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【卒論コピペ】心理的効用から見るラップの真正性とリアル

高校の時から自分なりに向き合い続けたHIPHOPについての論文で、心理学的観点からHIPHOPの存在意義を考えています。
読んでくれる人は目次をご活用ください。

本編は1章2節からで、革新性があるのは2章からです。
3章ではCreepy NutsやEminem等の実際のラッパーについて書いているので、3章から読むのもとっつきやすいかもしれません。
「はじめに」は自分の立場を明らかにする意味があるけど、読まなくて問題ないです。

また、昔書いた以下の記事の方がサクッと読めます。

0. はじめに(読み飛ばし推奨)

 筆者はヒップホップなくして今の人生はなかったと常々感じている。しかしその最初の出会いは、ヒップホップという形をしていなかった。

 中学生の時、人間関係に思い悩んで生き苦しさを感じる時期があったのだが、当時聞いていたラジオにその悩みをエピソードトークとして書き起こして送るようになると、自分を苦しめていた悩みが、お便りのネタとして自分を助ける生産的なもののように感じられ始めた。
 そして、それまでであれば悩んでいたような出来事に直面した際にも、思い悩まないようになったのだ。
 次第に失敗などのネガティブな体験すら恐れずに何事も挑戦できる性格になり、行動的になった。筆者はラジオのお便り執筆という実践に救われたのだ。

 その後、高校生の時に友人の勧めでラップにのめり込む。ラップでは、例えばKOHHの貧乏なんて気にしない [KOHH, 2014]のように、経済状況や家庭環境など自分を苦しめるネガティブな実体験や現状が歌詞として書き起こされ、ラッパーの武器にされている。それは、ラジオのお便り執筆で筆者が偶然体感したことに似ているように感じられた。
 ラップという形こそしていなかったが、筆者がお便り執筆で行っていたのは、筆者にとってはラップだったのだ。
 その後、ラップがヒップホップというカルチャーの一要素だと知った筆者は高校の卒業研究でヒップホップ・カルチャー全体を研究し、大学ではヒップホップの他の要素であるブレイクダンスを始める。また表現に強い興味を持ったことを理由に広告業界で複数社インターンをし、就職先は事業会社のマーケティング職に決めるなど、まさにヒップホップによって形作られた人生を歩んでいる。全てのきっかけは、ラップという形をしていないヒップホップとの出会いだった。

 ラップでは、ラジオのお便り執筆が筆者にもたらしたような心理作用がより体系的に、自覚的に実践されているように感じられる。ネガティブな実体験の表現が「リアル」として評価され、さらに自分の肯定的な側面も強く主張する「ボースティング」という表現も多用されることで、自己肯定感が向上するような仕組みがあるように思える。

 本稿では、これらラップ実践による心理的効用を明らかにすると共に、よりこのラップの語り手を増やすような、枠組みを広げるような論を呈したい。元々ラップはアフリカ系アメリカ人のみが語り手足り得るとする論が一般的だったが (栗田知宏, 2007)、もしそうであれば筆者は救われなかった。  
 このような語り手を限定する性質などを持つように思われるラップの定義をさらに広げ、より多くの人にこのラップが持つ心理的効用を届けられるようにするべく、筆者なりの定義づけを行いたい。なおヒップホップの定義を狭める議論の必要性も認識した上で、本稿では敢えて広げることに重点を置くことを明記しておく。

 こうした背景を踏まえ、第一章では本稿の対象となるラップの範囲を明確にした上で、今までのラップの真正性についての議論や心理的効用についての議論を確認する。第二章では臨床心理学等の研究から視点を取り、ラップ実践によって作用する心理的効用を見る。第三章ではそれらの心理的効用が実際のラッパーにどのような影響を与えているかを見ながら、筆者の考えるラップの真正性を示す。

1. ラップとは

1.1. 本稿で扱うラップの範囲

はじめに、本稿の研究対象となるヒップホップ、ラップとは何であるか明確にする必要があるだろう。グローブ音楽辞典の「Hip Hop」の項には以下のように記されている。

A collective term for urban art forms that emerged in the 1970s beginning in New York City. Initially the term was applied to the artistic outlets of b-boying/b-girling (what cultural outsiders recognized as breakdancing), graffiti writing, MC-ing, and DJ-ing, but as it has grown into a global phenomenon, hip hop has come to embrace fashion, language, and lifestyle.
(1970年代にニューヨークを中心に出現した都市芸術の総称。 当初、この用語は、B ボーイ/B ガール (文化の部外者がブレイクダンスと認識していたもの)、グラフィティ ライティング、MC、DJ などの芸術表現に適用されていたが、世界的な現象に成長するにつれて、ファッション、言語、ライフスタイルもヒップホップとして受け入れるようになる。)
(Miyakawa, 2020)(訳は筆者による)

 本稿の対象となるラップは上記においてMCと表記されているもので、これはヒップホップとして総称される都市芸術の一つだ。同辞典の「Rap」の項には以下のようにある。

A predominantly African American musical style that first gained prominence in the late 1970s. The most widely recognized element of hip-hop culture, it is characterized by semi-spoken rhymes declaimed over a rhythmic musical backing. Early rap music drew heavily on the sampling of pre-existing recordings and the use of DJ mixing techniques. Increasingly, this art of “beats and rhymes” has been influenced by producers responsible for beat-making and assembling tracks, working alongside rappers who craft and deliver lyrics.
(1970 年代後半に初めて有名になった、主にアフリカ系アメリカ人の音楽スタイル。ヒップホップ文化の最も広く知られている要素であり、リズミカルな音楽をバックに語られる半口語の韻が特徴。初期のラップ ミュージックは、既存の録音のサンプリングと DJ ミキシング テクニックを大いに活用していた。この「ビートと韻」の芸術は、歌詞を作成して提供するラッパーと協力して、ビートの作成とトラックの組み立てを担当するプロデューサーの影響を受けることが増えている。)
(Toop, 2012)(訳は筆者による)

 このラップを内包するヒップホップ・カルチャーの誕生について見ると、大和田俊之は1950年代から60年代にかけてニューヨークのブロンクスにて施工された高速道路の建設事業が一つのきっかけとなったと述べている。この事業は六万人以上の住民の強制移住を生み、その受け入れ先として建てられた低所得者用の公営住宅に、当時貧困層であるアフリカ系アメリカ人やヒスパニックまでもが移り住んできた。そして人種ごとに結成されたギャングの抗争が激化する中で、1973年の変動相場制への移行やオイル・ショックが追い討ちをかけ、アメリカは不況に見舞われる。予算削減を余儀なくされた行政からも見放され、地元の製造業が撤退し、地域がスラム化し、ブロンクスの治安は著しく悪化した。そんな中で、ヒップホップ・カルチャーが生まれた (大和田俊之, 2015)。

 同じくバーダマンと森本はラップについて、「『貧困』と『格差』。この2つに対する不満のはけ口として、ラップ・ミュージックは生みだされた。彼らには音楽的な素養があるわけでもなく、また楽器が上手に扱えるのでもなかった。リズム・ トラックにのせて、ほぼメロディがないリズミカルな語りを発散させた」 [バーダマン 森本, 2011]と述べており、ラップの背景には「貧困」「格差」が根ざしていると言えるだろう。
これらを踏まえると、ラップの語義は下記にまとめられる。

1970年に「貧困」や「格差」に苦しむマイノリティであった黒人の若者たちがニューヨークで生み出した、ヒップホップ・カルチャーに内包される音楽の一種。リズムに乗って韻を踏む語りによって構成される。

「ラップ」という単語については、一般的にポップミュージックにおいても早口で歌われる箇所のことを「ラップ」と呼称されるが、本稿で扱うラップは歌唱法としてのラップではなく、上記のような背景を持つ音楽表現に限定して考察を行う。

1.2. ラップの特徴・真正性とリアルさ

 さて、ラップにはメロディのある「歌」ではなく韻を踏んだ「語り」が中心になるなどの音楽的特徴もあるが、本稿においてはラップの効用を明らかにするために、ラップで語られる内容面について焦点を当てる。ラップの内容について語る上では、「真正性(authenticity)」と「リアルであること(Keep It Real)」が取り沙汰される。双方その定義について議論闊達な概念だが、本稿においてはラップの存在理由を明らかにすることでこれらの概念の明確な線引きを設けることを試みる。

