Paris
2006年ドイツ開催W杯の年私はパリに来ていた。外国といえば妹と行ったバリ島とLA。その2カ国だけで、ヨーロッパは始めてで仕事での海外もはじめての初めて尽だった。その頃ストーカーに悩まされていた私を気遣ってかBossはパリコレクションの出張に連れてってくれた。この先これがきっかけで私は何度もパリを訪れる事になる。Bossのパリ出張は毎年毎年予定されていて、パリに飽きたと言っていた。そういう彼には行ってみると馴染みのホテルがあったし、そこの中性的な雰囲気のオーナーには特別気に入られていたし、とっても浮いていた私とは違い、コレクションシーズンのパリでも堂々として見えた。目に映るもの全てがかっこいく、W杯で大騒ぎの路地に散らばるクラッカーのゴミクズさえ美しく見えた。私は一件のShowを手伝う事以外は仕事はなく、他のブレンドのShowを見てまわれた。ドルチェアンドガッパーナなど有名どころから新人のデザイナーのShowまで時間の許す限りまわった。彼が仕事のときは私の冒険タイムで、私の名前が記された招待状を握って1人地下鉄に乗ったりして、そこでアコウディオンや、バイオリンを弾く人や、スリに気をつける感覚、フーリガンの大合唱、自国と全然違うマナーにワクワクした。会場は色々だった。郊外の倉庫、美術館、ホテルの中庭、テーマがそれぞれで、奇抜だったり、エレガントだったり、一番感動したのは招待客のセンス良さだった。招待状にも何でもかんでも魅了され、私の宝箱にはあの旅でのレシートまでもが宝物としてしまってある。そして会場で聞くショーの音楽はまた格別で会場を出る頃は映画の大作を見終わった様な自分の人生と映画のストーリーを重ね胸がいっぱいになっている、あの感覚だった。私の細胞は高揚しっぱなしだった。この業界を何も知らない、ましてや作品を作る人でもない私は、戦うビジネスウーマン達から投げられた言葉にダメージを喰らいながらも何か胸に熱が生まれていた様に思う。それは、憧れと尊敬があったからだろうとおもう。振り返るとあの時、かっこよく見えた大人達に囲まれて随分背伸びしていた様に思う。ちょっと恥ずかしい。でもその時々の自分を恥ずかしがる事はないと、人は変化していくんだしって今は思える。今は情けない自分も受け入れる気持ちがある。辛い出来事に執着の気持ちはなく手放し、辛い思い出もあの時の見栄も今は大切な記憶となってしまってある。Bossがパリでの仕事を全て終えた夜、彼のお気に入りだと云う牡蠣の美味しいレストランに連れて行ってもらえた。ずっと見知らぬ偉い人と一緒でやっとホッとする家族だけになった様な夜だった。私の冒険の話や、彼の今回の仕事での話しをつまみに沢山パリの美味しいお酒を飲んだ。カカトに羽が生えたみたいにフワフワしていた記憶がある。そして彼の提案にまた特別ワクワクした。帰国までに数日空いたからと、どこか寄ってみることになり私たちは次の朝、ホテルに荷物を置いて身軽な装いでバルセロナに飛んだ。その度のお話も今度書こうと思う。
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