYで考える。人間の頭はコンピューターのようにいちいち全てを計算できないので、横着をするように出来ています。一人として同じ患者さんはいないはずなのに、無意識のうちに“前はこうだったから”と対処してしまう。だからこそ、ALWAYS WHYで考える。一旦立ち止まって、それってほんとにそれでいいの?

お医者さんがいいと言ってくれるのであれば僕らが止めることはない。
プールを管理する方はそう言ったそうです。患者さんが言うことを何でもかんでもしてあげるということではなくて、吐血しても感染症のリスクはないこと、プライベートのプールを借りること、水を抜く前に入れてもらうこと、そういった工夫を考えてみること。

患者さんが何をしてよいのか、してはいけないのか。
本来その線は医療者が引くのではなくて、患者さんが引くものです。そして、患者さんがその人にとってより良い、より自由な線を引くために医療者がそばにいて、引いたその線の中で最大限安全に、幸せに動けるようサポートするのが医療者なのでは。
心地よさと安全性のバランスをうまく取ること。そのバランスは人によって違う。それを見つけることを”問題”にしてしまうのではなく、一緒に楽しんでみること、そんな姿勢を感じました。

2021_1_16__ぐるんとびー_菅原健介さんご講演|楽し樹__TANOSHIKI__|note

2時間の講演会の予定で1時間が経とうとした頃。
菅原さん「会社の話ほとんどしてないですね〜笑」
確かに全然してなかったけど、そこまでの話に、菅原さんの源流があるような気がします。

暮らしの中で起こり続ける困りごとを
みんなで自分ごとにしていく

東日本大震災での経験。1800人が集まる避難所で400食しか用意出来なかったおにぎり。避難所の責任者は、みんなに配れないなら暴動が起きちゃうし、誰も責任を取れないから配れない!そう菅原さんに伝えました。
そうして捨てられてしまった支援物資が山のようにあったようです。

既存の正しさや誰が責任を取るのか、で動けない現状が日本にはある。
そこで疲弊した。そこにずっとはいられない、なら、地域でこういうことを話し合える土壌が必要だし、作ってしまおう。
「困ってもなんとかなる」そんな「ひと」がいる「まち」に住みたい。
「地域を一つの家族に」それを市という規模でやるのは難しい、でも団地という規模でならできるかも知れない。
そこからぐるんとびーが産まれた。

待機児童で保育園に入れないスタッフの子供の面倒を見たり、要介護のおじいちゃんがご飯あげたり、障害を持った子供がデイケアで来た人の顔をつまんで遊びだしたり。
多世代で自然と暮らす。その中で起きる衝突も、本来生活の場には存在しているもので、子供の成長には必要なことだったりする。人と人とが生きていく時に、お互いのためにどこかで妥協することも必要だからです。また、ぐるんとびーでは、地域で看取ることを当たり前に経験していきます。死は汚いものではないことを自然と学んでいく。
人が産まれてから死んでいくまで。それは本来切れ目がないものだし、いつか自分にも訪れる。汚いからとタブーにしてどこかに蓋をしてしまうと、そのひずみは、どこかにつけとして回ってくるんじゃないのかな。多世代が自然とつながるってとても魅力的だと思います。

つながりを取り戻すことでひとは元気になる。
生活が楽しいから目が輝く、元気になる。
その生活を縛っていたら、元気になれない。生活が楽しくなるところからスタートしたい!
菅原さんはこう言っていました。

寂しいときはみんなで飲む。
自分の家がわからなくなった認知症のおばあちゃん。自分の家はここですよ、と教えたってなかなか分かってもらえない。でも一緒におばあちゃんの家で飲んで、12時になったのでそろそろ帰りますね、そういえば、あんたたち気をつけなさいねと人を送り出す側になる、ここが自分の家だと認識する。
一緒に飲んだほうが早い。

台風ならみんなで炊き出し、さみしいなら一緒に飲もうぜ、不安なら泊まりに来ればいい。

暮らしの中で起こり続ける困りごとをみんなで自分ごとにしていく。この姿勢、素敵ですね〜。

福祉事業のいいところ。
地域の人を雇用できる、その人達自身が地域住民だから、地域の困りごとが自然と集まってくる。
その街に必要なことを一つ一つ作っていく、住民が主体となって、必要な機能を共創していく。これめちゃくちゃ楽しそうだな〜。

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アンチ"ぐるんとびー"

「団地を1つの家族に」今でこそ知名度があるけれど、最初からみんなに受け入れてもらえたわけじゃないですよね、どうやって受け入れてもらったのですか、そんな質問をしました。

実はまだ団地の全世帯とつながっていないし、アンチぐるんとびーはたくさんいる、とのこと。最初は役場も自治会にも反対された。
だけど菅原さんはそれでいいと言います。自分の正しさを押し付けるのではなく、反対する人に反発するでもなく、頼りたいと思った人がいつでも寄りかかれる、そんな立ち位置でいること。

自分の素敵が、他の人の素敵と一致することはなかなかないし、全て一致するなんて多分無い。何かいいことをやっている、そう思い込むと無自覚にそれを他人に押し付けたり、なんで分かってもらえないんだろうと勘違いすることってよくある気がします。
様々なメディアから注目され、アジア太平洋No.1施設の賞まで取っていて、それでもなお謙虚であり続けることにハッとさせられました。

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