 ラップにおける「真正性」とは、 「ある楽曲を『ラップ』であると主張する際に持ち出され、演じ手たちによって『本質的』に含まれるべきだと考えられている諸性質」 (栗田知宏, 2007)のことで、ラップらしさやラップとしての正しさのような概念を指す言葉だ。同著が書かれた2007年の段階ではヒップホップ研究はアフリカ系アメリカ人の文化形態であることを前提にされたものが大半で、ヒップホップの言説空間においては「ラップ=黒人音楽」という強固なパラダイムが存在しており、社会階層の「下層」の演じ手により真正性が宿ると見做されていた。その一方で、多くの黒人ギャングスタ・ラッパーが中産階級出身だという事実も幾度となく指摘されており、またエミネムのように白人ながらもギャングスタ・ラッパーとして受け入れられるラッパーが登場するなど「黒人であること」という人種は真正性の必要条件とは必ずしも言えない (栗田知宏, 2007)。また2014年には日本におけるヒップホップ文化の実践に関するフィールドワーク研究 (山越英嗣, 2014)が、2017年には韓国におけるヒップホップの真正性と商業性についての研究 (Hare, 2017)があるなど、ヒップホップはグローバル化しており、言説空間においても「黒人ではない」ヒップホップが受け入れられている。また栗田は人種以外の真正性については、「自身に正直であることtrue to oneself」、「地域的な忠誠とアイデンティティ」、「演じ手がオリジナルなラップとの関係や近隣性を有しているか」という3つの次元において担保されるものであり、エミネムはこれら全てを持っているため真正性を持つと述べている。さらにエミネムは人種という壁を超えて白人でありながら「黒人文化」であるラップにチャレンジするという姿勢が反逆的な「リアル」さという真正性の指標をクリアしたという解釈もしているなど、この真正性の解釈は非常に柔軟だ。他にもラップの真正性について「反逆性」「反骨精神」等に言及している研究は多い (Hare, 2017)。では一体何が真正性なのか。

 次に「リアル」についてだが、これは「ラップでの表現がそのラッパーの日常や背景、考え方と一致していること」 [ダースレイダー, 2017]を指す概念だ。ラップにおいては歌詞がラッパーの実体験に即している場合は「リアル」として高く評価され、実体験に即していない場合は「フェイク」として批判される。特に「売れる」ためにリアルさを失うラッパーは「セルアウト」として批判され、誰がリアルで誰がセルアウトか判断することは真正性の議論においても重点を置かれてきた (Clay, 2003)。その一方で、「リアル」だと評されるエミネムやトゥパックなどが経験していないゲットーの風景を過激に表現した場合でも聴衆から「リアリティ」だと見做された場合は許容されるというような、「リアル」は本当の実体験かどうか必ずしも問わないという性質も持っている (栗田知宏, 2007)。ラップはどこまで「リアル」であるべきか、既存の議論では曖昧性がある。特に2022年にはラッパーのヤング・サグが楽曲の歌詞を証拠として逮捕・起訴されたことも受け、ラッパーの歌詞をどこまで真実として扱うか議論が起こっている (WIRED, 2022)。ではどのような曲がリアルなのか。

実践を見る。

 例えば、人種的な真正性や社会階層の低さなどとは大きく離れたように見える韓国のアイドルグループBTSのメンバーであるSUGAを見る。彼のソロ名義はAugst Dであり、これはSUGAの出身地Teagu(=Deagu)とSUGAというアイドル名義のアナグラムであるため、前述した「地域的な忠誠とアイデンティティ」という真正性は持っていると考えられる。そしてその名義を曲名に題する Augst D (Augst D, 2016)では、「I’m d boy because I’m from D(※筆者注:Dは出身地のDeagu)」という歌詞で自身の出身地をレペゼンしつつ、アイドルとして世界を股にかけて人気を手にする自分自身をボースティングし、他のラッパー全員にビーフを仕掛けるような攻撃的な歌詞を綴っている。ここには「自身に正直であることtrue to oneself」「リアルさ」があると考えられる。白人でありながら黒人文化に挑戦したエミネムのような、アイドルでありながらも攻撃的にラッパーにビーフを仕掛ける反逆性というリアルさもあると考えられる。
 また日本で言えば、Creepy NutsのR-指定はデビュー前の楽曲 「だがそれでいい」や 「たりないふたり」など多くの曲にて「ダサい」「ワルじゃない」「イケてない」自分を歌詞にしており、2021年の楽曲 「顔役」においては「お前B-Boyじゃない なんか匂いがちゃう 黒くないと笑われた白いカラス 着の身着のまま グレーなスタンス 誇れるようになった黄色い肌」 (CreepyNuts(R-指定&DJ松永), 2021)と綴っているなど、「黒人ではない」「ギャングではない」「かっこよくない」というヒップホップの真正性を持たない自分という逆境を乗り越える反逆性を表現しており、実体験に忠実という観点ではリアルだと言える他、真正性を持たないというマイノリティさを克服しようという反逆に真正性が生まれているのではないかと考えられる。さらに特殊な例では、自閉症を患うラッパーGOMESSが “人間失格” [GOMESS, 2014]にてその病状を表現するなど、2000年代初頭までにあったようなラップ/ヒップホップの真正性やリアルさとは異なる定義が必要とされるような表現は増えている。

 では何がヒップホップの真正性で、何がリアルなのか。
ここで、そもそもラップに限らず「真正性」とは何を指す概念なのか確認するため、特に真正性が重視され議論されてきた領域として、文化財保護を取り上げる。例えばUNESCOの世界文化遺産の登録基準にはこの真正性があり、「形状,意匠・材料,材質・用途,機能・伝統,技能,管理体制・位置,セッティング・言語その他の無形遺産・精神,感性・その他の内部要素,外部要素」などの多様な属性における表現において、真実かつ信用性を有する場合に真正性の条件を満たしていると考えられ得る、とされている (文化省, 1997)。しかしこの真正性に対する解釈は多様で、近年においてはより柔軟な意味へと再定義する議論が多い。これは文化本質主義と文化構築主義という二つの立場に分かれ、前者は「正真正銘の本物を想定する真正性の概念」 (権赫麟, 2012)だ。同著によれば、「文化を本物/偽物に区分する本質主義的観点は、絶え間なく変化する文化の動態的性質を充分に説明できない」とされ、文化的真正性を理解する新たな方式として構築主義的アプローチが生まれたと。この文化構築主義は真正性を「静止した状態にあるのではなく、時と共に生成され 、相対的で、適宜変更可能な対象」とする。人種的真正性や社会階層的真正性を超えてヒップホップがグローバル化した昨今、ヒップホップの真正性にもこうした流動的な文化構築主義の観点からの定義づけがされるべきではないだろうか。そして文化構築主義の観点では、今日の真正性は何であると定義づけられるだろうか。

1.3. セラピーとしてのヒップホップ

 真正性のあるラップとは何か。また、リアルとは何であり、何ではないか。前述したようにヒップホップには「貧困」「格差」がベースになっている他、 (苧野 & 荒木, 2023)ではヒップホップを「傷を癒す」ものだとしている。またCreepy NutsのR-指定は武道館ライブにてヒップホップを「セラピー」だと語り [音楽ナタリー編集部, 2020]、Kendrick Lamarもリアルな鬱症状や自己嫌悪をテーマにした楽曲「u」をリリースした後のインタビュー (UNIVERSAL MUSIC, 2020)にて、「俺のセラピーと治療は、音楽を作って表現することだった」と、そしてエミネムもSway In The Morningの電話インタビューにて「自分の人生について語れることが、ラップの最も素晴らしい点の一つでもある。心を癒やす力があるし、自分にとっても常にそうだった。」とラップの持つメンタルヘルス効果について言及している (UNIVERSAL MUSIC, 2022)など、多くのラッパーにとって、ヒップホップのメンタルヘルス、心理的負担を軽減する作用があるという考えは受け入れられている。本稿ではそんなラップの持つ心理的効用を踏まえ、その効用を失わせないために必要な、守るべき要素から真正性やリアルを定義づけたい。
ラップの心理的効用は近年議論が増えている領域でもある。 (苧野 & 荒木, 2023) では現代のヒップホップを歴史的な流れに位置付け、いかに黒人音楽が「傷を癒す力」を長い間保ち得ているかを言及している。同著は自己の傷を文学やアートに昇華することによるトラウマからの回復作用をまとめた上で、奴隷制度下のアフリカ系アメリカ人にとって、「音楽は自らで力を創造して、自らの心身を保護することを可能にする鎧であり、薬であり、癒しであり、同一苦を共有する人々を繋ぐ絆でもあった」とし、奴隷制度時代以降の黒人たちにとっても黒人霊歌の共同体性や対話的機能が精神の支えとなっていたことや、憂鬱を昇華させる芸術としてのブルースの「癒し」と「抵抗」の機能、そして現代におけるヒップホップの癒しの機能などをまとめている。そして現代のヒップホップの機能として、近年アメリカにおいて見られるヒップホップをセラピーに用いる動きを取り上げているのだが、HIPHOP Therapy(HHT)と呼ばれるそれは、ヒップホップ文化を治療媒体として利用したメンタルヘルス治療への現代的なアプローチのことだ (Tyson, 2013)。元はビブリオセラピーと音楽療法を掛け合わせたような治療法 (Edgar H. Tyson, 2002)で、臨床心理士として若者たちをクライアントとして見ていたタイソンが、クライアントと自身の間の共通点であるラップをセラピーに取り入れて提唱したのだが、この初期段階においてのヒップホップセラピーは、ビブリオセラピーのように歌詞を分析し議論することを中心としていた。しかし2011年に実際にラッパーとしても活動するセラピストのJ.C. ホールがヒップホップセラピーと表現芸術療法との類似点を見出し、タイソンの指導のもと、ヒップホップ表現芸術療法 (HipHop Expressive Arts Therapy)のモデルを開発する [Tyson, 2013]と、歌詞の分析という受け手としてのヒップホップセラピーだけではなく、歌詞の作詞という語り手としてのヒップホップセラピーも実践されるようになる。タイソンはラップによって人々が意見や感情を吐き出すことで、本来ネガティブで自己破壊的になり得る感情を強みとして発揮することができるとし、J.C.コールも (ウェルネス, 2021)のインタビューにてヒップホップセラピーがトラウマの重みを軽減すること、実際に生徒の素行、成績、出席率が向上したことなどを語っている。同インタビューによれば、ヒップホップセラピーとは「認知行動療法」「ナラティブセラピー」「解決志向アプローチ」などをミックスしたものとのことで、既存のメンタルヘルスのアプローチに基づいたものである、と。
 このようにヒップホップの心理的効用について言及、実践する先行研究はあるが、それを通して真正性やリアルなどのラップの特徴まで導き出した研究は少ない。よって次章からはこの心理的効用について、臨床心理学における研究を踏まえてまとめつつ、どのラップの特徴がそれらの効用をもたらしているのか言及していく。

