夢と野望と大志、時々憧れ
みなさんこんにちはこんばんは。
今回は夢と野望と大志、憧れについて書いてみようと思います。
夢と憧れ、野望と大志は僕たちに心の底から活力を与えてくれます。
苦しい時、負けそうになった時に最後のひと踏ん張りをさせてくれるのはいつだって自分の大切なものたちなんです。
ストレス社会の昨今において、皆さんの苦しみが和らぐような記事に出来ればと思うのでどうぞ最後までお付き合いください。
ところで皆さんには夢はありますか?
僕には夢があります。
僕の夢は趣味のドラムを自宅で目一杯楽しむことです。
そのためにお金を貯めて持ち家に防音防振設備を施し、メンバーを集めてセッションしグルーブ感を味わうことです。
この夢はもうかれこれ10年以上抱き続けているもので、その夢は今の僕を支える最初の柱になりました。
この夢を叶えている時は、たまにライブハウスからお呼びがかかるようなちょっと名の売れたプレイヤーになれてればいいなぁ、なんて言う憧れもあるのですがそんなに甘くないよねーなんて思ったりします。
ここまで僕の夢と憧れの話をしました。
読んでいてわかるかもしれませんが、この夢と憧れの話って、ぶっちゃけ他者にはなかなか興味関心をもってもらえないものなんですよね。
だって究極的には「それはあなたのやりたいことですよね?がんばれー」で終わっちゃうから。
悲しい話ですが夢や憧れというのは本人にしかわからないものなのです。
そんな夢や憧れ、強く強く達成を志すと野望に進化します。
野望とは夢の延長線上にあるもので、夢を実現するために必ずやりきると心に決めた確固たる目標を指します。
例えば僕にとってはドラムを楽しむために時間とお金が必要になるので、自社の社長になることを野望としています。
社長にならずともお金と時間の問題は解決出来る方法があるとは思いますが、僕は社長になることによって自由を手に入れたいんです。
好きな時に好きなことをして(時には嫌でもすべきことをして)、お金と時間に自由になってドラムを楽しみたい、そう考えています。
この野望は夢や憧れのように理解されにくいものではなく、一目置かれるものではあるのですが共感はされないことがほとんどです。
なぜならあくまで野望は「自分のための大義」だからです。
人は悲しい生き物で、自分の利にならないことに興味関心を持ちません。
自分のための大義は人のためのものにはならないので応援されにくく、仲間は集めにくいでしょう。
ここまでくれば大志とはなにか、勘の鋭い方ならもうわかりますね?
そう、大志は人のための大義です。
誰かのため、社会のため、世のため人のために成したいことがあるというのが大志です。
きっかけは夢でも憧れでも構いません。
野望を叶える道中に見つけたものでも構いません。
自分のための野望を人のための大志として掲げられるかどうかが全てです。
僕の場合は社長を目指す道中出会った仲間たちに気持ちよく働き続けてもらい、健全な労働環境で成長してもらうため、自分が先陣切って未来を明るいものにすると決意し大志としました。
…まぁこの大志を掲げられたのも過酷な労働環境を知ってしまったからというオマケ付きですが笑
この大志を、明るいビジョンを仲間に共有するようになってから僕は周りの多くの人との強い結び付きを得られました。
賛同し協力してくれる仲間が増えたのです。
こういうことを書くと「綺麗事で世の中回ってない」という意見も出てくるかもしれません。
ですが例え綺麗事であったとしても、綺麗事すら言えない人に仲間はできません。
またただの綺麗事では継続的に仲間で居てはくれません。
仲間がずっとそばに居てくれるというのが、ただの綺麗事でないことを証明してくれるかもしれませんね。
偉そうに書き綴りましたが、自分の夢を実現するためお互いできることをやっていきましょう。
貴方は1人じゃありません。
こんな僕でよければいつでも力になります。
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