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【ennui egg#2】

「新年には手間暇をかけて」

新年を迎えるまでにはたくさんの手間暇がかかる
1ヶ月前からし始める大掃除、窓や床を拭いて神様を迎える準備をしなくてはならない
しかしながら、12月はあっという間に日が過ぎる
気づいたら年賀状を書くことをすっかり忘れてしまう
24枚の年賀状をプリンターで刷って、0.28のボールペンで1枚1枚文字を書いていく
年賀状を書き終わったらあとは師匠の如く急足で新年の飾り付けをする
師匠も走る「師走」とはよく言ったものだと思う。この時期に急がない人間なんてほぼいない
しめ縄を作って、鏡餅を神棚の前に飾って、栗きんとんと田作りを作る
栗きんとんの鍋の隣で母が年越し蕎麦の準備をしだす
ここまで来てしまったらもう抗うことはできない。仕方がなくコタツに入ってただ新しい年を待つ

◇◇◇

去年は私的に特に頑張った新年の準備だった。というのも、しめ縄を作ったり、田作りなどを作ったりするのは初めてで、年賀状に至っては2年ぐらいかけてなかったと思う
大掃除に至っては5年くらいしてなかったんじゃないか
前職のレストランは12月から1月初めが繁忙期だ。働いては帰ってを繰り返したらもう1月7日になっていたりする。新年に新たな希望を抱いても手が回らない1月2日の営業にそんな気持ちなどとうに消えていた
急に現れては忽然と消える新年の幕開けに気を向けられなかった
今の職場では10月下旬から年賀状の受け付けが始まる
こんなにデジタル社会になった世の中でも900枚注文したりするお客様や年賀状に箔が施されたものをこだわって選ぶお客様もいたりする
職場の繁忙期はその年賀の受付真っ盛りのする11月から12月
印刷された年賀状をお客様にお渡しするたびに新しい新年の足音が近づいてくる
今年は新年の準備をしたいとおもったのが始まりだ

まずした大掃除では、今まで捨てることができなかった何百とある過去絵の整理だった
過去に描いた作品たちは完璧じゃなくていつか描き直す、リメイクするためのストックとして、いつまでも部屋の隅で埃をかぶって日の目を見ることなどなかった。
でも母に「絵はいつでも自分で描けるから、いいんちゃう」と言われた
その言葉にすとんと納得が落ちてきた
絵は結局出来上がっても傑作じゃなくて、上手くできても課題が残る
その課題をやろうと書き続けてきた目に見えない成果は自分の手にあるんじゃないか。そう思った
あの時は傑作だった高校時代のA1サイズのパネル、原画展の作品
部屋からなくなって悲しくなったけど、なんだか心が軽くなった
母がパステルではじめて描いた絵をこれいいやんと言って引き取っていった
今まで過去に描いた絵に手放せなくて縋り付いてきた気もする
でもこうやって誰かの手に渡るのもいいなと思った

しかしながら、物が多い部屋。片付けたといえどまだまだあふれかえる。ゴミ袋3つを部屋から出して、まずしたことは神鏡の設置と盛り塩
最近神社や御朱印などに興味を持った私が母からのクリスマスプレゼントに頼んだものだった。クリスマスに神鏡とは宗教の混沌が酷い気もするが
母は毎日祖父から引き継いだ神棚にお祈りをする。それを小さい頃私は母の真似をして意味もわからず神棚の前で手を合わせた
母はそれをお礼と言った
今日も一日生きれたことに感謝して、明日も平凡に生きれることをお祈りする
私は設置をすると、私もそうお祈りした
新年の準備には全て意味がある
おせちだとか、しめ縄だとか、調べたらたくさんの思いが込められている
新年は昔からみんな期待を膨らませる
だから、みんな新年には改まって「おめでとう」というんじゃないか
◇◇◇
新年明けてポストを覗くと、年賀状が輪ゴムに束ねられて入っている。年々薄くなるその束を解いて家族に振り分ける
わたしに振り分けられたのはほんの数枚
でも、年賀状で1年に1回やりとりする、幼稚園の先生や前職お世話になった店長、学生時代の先輩。全て思い出がある人たち
1年に1度も会えない人たちが確かに年賀状を書くときにはその人のことを思い浮かべる
簡単にLINEとかでスタンプ1つあけましておめでとうで済む中で、年賀状を送ってくれる人はより特別に感じる

今までの思い出の人たちの今の報告を聞いて新年は始まる
しめ縄がかかった玄関からでて初詣にいく、作ったおせちを食べて、今年こそディズニーリゾートに行きたいねと家族と話しながら新年を噛み締める

きっと手間暇かけないと新年は味わえない

「1月1日という年のリセットがあるから
今年もまた頑張ろうと
自分自身もリセットできる」

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