2ラップの持つ心理的効用

2.1. ラップの特徴

 前提として、「リアルさ」を持つラップとは何か。前述のように「自身に正直であることtrue to oneself」「ラップでの表現がそのラッパーの日常や背景、考え方と一致していること」など自分の実体験や考え方に即した内容を歌詞にしている楽曲のことだ。そしてラップが貧困や格差を背景に持つ以上、そうしたラッパーの「リアル」な歌詞には度々ネガティブな表現が登場する。例えばローリングストーン誌で史上最高のヒップホップ楽曲として取り上げられた (Rolling Stone, 2012)Grandmaster Flash & the Furious FiveによるThe Message (Five, 1982)では、彼らの住んでいるブロンクスの荒廃や蔓延するドラッグ、頻発する殺人事件や貧困など、当時の都市部の実情がありありと描き出されている。また貧困とは違う角度の「格差」でもこうした表現は見られ、例えば自閉症を抱えるラッパーGOMESSは2014年にリリースした人間失格においては、パニック症状になった実体験や友達から障害者だと言われた体験等を語られている。しかしそれらのネガティブを語るリアルと反対に、ラップには自らの強さや成功を語るボースティングやフレックスという概念があるのも特徴的だ。例えばThe Notorius B.I.G.のJuicyでは「Born sinner, the opposite of a winner」「Remember when I used to eat sardines for dinner」と貧困の出自や貧しかった頃の食事を振り返った上で、「And I'm far from cheap, I smoke skunk with my peeps all day」「Puttin' five karats in my baby girl ear」「Got two rides, a limousine with a chauffeur」と、ラップで成功した今は貧困から離れて経済的に豊かな生活を送っていることを綴っている。またこの楽曲では「'Cause I went from negative to positive and it's all (It's all good, nigga)」と、本稿で取り上げたいネガティブからの転換、心理的な豊さを得る効用を伺わせる表現があることも印象的だ。
このように、一言でリアルと言っても、そのリアルが自らのマイナスの側面を表現する場合とプラスの側面を表現する場合の両方がラップには見られる。 (Edgar H. Tyson, 2002)でもラップにはポジティブラップとネガティブラップが見られるとした上で、ポジティブラップを解決策や⾃⼰防衛の概念やスキルを描写するだけでなく、望ましくない状況を改善する(つまり、⼈々を⾼揚させ、意識を⾼める)よう促すラップだとし、実際の楽曲を目的ごとに分類しているなど、ラップにはそうした二面性があることは大凡コンセンサスがあると言えるだろう。
さて、次節からはまず、このマイナスの側面を表現することによる効用を見ていく。

2.2. ネガティブな自己表現が持つ効用

 ネガティブな感情や実体験の表現。それを芸術として表現する場合、精神分析においては「内的感情の昇華」と呼ばれ、「感情のはけ口」としての舞踊 (原田純子, 2006)や不安を緩解する造形美術活動 (内田裕子, 2023)など、言語非言語問わず多様な芸術領域で研究されている。原田は「自分が感じたことや考えたことを表現するのは、我々人間にとって生得的な欲求」だとし、舞踊や創作ダンスの体験は「負の代償行為ではなく創造的な方法に よって感情を昇華させるひとつの方法」だと考え、実験を通し『動きが自己の表現となっていく学習の過程を通して、『他者』との『コミュニケーション』やそこから創生される『場』 が自己の内的感情の昇華を促進し、より良い『創造』活動を目指す段階へと至ること』を確認した。また内田は「造形美術活動では夢中になって物事に集中する『フロー体験』が起こり易く、造形美術活動の過程で自然とストレスが解消する場合が多い」とした上で、「自身を知りたいとして美術制作を行う」横尾忠則と「幻覚や妄想により劣等感を抱く傾向のある統合失調症を患う」草間彌生の対談を取り上げ、「行為自体に意味を見出し、他に目的を採らない」行為指向型の美術行為を行う横尾はマズローの欲求段階説で言う「5 段階目の自己の確立や目標達成、本性への忠実といった『自己実現欲求』に基づく制作」で、「作品にも意味を見出そうとする」作品指向型の美術行為を行う草間は「2 段階目の不安や恐怖等からの解放である『安全の欲求』と、 3 段階目の孤独からの解放である『社会的欲求』及び4 段階目の自己に対する高い評価や自尊心の獲得を目指す『承認の欲求』に基づく制作」だとした。このように、同じ芸術活動でも対象の状態によっては心理的効用が異なることも考えられる。またこうした芸術活動は作業療法における治癒媒体の一つとして用いられるのだが、単に芸術療法として芸術活動を行う場合と、作業療法という立場に基づいて芸術活動を行う場合では、その芸術に対する考え方などが異なる。本稿における筆者の立場を示すために (田中順子, 2010)の研究を取り上げたい。同著では国内外16事例の作業療法における芸術活動の研究事例を挙げ、作業療法における芸術活動では「目的中心」「多様性・流動性」という二つの特徴があると整理した。前者について、芸術関連療法では「治療目的よりも芸術における実現の方をより重視する場合さえもある」が、作業療法においては患者の治療という目的を常に見据えて治療が進行し、さらに「こういった目的の実現のために,対象者の主体的関与を重視していることも特徴の一つ」であると考えた。また芸術療法ではどの芸術を治癒媒体とするか「対象者の選択の余地はほとんどない」のに対し、作業療法では「多様な理論や概念を流動的に使い分ける折衷主義的傾向」が見られ、また「回復過程の各時期に沿って治療内容を変容させていくアプローチは,作業療法界においては教科書的常識となっている」とした。芸術活動という広い枠組みで捉えてもネガティブや不安の表現による心的負担の解消は見られ、そうした芸術活動においても、芸術療法と作業療法では差異が見受けられる。なお筆者は本稿においてヒップホップをセラピーとして捉える上で、作業療法的に、目的中心主義、対象者中心主義かつ対象者に応じて理論や概念を流動的に使い分ける折衷主義の立場を取ることを明記する。
 さて、こうした非言語的な芸術活動とは異なり、日常会話においてもネガティブな情動経験を他者に語る「社会的共有」は見られ、これにはネガティブな情動状態からの回復に効果があると考えられている [川瀬隆千, 2000]。同著ではストレスやトラウマをことばに置き換えることによって、その情動経験による思考や感情、行動を抑制するために費やす意識的な努力を低減させ、情動からの回復にポジティブな影響を及ぼすなどの従来の通説をまとめつつ、実験によって怒りや悲しみ、羞恥といった感情的経験は「気持ちをすっきりさせたい」「不安を解消したい」などの理由によって共有されることを明らかにした。また感情を言語化することは「感情のラベリング」と言われ、共有ではなくその言語化自体もネガティブな情動による心理的負担を低減させる作用がある。 (北沢 & 高橋, 2017)では選択肢を使って自身の感情をラベリングする実験を通し、自分自身の感情状態と距離を置くことによる不快感の低減などの効用をまとめている。ネガティブな感情の言語化は心理的負担を軽減させる作用があるというのは概ねコンセンサスがある。
しかし、ネガティブな情動は時に言語化することが困難だ。臨床心理学において、感情への気づきや情動の言語化に対する障害は「失感情症(アレキシサイミア)」として多く研究されているが、例えば自分の抱いた情動に対してメタ的に否定的な評価を抱いている場合は認識困難や言語化困難に陥りやすいとする研究がある (奥村弥生, 2008)。同著では情動への評価尺度として、その情動を感じることへの情けなさや恥ずかしさなどの「他者懸念」、その情動を感じることの有用さなどの「必要性」、その情動を感じることのきつさや厄介さなどの「負担感」の3つを用意した上で、「他者懸念」が情動の認識や言語化困難に正の関連を持つことを明らかにしている。その情動経験に対して「そのような情動を経験しているなんて恥ずかしい」というように恥や罪悪感を抱き、また他者に自己の情動が伝わることで他者からの評価を低めてしまう状況を回避しようとした結果、情動の認識や言語化が困難になる、と。ヒップホップ・カルチャーが黒人差別を背景に持つことを鑑みると、「個人や集団の評判を傷つけ価値をおとしめるもの、恥辱や汚名、非難されるべき徴(しるし)」といった意味で用いられる「スティグマ」を抱く感覚、「スティグマ感」 (黒田研二, 2001)に近いものが、他者懸念として初期のラップにも働いていたのかもしれない。
 さて、このように、「社会的共有」や「感情のラベリング」など、心理的負担を低減させる感情の言語化行為は、時に他者視点から見た自分への意識がネックになり、行われにくくなる。しかしラップの場合、そうしたネガティブな感情や体験もありのままに表現することが「リアル」だとして肯定的に評価される。よって、この他者懸念による情動の認識困難や言語化困難は起きにくいのではないかと考えられる。ヒップホップが「リアルさ」を評価する性質を持つからこそ、格差等に苦しむラッパーは、ありのままにその苦しさを認識し、言語化することができ、心理的負担を軽減させられている可能性がある。
 そうしたネガティブな体験や情動の言語化による心理的負担の低減に焦点を置く研究の一方で、自尊感情の向上等の中長期的な性質、性格の変化に着目すると、自己の肯定的な側面に目を向けることの重要性を示唆する研究も多い。 [山下 小野, 2017]では大学生113名に対し自分の良い特徴と思える形容詞のみを記入する「Po 条件」,自分の悪い特徴と思える形容詞のみを記入する「Ne 条件」,自分の良い特徴と悪い特徴両方を記入する「PoNe 条件」,友達の良い特徴と悪い特徴両方を記入する「友達条件」を設定して記入させ、その前後で自尊感情と自己肯定感の尺度に回答をさせた結果、自己のネガティブな側面のみを言語化しようとすると無条件に自己を肯定できなくなることや、ポジティブな側面のみを言語化しても自己肯定得点が上がらなかったことを踏まえ、ポジティブな側面もネガティブな側面も見ることで自己を無条件に肯定できるようになる可能性を示唆している。また [佐藤徳, 1999]では被験者に自己の様々な側面を列挙させ、列挙された側面についてあてはまる形容詞を選択させるという課題を用いて自己表象の複雑性を測定し、自己複雑性をその情緒価によって肯定的自己複雑性と否定的自己複雑性とに区別した上で、それぞれの高さが極端な情緒反応に対する緩衝要因となり得るかを検討しているが、否定的自己複雑性は抑鬱を促進し、肯定的自己複雑性が抑鬱を有意に抑制することを見出している。ネガティブな体験や情動だけでなく、自己の肯定的な側面も認識することがメンタルヘルス上では重要だ。
次章からは、こうした中長期的な自尊感情の向上、メンタルヘルス的側面を見ていく。

