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2019年11月9日。

「こんばんは、ユウです」

 初めて顔を合わせる、しかしTwitterのアイコンとユーザー名だけはよく知っている人たちと控えめな握手を交わし、プラスチック製の小さな丸椅子に腰掛ける。横浜・白楽の焼鳥屋に集まった年齢も性別も異なる人たちの顔を見比べながら、僕はこの場所の後ろに続く自分自身の数年間の道のりを思い出そうとしていた。

 五年ほど前のことだったか、僕はサッカーという名の球遊びに心を奪われた。小中高十二年間の人生をまるまる野球に捧げてきた青年にとって、それはいま振り返ってみるとただの偶然の出会いだった気もするし、はたまた、いつかは必ず訪れる運命のようなものにも思えてくる。

 とにかく、はっきりとした記憶が残っているところから話を始めたい。

 2015年、当時大学に入ったばかりだった僕は講義そっちのけで欧州サッカーを見漁るようになっていた。野球と比べてピッチ上でのプレーの選択肢が多く、何より自分にとって「なんだかよくわからない」サッカーというスポーツに対しての興味は日に日に増していくばかりだった。

 のちにレスター・シティが奇跡の優勝劇を演じることになるイングランド・プレミアリーグに、レアル・マドリーとバルセロナの二強体制にアトレティコ・マドリ―が本格的に割って入ろうとしていたリーガ・エスパニョーラ、そして日本人選手が数多く活躍していたドイツ・ブンデスリーガまで。五大リーグを中心に各国の強豪から下位クラブまでとにかくいろんなチームの試合を見ていたが、一番のお気に入りは当時マウリツィオ・サッリ(現ユヴェントス)が率いていたイタリア・セリエAのSSCナポリ。組織的ながらも選手個々の特徴が存分に活かされた「美しいサッカー」をするチームで、初めて見たときからすっかり惚れ込んでしまった。

 早朝4時にジョルジーニョのワンタッチパスとのホセ・カジェホンの裏への飛び出しに絶叫し、昼間はペンを握ったまま教室で爆睡する、そんな生活。大学の後期の成績(それはもう冗談にもできないくらい散々な出来であった)が発表される三月頃には、周りから「高校まで野球をやっていたのにサッカーに異様に詳しいヤツ」というなんとも変な目で見られていた。

 そして大学二年になってからは留学先のアメリカでメジャー・リーグ・サッカー(MLS)を現地観戦。僕が足しげく通っていたのはポートランド・ティンバーズの本拠地、プロヴィデンス・パーク。そこでは決して戦術的に整備されたわけではないが野性味あふれる「生のサッカー」に魅了され、エンタメ大国・アメリカの「人を楽しませる仕掛け」や、そこに住む人たちに根付くサッカーの文化的な側面にも触れた。

 そんな経緯もあり、帰国してからの僕の意識が「自分の街のサッカー」に向き始めていたのは、いま思い返せば自然の成り行きだった。いつだか読んだ本にあった「サッカーの観戦力を上げるのに一番の方法は、同じチームの試合を見続けること」という一文も、頭の片隅にずっと引っかかっていた。

 大学三年生になるすこし前、二十歳の冬。ここでやっと僕の人生にマリノスが登場する。しかし正直なところ、当時の自分にとってその「観察対象」は横浜FCでもY.S.C.C.横浜でもなんでも良かったのだ。でもやっぱり横浜でサッカーと言えばマリノスだし、J1でずっと見られそうだし、トリコロールもおしゃれじゃん、みたいな軽い動機。まずは毎週試合を見ることから始めようと思い、僕は思い切ってDAZNの年間パスを購入した。

 数年の時が流れて、場所は例の焼鳥屋。

 僕はアルコールが全身に回ったのをいいことに、本名さえも知らない人たちと一緒に遠藤渓太の魅力について語り合っていた。そのほかにも戦術のこと、書き始めたばかりのマッチレビューのこと、そしてクラブというコミュニティのこと。寒さが厳しさを増す十一月の夜をよそに、テーブルを飛び交う声はどんどん大きくなっていった。そして小一時間盛り上がったところで僕は一息つこうと席を立ち、トイレのドアをパタンと閉めた時に我に返った。

 マリノスが、僕の日常になり始めていた。

 ずっと心のどこかで、自らを「サポーター」と名乗ることに抵抗を感じていた。サッカーのプレー経験がないこと。横浜生まれでないこと。ずっと一人でマリノスの試合を見続けてきたこと。些細なコンプレックスと自意識が重なり、自分はマリノスではなくて「サッカーが」好きなんだと無理やり思い込んでいた。

 トイレから出ると、目の前ではトリコロールのユニフォームを着た人たちが店のすべての座席を埋めていた。ああ、もう元の人生には戻れないんだ、と思った。それは極上の喜びであり、同時に一種の恐怖でもあった。

「優勝しよう」の一言で会はお開きになった。皆と別れてひとりになった僕は、数時間前に交わした握手の感覚がまだ残る右手で、いつものようにTwitterのアプリを開いた。

 サポーターであるための唯一の条件は、自分からサポーターを名乗ること。

 終電間際の駅のホームで、僕は横浜F・マリノスのサポーターになった。

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