2.3. 自伝的記憶の効用

 前述のように「リアルさ」を持つラップとは「自身に正直であることtrue to oneself」「ラップでの表現がそのラッパーの日常や背景、考え方と一致していること」などを満たした楽曲のことだ。ラップにおいては、ネガティブな体験や情動に対しても「リアルだ」と肯定的評価がされる性質があるため、そうした自己表現行為に対する心理的障壁が軽減されていると考えられる。
 本節以降は、こうした情動や体験の総体である自伝的記憶に着目したい。自伝的記憶とは 「人が生活の中で経験した様々な出来事に関する記憶の総体」 [佐藤, 2004]のことなのだが、しかしこれは、単なる個人の記憶と限定することはできない。なぜならその形成には周囲の社会状況といった歴史的記憶や家族など身近な人々の語りなども強く影響するためである。これについて研究した [山下 清. , 2008]では自伝的記憶を、 “他者性を内包しつつ、他と替えがたい自己を形成する”ものと結論付けており、つまり自伝的記憶は、その記憶の保有者個人のみならず、様々な外的要因によって形成される複合的な記憶であると言える。ただの客観的事実ではなく、複合的な要素によって形成される自伝的記憶を、韻を踏んでリズミカルに表現する。自身に正直なリアルなラップには、この自伝的記憶との関わりがあると考えられる。
 さて、この自伝的記憶には大きな役割がある。 [山本, 2015]は下記のように述べた。

 我々人間は、青年期に入ると「自分は何者であるのか」という問いを自分に課し、その答えを導き出そうとする。このような過程の中で、我々は自伝的記憶を想起することによって過去の自分を再認識する。そして、過去および現在における自分と社会が認めかつ期待している自分とを統合することを通して、アイデンティティを確立させていく。この意味において、個人が自己の同一性や連続性を保つのに、自伝的記憶は1つの本質的な役割を果たしているといえる。

 自伝的記憶の効用、それはアイデンティティの確立だ。同論文には重要度の高い自伝的記憶の想起がアイデンティティ形成における中心的な役割を果たすという結果が示されており、特に快感情を伴った自伝的記憶においてそれは顕著であるという。また、この想起段階においては、現在の自己認識と一致する自伝的記憶内からのみ情報が制御、調整されるため、自伝的記憶の想起には現在の自己認識が極めて重要な役割を果たすと示された。つまり今の自分と整合性が取れていない記憶は、そもそも思い出されないのだという。ここに、ラップが「リアルさ」を重視し、維持し続けようとする意義が見出される。リアルではない、つまり現在の自己認識と一致しない表現は、アイデンティティの確率に影響を及ぼせない。またこの論文では「日常的に重要な自伝的記憶を頻繁に想起している参加者はその記憶をアイデンティティの形成に役立てている可能性」が示唆されており、いわゆる「自己表現」をする頻度が高ければ高いほど自我が強く形成されるとも考えられる。
 また前述のように自伝的記憶は快感情を伴っているものほどアイデンティティ形成への重要度が高いのだが、この快感情を伴う記憶の例に、努力をした行為の結果として自分が思った通りの結果が得られるという“随伴経験”などが挙げられる。この随伴経験と自尊感情の相関関係を明らかにしたのが [豊田, 2010]だ。この研究では随伴経験を多く経験している被験者ほど自尊感情が高いという結果が得られており、こうした経験が繰り返されると「他者に対して自分が影響を及ぼす可能性が高いという自覚」である自己効力感が向上し、他者への積極的な関わりを為せるよう自我が変化していくことが観察されている。
この結果は、「自尊感情が肯定的な自伝的記憶とのみ相関が高い」とした [関口, 2017]とも一致するものであり、随伴感情などの肯定的な自伝的記憶が自尊感情の向上につながることはおおよそ確定的だ。
一方で [山本, 2015]の研究において、不快な出来事に関しては、アイデンティティの達成に別段大きな役割を示さないという結果が得られている。これについて山本は考察で、想起の時点でその出来事の前向きな捉え直しができた場合はアイデンティティの達成の促進が期待されると述べているのだが、この考察を裏付ける研究が [豊田, 2010]だ。この研究においても非随伴経験などの不快な出来事は自尊感情の向上に正の相関を見せてはおらず、さらに随伴経験においても、自分の努力や能力に帰属していない随伴経験は自尊感情の向上に繋がっていないという結果が得られたため、これを受けて [豊田, 2010]は「随伴経験によって生じた喜びをうまく今後の活動に生かしていかなければ、自尊感情が高まることはない」と考察している。
これら [山本, 2015] [豊田, 2010]を合わせて考えれば、失敗体験などの不快で否定的な自伝的記憶であっても、「その失敗を努力によって乗り越えた結果、今の自分がある」というような肯定的な捉え直しができれば、つまり失敗体験を現在の自己認識と照らし合わせた上で「長期的な随伴経験」として捉え直すことができた場合には、たとえ原初の体験が否定的であった場合でも自尊感情の向上につながるのではないだろうか。ネガティブな体験や情動をリアルに表現し、それを乗り越えた成功も強くボースティングするラップで行われているのは、そのような体系である。
よってこの捉え直しについて、次節から焦点を当てていく。

2.4. 自伝的記憶の捉え直しの効用

 自伝的記憶の捉え直しについて研究する学問分野として、物語的アプローチ(narrative approach)というものがある。これは [野村, 2003]に“近年、人文社会科学領域の関心を広く集めている物語的アプローチ(narrative approach)は、心理学においても盛んな議論を呼び起こすところとなり”とあるように裾野が広がっている分野なのだが、それと同時にこの分野は、「物語」という概念の多義性によってあまり厳密な定義付けがされていない領域でもある。しかしこれは翻すと様々な観点から自由で活発な試みが行われている領域であるとも言え、事実、心理療法から運動処理に至るまで、その研究は多岐にわたる。これらの領域から、本稿においては人の一生という一連の流れを「物語」と見なし、さらにそれを「言語化」することに注目した「自己物語論」を取り上げる。
自己を「語る」。そのことの第一の機能として「経験の組織化」を想定したのは [野村, 2008]だ。人間は物語ることで目の前で起きている出来事を体制化し、自身の納得のいく物語へと筋道立てることで、その経験を記憶していく。また [野村, 2008]は第二の機能として、「語り」行為の「人生の意味づけ機能」を想定しているが、これは自我同一性を維持することと近しい。過去から現在、そして未来へと連なる時間軸のなかに自己の連続性を見出す主観的な感覚が自我同一性なのだが、この感覚を達成するためには、自己の生きてきた歴史の意味、今現在自己が生きている意味、そしてこれから先の未来においても生き続けていく意味という三つの時節における模索が必要であり、その模索として「語り」が存在するのだという。
つまり「語り」という行為は、目の前で起きている客観的事実を認識する際にも、過去現在未来の自分に対する主観的認識を模索する際にも、重要な機能を果たすということだ。この過去、現在、未来を語る行為はラップでも頻繁に見られる表現だ。実例は後述する。
さて、特にこの模索段階における「語り」という行為に注目し、この行為が既に起きた過去の出来事に対して別の意味を加える機能を有すると示唆したのが [野村, 2003]だ。この研究ではナラティブ・セラピーなどの近年の心理療法を検証することにより、個人にとって重要なのは実際に何が起きたのかという歴史的真実ではなく、もっともらしい語り方をされる物語的真実であるという結論を導き出している。患者が治癒者にこれまでの人生を物語るというナラティブ・セラピーの本質に、治癒者が患者にとって有益で満足できる一貫した物語の構築を促すことを見出し、患者がネガティブな過去を自分の都合の良いように捉え直すことが患者の健康につながるとしたのだ。
過去の物語の再構築。これについて [岩田, 2008]では、「過去とは、現在の自己の関心・動機や問題意識に符号するように解釈され、それに見合うように想起されたもの」であると考察している。つまり過去というものは、現在の自己の意味を見出すために変容され、語り直されていくのだという。前述のようにそもそも自伝的記憶は周囲の環境や身近な人々の影響を受けながら蓄積される複合的なものであるのだが、 [岩田, 2008]によれば、その記憶には、現在の自己すらも干渉するようだ。
ここから、自我同一性という、一貫した自己の連続性を見出すことで得られる主観的認識が、過去の語り直しによって得られるのではないかという考察が導き出される。つまり、現在の自分とは一貫していないような否定的な経験であっても、それを再解釈、再構築することで、その否定的な経験から自我同一性を見出すことができるということだ。
 そこで、ネガティブな体験を肯定的に語り直した時に記憶に変容が見られるかを検証した [池田 仁平, 2009]を見ていく。この研究では、大学生に受験期の記憶について、四つの段階に分けて語らせている。まず第一段階では、その記憶を覚えている通りに語らせ、第二、第三段階ではそれぞれ1ヶ月の間隔を開けながら、第一段階で語った受験期の記憶を「楽しかった思い出」として語らせる。そして第四段階において、なるべく第一段階と同じ内容になるように、当初の記憶通りに語らせるというものである。本来であれば、第一段階で受験期の記憶をネガティブな経験として語った者は、第四段階においても同様にそれをネガティブな経験として語るはずだ。しかし第二、第三段階での肯定的な語り直しによって、第四段階の語りにおいても、ネガティブな感情表現の出現頻度が下がり、ポジティブな感情表現の出現頻度が上がるという結果が得られたのだ。この結果から、ネガティブな体験の肯定的な語り直しは、単にネガティブな感情を抑制するだけでなく、その記憶のネガティブな側面自体をも減衰させる効果を持つと考えられている。
 [池田 仁平, 2009]では同様の結果を示す事例として、過去のトラウマを自己成長などに繋がったポジティブな経験として筆記させる実験を行った結果、その病院の患者が診察にかかる回数が低下したという研究を紹介している。これは [野村, 2003]がナラティブ・セラピーをもとに、過去を肯定的に捉え直すことは患者の健康につながるとした考察とも一致しており、さらに [山本, 2015]での不快な出来事でも前向きに捉え直せばアイデンティティ形成に中心的な役割を果たすという考察や、 [豊田, 2010]から転換的に示唆された、失敗体験を現状の自分と照らし合わせることによってその体験を長期的な随伴経験として捉え直すことができれば自尊感情の向上が引き起こされるという考察をも裏付けるような結果である。
このポジティブな記憶として捉え直すという行為は、ラップにおいてはボースティングやフレックスとして行われている。自分の強さや成功を誇示し、また過去を武器に成功を得ようとする未来を語るこれらの性質がなければ、ただネガティブを言語化して心理的負担を軽減させることだけがラップの持つ効用だったかもしれない。しかしこうした性質を持つことで、ラップはネガティブをポジティブに再解釈させようとする圧力が働く。この表現の方向性付けによって、ネガティブな自伝的記憶は、ラップによって肯定的に捉え直されるのではないかと考えられる。
 またこうした実践の例として、差別的経験を持つ被験者に対する研究を取り上げる。 (田中美恵子, 2000)は、精神障害当事者のSさんの人生体験を聴取し、それをライフヒストリーとして構成した上で、これをテクストとして解釈することでSさんにとっての病いの意味を理解することを目指した研究だ。父親が誰であるか戸籍上も実際にもわからない、戸籍のない『ててなし子』として1927年に北陸で生まれたSさんだが、彼の母親は精神病を患っていた。彼は『ててなし子』として生まれ、『キチガイの子供』として農村で育ったのだ。そして彼自身も『心の病いをもつ者』として、『村から出て行け』と怒鳴りつけられて育ったという。当時は精神病者監護法という法律の元、精神病者は警察の取締りの対象でもあった。田舎で『駐在の旦那』が出入りすると、それだけで『偏見というか白い眼で』周囲はSさんを見る。Sさんは、個人の力では抵抗不可能な「スティグマ」を押し付けられ、『絶対的な孤独』を抱え、『この世に生まれてこなければよかった』という感情を抱き続けて生きてきた。しかしそうしたSさんの人生を、『年配の精神障害者との出会い』が決定的に変化させる。彼はSさんに『私たちはキチガイではない。狂っているのは社会であり、法律である』という言葉を与える。田中はSさんのこの出来事を「この解釈(言葉)によって、Sさんにとって世界は一変し、同時に自己に対する解釈も変化し始め」、「恨みの中で鬱屈せざる得なかった自己は、他者を規定する主体となり、新しい自己を構成する力、すなわち自由を得た」と分析する。そしてその後、ライシャワー事件をきっかけに社会の精神障害者への理解が変わり始めると、Sさんは同じような苦しみを抱える人や社会に対して自己の体験を物語り始め、様々な障害者運動にも関わり始める。これは田中曰く、「自己の人生をもってして、人の役に立とうとすることによって、自分のこれまでの人生に対し意義を発見していく作業」と。同著にはSさんによる肯定的な捉え直しの語り、つまりボースティングこそ記されていなかったものの、ネガティブな体験や情動をリアルに表現し、そしてその表現によって人の役に立ったり、経済的な豊さを得たりすることで自己の人生に意義を見出し、その意義によって自伝的記憶を肯定的に捉え直す。これがラップであった場合、自己の成功を強く表現するボースティングやフレックスがその捉え直しを助けることだろう。そしてその捉え直しは痛みを自らの力で乗り越えるという強烈な随伴経験となり、自尊感情の向上やアイデンティティの確立が促されると考えられる。ラップによって行われているのは、ナラティブ・セラピーなどを含むこうした一連の働きだ。

2.5.  ラップに働く心理作用

本章の内容を総括する。
ネガティブな体験や情動の言語化、つまり社会的共有や感情のラベリングは心理的負担を軽減させる。通常、他者懸念などの障壁によって認識困難・言語化困難に陥る場合があるそれらのネガティブな体験や情動の表現は、しかしラップにおいては「リアルだ」と肯定的に評価されるため、そうした困難に陥りにくい。さらにボースティングやフレックスといったラップ特有の表現の方向性付けが、それらの自伝的記憶を肯定的に捉え直すナラティブ・セラピーの作用を助ける。また、ラップを通して人の役に立ったり経済的に豊かになったりといった成功があると、そのネガティブな体験や情動にはさらに意義が見出され、肯定的な捉え直しは進む。そうした一連の働きの結果、自尊感情は向上し、強固なアイデンティティの獲得も促される。
この際、リアルさやボースティングは殊更に重要だ。現在の自己認識と一致する自伝的記憶のみがこうした働きに役割を果たすため、「フェイク」な表現ではこれらの効用は生まれない。ラップでは特に資本主義的圧力に屈して大衆に寄せた「フェイク」な表現を「セルアウト」という固有の概念で批判する (CLAY, 2003)が、そうした概念が根付いているほど、「リアルさ」は意識的に守られているのだ。そしてそのリアルな範疇において、ボースティングやフレックスという概念が、ネガティブな自伝的記憶を肯定的に捉え直させているのだろう。
ヒップホップは「貧困」や「格差」がベースになっている。この文化が生まれた時からこうした心理的負担を軽減させるような仕組みを持っていたかは今後の研究によるが、少なくとも現時点においてラップの持つ性質は、この仕組みを持っている。貧困や格差をベースにし、社会のマイノリティが声を上げたラップが持つ、心理的負担を軽減させる仕組み。ラップの「リアル」とは、そして「真正性」とは、この一連の仕組みを作用させられるかどうかによって判断できるのではないかと考える。つまり、リアルとは、「現在の自己認識と一致している、ナラティブ・セラピーなどの効用を作用させられる自伝的記憶の表現」のことだと考える。また流動性を持つ文化の中でも保たれるべき真正性とは、人種や地域性、社会階層などの固定的なものではなく、こうした一連の心理的効用自体であり、ラップの持つ効用を必要としている人間が、『格差』を埋めるために表現を行なっている場合には普遍的に獲得されるものが真正性であると考える。
次章では、実際にラップの楽曲において心理的効用が作用している例を見ながら筆者の立場をより具体的にした上で、Creepy Nutsが近年においてもHIPHOPの真正性を持ったリアルな楽曲を制作しているのか分析したい。

3.セラピーとしてのヒップホップ実践

3.1. ヒップホップ実践に見る、リアルと真正性の具体例

 本章では実際のラップを取り上げ、その楽曲がリアルかどうか、真正性を持つかどうか筆者の考えを述べることで、リアルと真正性について具体例を述べる。なお第一章にて述べた通り、筆者は作業療法としての芸術活動としてヒップホップを見ており、ラップという芸術体系そのものよりも、その治癒等の目的達成を重視しつつ、対象者(この場合はラッパー)の状態によって前提とする理論や概念を流動的に使い分ける折衷主義の立場を取る。
リアルさや真正性については、「語り手の属性」「語りの内容」「語りの形式」などのwho/what/howに分けられると思うが、それらは連関する場合もあるため、実例を取り上げながら列挙する。
まず第一章にて前述した自閉症を患うラッパーGOMESSを取り上げる。前述のようにヒップホップはグローバル化し、様々な地域でラップは実践されており、人種性はリアルさや真正性に関わらない。そして一般的にリアルだと称されやすい薬物売買や暴力行為といったThugな日常を歌詞にする行為も、それだけがリアルだとは考えない。GOMESSはそれらの性質を持っていないものの、ニート東京のインタビュー (ニート東京, 2020)にて自分の曲で最もリアルなバースとしてLIFE (GOMESS, LIFE, 2015)を挙げた。「一切見られることを意識していないというか、1mmも着色がない。もちろん普段からリアリティには拘って書いていて嘘を交えたりとかは基本的にしていないんですけど、言葉を選ぶ際に少しでも韻を踏むためと意識したりとかリズムを意識したりとか、さっきこの言葉を使ったからこの言葉を重複させないようにしようとかっていうのを全然考えないで書いた詞」「フリースタイルにかなり近い」「家の中で1人でヘッドホンをしてストレス発散でラップをしていた頃にすごく近い」と、リアルな自己表現であることを述べている。またこのインタビューで象徴的なのが、LIFEは一度もライブで歌ったことがなく、「歌うと壊れちゃう」「あの曲を今やると嘘になる感じがして、せっかくノンフィクションを100%で出したのに、今それを再現すると自分自身を犯しているような感じがする」と答えているところだ。前述したように筆者は「リアル」を現在の自己認識と一致していることだと考えるが、当然「現在」は移り変わるもので、当時はリアルだった楽曲が後年になるとそのラッパーにとっては「リアル」ではなくなる場合があるというのは間違いない。またこのインタビューでのGOMESSの語りは、普段からリアリティには拘っているものの「韻を踏むため」などで言葉を選ぶことがあることを意味しているが、こうした韻を踏むための表現に対する議論はラップバトルにおいても度々見られ、例えばフリースタイルダンジョンにおいて呂布カルマはR-指定に対し「韻の弾みでしょうもないこと言ってしまうお前とは違う」と述べている。時系列の変化によって「リアル」でなくなることはあるが、かと言ってその場で歌詞を紡ぐフリースタイルラップであった場合でも、韻を踏むために自己認識と一致していない表現をしてしまうこともあるのだろう。
またこのLIFEではひたすら自閉症の苦しみが綴られており、ボースティングやフレックスといったポジティブラップ的な要素、自伝的記憶を肯定的に捉え直す試みは見られておらず、芸術療法や感情のラベリングといった行為だけが見られている。しかしその後の楽曲にて、彼の自我同一性の形成や自尊感情の向上を引き起こす歌詞がある。それが [GOMESS, 光芒]だ。一部を抜粋する。

孤独だとは思わないさ たとえ
お前がどんなに頑張ったとしても
俺は俺 お前じゃない
それが誇りだ
その「普通」って要はみんなと同じってことだぜ?
お前も俺もそうじゃない 奇跡を茶化すなよ
これは欲しくて手に入れたわけじゃないが
どうせなら大切な一つにしたいからな
ハンディキャップくらいわかるよ馬鹿野郎
落ちるとこまで落ちたら登るしかねえ I know
(中略)
“こんなもの”だって宝物になる
(中略)
当たり前のことができない俺たちなら
当たり前じゃないもの凄いこともできそうだ
最悪の日々に学んだ最高の生き方は
奴らの既知外にある [GOMESS, 光芒]

 歌詞を見る限りこの曲は、同じ病を抱える人、もしくは何かしらのマイナスを抱える人に向けて、そんな人たちの希望の光芒として書かれたように思える。これはまさに (田中美恵子, 2000)が取り上げた精神障害当事者Sさんに見られた「自己の人生をもってして、人の役に立とうとすることによって、自分のこれまでの人生に対し意義を発見していく作業」である。そしてこの曲において彼は、自閉症という事実を、自らの個性として肯定している。その病気を「宝物」とまで称し、「誇り」に思い、「大切な一つにしたい」と語っているのだ。あまつさえ、大多数の人間の「既知外」にある「最高の生き方」だ、と。
 [GOMESS, LIFE] は2015年3月18日に発売された曲だ。一方で [GOMESS, 光芒]は2019年4月24日に発売。ここから見えてくるのが、彼はこの4年間で自閉症を肯定的に捉え直すことができたということだ。つまり彼は [GOMESS, LIFE]における苦難の日々を乗り越えて今の自分があると自己認識できたということになり、これぞまさに、長期的な随伴経験だ。自らの努力によって望んだ結果を得る。自らの努力によって、自閉症という事実を乗り越える。そして自らを誇り、「当たり前じゃないもの凄いこともできそうだ」と未来をボースティングする。まさしくリアルであり、そして「格差」を乗り越えるという目的でヒップホップを利用する真正性を持った楽曲だ。
 ここから言えることは、真正性やリアルさとは、一つの楽曲によって決められるものではないということだ。ネガティブな表現自体は憂鬱な音楽であるブルース [苧野 荒木, 2023]などにも見られ、ヒップホップの特性とは言えないが、当然肯定的な捉え直しやボースティングができるかは、そのラッパーの精神状態や自己認識によって左右される。無理矢理自己認識を歪めてボースティングしてもナラティブ・セラピー等は作用しないため、あくまで納得できる形で肯定的な捉え直しができる自己認識を獲得できないと、そうしたボースティングはできないのだ。GOMESSの場合、社会的共有等のネガティブの表現が先行し、それによって聴衆を得るなどをしたことで、ようやく自閉症という障害を肯定的に捉え直し、ボースティングできるようになった。このように、そのラッパーがリアルでヒップホップ的であるかどうかは一つの楽曲だけを取り上げて議論するべきではなく、「語りの形式」としてもその曲だけで完結している必要はないと考える。
 次に、こうしたわかりやすい「痛み」を持っていないラッパーとしてSKRYUを取り上げる。彼は銀行員として働きながらバトルMCとしてラップ実践を行うラッパーで、大きな精神障害を抱えていたり人種差別の当事者だったりはしない。しかし銀行員を辞めてラップ一本で生活することを決めた直後にリリースしたアルバムには、そんな安定を捨てることに対する不安と、それでもその世界で成功することを誓う表現が多数見受けられる。例えばOne Shotは、冒頭にて「Are you ready / See you again さらば太陽 / 小粋なステップで甲板にRide on / 波を感じたら勝負に出ろ / 旅の武器は床上手なベロ」と、銀行員という日の目を浴びる仕事に別れを告げ、言葉で戦う世界に勝負に出ることを表現した歌詞から 始まる。そしてHookの部分では「My mom & dad マジすんません / もう今年はボーナスはありません / だけど選んだんだ俺は数パーセント」と安定した収入や決まったボーナスを得られる職業を辞めて数パーセントの確率でそうしたものを得られる世界を選んだと自分の意思決定を言葉にする。そして同アルバムのmou vahでは、「君の将来 保険 年金 実家の家業はいったいどうすんの? / Oh, yes I know right 百も承知 / そんなのもう言われ飽きたんだっちゅうの」と自分の決定に対する異論を跳ね除ける。そしてHookでは「Oh, my かーちゃん 見とって」「Oh, my とーちゃん ごめんね」と両親に語りつつ、2バース目にて「このままでも酒も美味いし / ジョブの片手間に歌でも歌ったら?/ そりゃ大問題 この身を削ってでも / 揺らしたい場所があんだ / 二度も言わすなthis is my life, ah, yeah」と自らの意思決定を固めている。元々の生活に貧困や格差があるわけではない。このアルバムに描かれているのは、安定を捨てるという意思決定に対する葛藤と、そんな意思決定をもたらすくらい強い、ラッパーとして成功することへの渇望だ。この夢や理想の自分との、ある種「格差」を埋めようとする行為も、筆者はリアルで真正性を持ったヒップホップだと考える。これは (内田裕子, 2023)が横尾忠則の制作として言及した「5 段階目の自己の確立や目標達成、本性への忠実といった『自己実現欲求』に基づく制作」であり、そこに「身を削ってでも」得たいと感じるほど強い欲求がある場合、これを満たすための制作にも真正性は宿る。ヒップホップはセラピーとしての働きを持つが、このクライアントは必ずしも経済的、身体的格差を持っていなければならないわけではないというのが、筆者の立場だ。ここまでの内容を総括すると、筆者はラップの真正性は「語り手の属性」によらないと考える。
 では何がリアルではないか。明らかなフィクションを歌詞にしている楽曲について、筆者の考えを述べる。前述した (栗田知宏, 2007)にて真正性を獲得しているとされたエミネムの楽曲は、Slim Shadyという別人格を立ててラップしていることからも見て取れるように、実体験とフィクションが多く入り混じる。例えば’97 Bonnie And Clyde [Eminem, ’97 Bonnie And Clyde, 1999]やKim (Eminem, Kim, 2000)は、彼が10代の時から交際をしていたキムの浮気性な性質を非難する内容なのだが、両曲ともに楽曲の中で妻を殺害している。これは明らかなフィクションであり、そしてエミネムはそのフィクション性に自覚的だ。Criminal (Eminem, 2000)では「A lot of people ask me stupid fuckin' questions / A lot of people think that what I say on a record / Or what I talk about on a record / That I actually do in real life or that I believe in it」と、エミネムが歌詞で語られていることは全て信じるであり、それらの行為を全て実生活にて行なっていると信じる聴衆の質問を「stupid fuckin’ questions」と一蹴している。また彼は他者視点に憑依したストーリーテリングも多く用い、例えばStanはオックスフォード辞典にも登録されるほどの影響力を持った楽曲だが、この楽曲はエミネムの熱狂的なファン「Stan」の視点で、エミネムへの愛を語る手紙という体裁でその狂信的なエミネムへの愛が描写され、最後はそのStanが妊娠中の交際相手と共に自殺する様子が描かれている。こうした楽曲に、リアルさや真正性はあるのだろうか。筆者はここには真正性はあるがリアルさはないとした上で、「メタ的なリアルさ」があると考えたい。この楽曲においてエミネムは、実際に自身へ手紙を送りつけるようなファンに対する辟易とした内的感情を芸術へと昇華しており、これはある種の弱者であるエミネムがヒップホップを通して救済を求める行為である。心理的効用を働かせようとラップを用いていることで、この楽曲は真正性を持っている。しかしその内的感情は自身の視点ではなく、Stanという架空の人物を通したストーリーとして昇華されており、ここに「現在の自己認識と一致する」というリアルさは存在しない。その一方で、メタ的にこの楽曲制作を捉えると、「狂信的なファンに辟易する内的感情を架空の人物を通して表現する自己」を表現しており、そもそもエミネムが一貫して多重人格的な表現を行なっていることも踏まえると、これも一つのリアルであると言えるのではないだろうか。この「メタ的なリアルさ」がより明示的なエミネムの楽曲にBrain Damageがあるが、この楽曲は少年が暴力を受ける体験を強烈に過激に描き、最後は母親がリモコンで彼の頭を殴ったことでこぼれ落ちた脳みそを頭の中に戻す場面で括られる。どこまでがリアルでどこまでがフィクションかわからず、そうした錯乱そのものを描くことで、タイトルにもなっている脳のダメージを表現しているのだと考えられる。実際、この楽曲でいじめっことして登場させられたエミネムの元クラスメートのD' Angelo Baileyはエミネムに対し名誉毀損訴訟を起こしているが、この訴訟は判事の『Eminemのラップは深刻にとらえる類のものではなく、「(Eminemのリリックは)事実とはいい難く、児戯が誇張されているだけ」という意見』によりD' Angelo Baileyの敗訴に終わっている。判事からも実体験ではないと判断されているのがこの楽曲で、やはり「現在の自己認識と一致する」というリアルさは存在していないものの、そうした歪さこそ “Brain Damage”を表現するものとして、メタ的なリアルさが存在していると言えるだろう。エミネムにはリアルな楽曲も多い中で、こうしたストーリーテラー的な表現も多様される。筆者はこれらに対し、ラップのリアルさや真正性に自覚的な上で、自己表現手法としてストーリーテラー等を行うのはメタ的にはリアルであり、一つのヒップホップであると考える。
次にこうしたヒップホップの真正性について、特に自覚的な表現が多いCreepy Nutsを取り上げたい。まず彼らの典型的なナラティブ・セラピーの実践を見ると、例えばメジャーデビュー直後にリリースされたアルバムに収録されている「だがそれでいい」 [CreepyNuts(R-指定&DJ松永), 2018]では、彼らの中高時代の「黒歴史」を散々列挙したあとで、「お前は間違ってる 間違ってるがそれであってる だって高校デビュー、大学デビュー 全部失敗したけどメジャーデビュー 何者でもない俺、突き進めそのままでただ前に」「あの失敗も、あの迷走も、あの敗北も、無駄じゃない あの屈辱が、あの挫折が、今の俺を作り上げたから。 ならば現状の、今目の前のこの葛藤も、無駄じゃない この苦しみが、この成長がいつかのお前を奮い立たせるなら。」と歌い、彼らは中高時代の失敗を全て肯定している。さらに後半で引用した部分からは彼らがメジャーデビューという随伴経験によって自己効力感を高めていることも読み取れ、どんな失敗もプラスに変えていくという自信が歌詞に表されている。またCreepy Nutsとしてユニットを組む前にDJ松永のトラック提供の元R-指定が作詞した「R.I.P」 (R-指定, 2014)では「自慢できる経歴も前科もねえ 腕っ節弱えもんで喧嘩も御免だが 包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・キリ どれより鋭利なこの言葉尻 振りかざすと大抵がKnock Out」「権力も財力も腕力も無い 俺が頼る武器ならばライムとフロー You see? マイク1本で形勢逆転」と自分の立場の低さを表現することでむしろそのラップスキルをボースティングしているなど、Creepy Nutsの初期の楽曲にはこうした「ダサい」「ワルじゃない」「イケてない」という従来は“真正性”がないとされるであろう自分を表現することによって弱者という立場を獲得し、それを通して“真正性”を得るというような試みがなされる内容が多い。しかしGOMESSのLIFEに見えたように、リアルとは、「現在の自己認識」とは当然のように流動的なものだ。彼らは2021年の楽曲「バレる!」 (CreepyNuts(R-指定&DJ松永), 2021)にてその葛藤を吐露している。​

俺を分かってくれと叫び
​世に知らしめたばかりに
​自分で自分をより自分らしく演じなきゃいけない羽目に
​求められてるあの味
​でも俺はもうそこにゃ居ない (CreepyNuts(R-指定&DJ松永), 2021)

 この歌詞で描かれているのは前述したような「ダサい」自分をメディアや聴衆に求められることに対しての葛藤であり、ヒップホップが根本的に孕む矛盾でもある。つまり、ある時点においてはリアルだった楽曲も、別の時点においてはリアルではなくなり、むしろその自己との不一致が自分を苦しめることにも繋がる。実際、このCase制作後のラジオにてR-指定は『最初、自分らが作った作品に対して、アンサーするみたいなことをやろうと思っていたんですよ。完全に打ち返すというか、カウンター。「最初の自分たちへ」みたいな。でも、自分の過去に書いた言葉で「あの時に言っていたことと今、違うやん?」みたいな、そういう自分を勘ぐる時期があって。』 (NEWS ONLINE 編集部, 2021)と語っており、その矛盾には自覚的だ。また同番組内にて「作詞は自分にとってセラピーでもあるし、自己啓発でもあるけど、一歩間違えれば自傷行為にもなるからさ」と語り、Caseの作詞の過酷さを振り返る。
 そんな現在の自己認識と一致した表現を模索しつつ、自らの弱みもボースティングして肯定的に捉え直してきた彼らだが、その後にリリースしたアルバム「アンサンブル・プレイ」はほとんどの楽曲がストーリーテリングによって構成されている。これについてR-指定は「個人的な意識としては、自分が何者なのかということを知らしめる俺語り、ボースティングの期間があって、その先にストーリーテリングがあるとより説得力が増すと思うし、その順番は自分の中で意識もしていて。そういう意味でも、作品ごとに自分たちの現状を語ってきて、『Case』でそれをより深化させることができたからこそ、今回は完全なフィクションを書いても違和感なく、そこに説得力を持たせられると思ったんですよね」 (音楽ナタリー, 2022)と語っており、また松永はCaseの作詞を振り返りながら「あの内容を書き続けて名声を得ることは果たして幸せなのか、ほかにも人間が幸せになる方法はあるんじゃないかなと(笑)。」「そういう、自分にも矢を刺す作業をずっとRは続けてきたし、『Case』のリリックはその最たるもので。寿命を削るような作業だったからこそ、フィクションの方向性に進んだ今回のリリックは、メンタルヘルス的な意味でも安心しましたね」と語っている。ストーリーテリングという手法を取られており、「現在の自己認識との一致」という意味でのリアルさはないが、ここにはエミネムのストーリーテリングに見られる「メタ的なリアルさ」がある。ある時点でのリアルを表現することによって生まれてしまう自己矛盾を痛感しながら、寿命を削るような作業を行った「Case」の後に、そうした自己矛盾や痛みを発生させないストーリーテリングを行う。「Case」リリース直後のインタビューでR-指定は「自分とヒップホップの距離は一生考えると思うし、もはや病気なんですけど(笑)」と語っているが、「アンサンブル・プレイ」ではこのヒップホップとの新しい距離として、こうしたストーリーテリングという距離の取り方がされている。ストーリーテリングを行う必要があり、それが現在の自己だとするこの表現は、まさしくメタ的なリアルさを含むと言えるだろう。ただR-指定自身もCaseで自己表現を深化させられたからこそフィクションに説得力を持たせられると語っている通り、ただフィクションを書いただけでは、そこにリアルさや真正性は生じ得ない。Caseにてリアルとの向き合い方に対して疑問を呈していたからこそ、このストーリーテリングという手法は一つの自己表現として昇華されているのだ。前述のように作業療法では対象者の治癒フェーズによって治癒媒体とする作業を柔軟に変えるという特徴があるが、Creepy Nutsの場合、Case以降はもはや狭義的なリアルさによる治癒は求められておらず、むしろリアルとの距離を取るためのストーリーテリング実践は、自己矛盾を孕んだ状態という「格差」を乗り越えるための策謀として、真正性があるのではないかと考えられる。

3.2. リアルと真正性の定義

 前節では具体的な楽曲に対する筆者の解釈を述べることで、改めてラップのリアルとは何で、真正性とは何であるのかをより明確にした。その際、文化構築主義的に真正性を「静止した状態にあるのではなく、時と共に生成され 、相対的で、適宜変更可能な対象」として見て、また作業療法的に、目的中心主義、対象者中心主義かつ対象者に応じて理論や概念を流動的に使い分ける折衷主義の立場を取った。
まずリアルさについて、これは基本的に「現在の自己認識との一致」が基準になる。よって当人がそれを歌う時点での自己認識と一致していなければ、ある時点ではリアルだった楽曲もリアルではなくなることがある。自己認識との解離に苦痛を抱かされるような表現はリアルではない。またその一方で、額面通りにその歌詞が現在の自己認識とは一致していなかったとしても、そうしたリアルではない歌詞を書くという自分の状態を表現することは、メタ的なリアルさを持つとも考える。また真正性について、筆者はこれを語り手の属性や語りの形式などにはよらず、「格差」を乗り越えるという目的でラップを利用した楽曲に宿るものだと考える。その際の「格差」は経済的格差や人種的格差、身体的格差のような格差だけでなく、『自己実現欲求』に基づく理想の自分と現在の自分との格差のような、より高次の格差であっても良いと考える。
 だがこうした性質は、どこまでも解釈を広げていいというわけではない。ストーリーテリングの場合はそれまでにリアルな歌詞を書いているからこそメタ的なリアルとして機能し得るし、自己実現欲求のような高次の欲求は、「身を削ってでも」得たいという強い渇望があるからこそ真正性を獲得すると考える。

4. おわりに

 本稿はラップ実践による心理的効用を明らかにした上で、その真正性やリアルの定義を広げ、より多くの人にその効用を届けられるようにすることを目的とした。リアルさはナラティブ・セラピーなどの心理作用を引き起こすために重要な概念であり、現在の自己認識との一致が特に重要になる。また文化構築主義に則り相対的な流動的なものが真正性だとした上で、その中でも変わってはいけないものとして、効用を引き起こして「格差」を埋めようとする目的自体に真正性は宿ると考えた。
第一章では「ラップ」の語義や歴史的背景を踏まえた上でこれが貧困や格差に根ざしたものであることを確認し、その「真正性」や「リアル」に関するこれまでの議論や、ラップが持つとされる心理的効用の通説を確認した。ラップをラップ足らしめる真正性という概念には多様な議論があり、文化財保護の領域における通説を借りると、文化の流動性を踏まえた柔軟な定義が必要だと言わざるを得ない。また多くのラッパーがラップとメンタルヘルスとの関係性に言及し、臨床の場においてもセラピーとして取り入れられているなど、ラップに向精神作用のようなものがあることは一定のコンセンサスが得られている。
これを踏まえ第二章では、まずラップにはネガティブラップとポジティブラップが存在することを確認した上で、ネガティブな感情や実体験の表現が持つ効用を論じた後、自尊感情の向上には肯定的な表現も必要であることを確認した。「リアル」さを肯定的に評価するラップの性質がネガティブな体験や情動の言語化を促し、その結果心理的負担を軽減させる。そしてボースティングやフレックスといったラップ特有の表現の方向性付けが、それらネガティブな自伝的記憶を肯定的に捉え直すナラティブ・セラピーの作用を助け、自尊感情の向上や強固なアイデンティティの獲得を促す。これらの心理的効用を議論する上で、筆者はヒップホップセラピーを作業療法の一つとして捉え、対象者(この場合はラッパー)の心的回復という目的を重視した上で、理論や概念は柔軟に使い分ける立場を取ることを明記した。
第三章では実際のラッパーを例に取り、真正性やリアルさについて筆者の立場を明確にした。まずGOMESSを通して従来真正性だと考えられていた人種や経済的階層によらず真正性は宿ることを確認した上で、リアルさは「現在」の自己認識との一致であるため、時間の経過によってリアルだった楽曲がリアルではなくなる場合があることを論じた。またSKRYUを例に取り、明確な痛みがない場合でも強い自己実現欲求があった場合にはこの表現にも真正性が宿ると考えた。次にストーリーテリングを取り入れるエミネムを挙げ、自己表現手法としてストーリーテリングを行うこともメタ的にはリアルであると考える筆者の立場を示した。最後にCreepy Nutsを取り、一時はリアルであった楽曲が時間と共に自己認識と乖離することによる葛藤を踏まえたストーリーテリングという、三章での議論を包括するような例を見た。
 しかし今後の課題は多い。本稿では作業療法における芸術活動を見るような立場でラップを眺めたが、その表現形式自体に価値を見出す芸術療法の立場を取った場合、このような柔軟な解釈はされないだろう。また文化本質主義のもとで固定的な真正性を求めた場合、「目的」のような曖昧なものではなく、人種や地域性といった明確な基準が形作られたかもしれない。また心理的効用に重点を置いた本稿だが、経済的効用、つまり貧困を脱する手段としてのラップに重点を置いた場合の真正性やリアルさは、おそらくまた異なる定義になる。さらに今回はラップの語り手に重点をおいていたため、聞き手にとっての効用や真正性、リアルさには言及していない。リアルさがラッパーの自己認識に依るものである以上、聞き手はリアルかどうかを判断する力を持たず、それを判断できるくらいラッパーの自己が知られていることを筆者はプロップスだと考えるが、こうしたことについても議論が必要だ。このように本稿での議論は限定された立場から論じられたもので、異なる立場を取れば全く方向性が変わるものでもある。また本稿で導出したリアルや真正性の定義は、その柔軟性が故にラップのコモディティ化を促進する恐れもある。本稿の定義は広義でメタ的なリアルや真正性として、それとは別に、より狭義の定義も考えねばなるまい。

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6. note公開時追記

今日のゼミ追いコンでネット公開の許可が降りたことと、CreepyのFirst Takeが上がったこともあって、とりあえずコピペしました。
読み返すともっと直した方がいいと思うことも多いし、前述しているように今回はあくまでHIP-HOPの枠組みを広げる議論で、明確に狭める議論も必要です。そうじゃないとHIP-HOPの特徴がどんどん薄れてポップスになってしまい、HIP-HOPで救えるはずの人が救えなくなるので。
一旦これは公開しちゃうし、アカデミアに進んだりしないので自分で狭める議論を作ることはできないんだけど、誰かが後を継いでくれたら嬉しいです。ぜひ議論ふっかけてください。
ある程度医学と食糧が発達した今、人間は生物的な進化ではなく知的な進化が道筋です。そのメインストリームにあるのがこの論文という体系で、誰かの研究を参考文献にして、子が生まれるように新たな研究が生まれることが今の人類の進化の一つの王道だと思うので、ぜひ議論してたくさんの子を生んでいって欲しいです。

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